異世界浸食都市東京~賢者アトリと秘された石碑 ~

光川

流浪の賢者アトリと秘された石碑

プロローグ/夢の結末

 2022年、真冬の新宿駅構内で突然青年が発狂した。


 異国情緒あふれる衣服、いや、異世界情緒あふれる白い衣服を纏い拳銃を所持していた青年はその場に居合わせた刑事に即座に組み伏せられ駅からつまみ出されたのだが。


「すまないがもう一度言ってくれ。どこから帰って来たんだ?」


 伊庭沙也加。

 警視庁の若きエリートであり、正義感と柔軟さを備えた彼女は大抵の事はすぐに理解し飲み込むことが出来るのだが。新宿駅近くに停めていたブルーメタリックカラーのセダンの中、手錠を付けられすっかり落ち着いた青年を睨んだ。


 服装は冬用らしき厚めのコート。だがコートのあちこちが傷つき、沙也加が後部座席が汚れるなと思うほどに埃っぽい。


 年頃は二十代前半ほど。顔立ちは悪くはないが特筆して褒める程でもない。沙也加からすればすぐに応援を呼んでも良かったのだが青年の様子と雰囲気、昨今の裏事情を含め、まずは落ち着きを取り戻した青年の言動から個人的好奇心にかられ様子見をしてみようと思えば――。


青年の口から零れるのは冗談のような与太話だった。


「ですから。なんというか。異世界帰りって奴です。伊庭さんはファンタジー小説とか読みませんか? たまにあるでしょ、それこそ不思議の国のアリスだって異世界モノっていっても。ま、あれは夢のある夢落ちですけど」


 すっかり落ち着いた青年は饒舌に、他人事のように語りだす。


「キミの場合はウサギやトランプではなく、妖精のいる世界に迷い込んだ。だったか?」


「信じてくれます?」


 苦笑という言葉で片付けるには弱々しく哀れで悲しい笑み。沙也加の理性は青年の主張はただの誇大妄想だと切り捨てるが、沙也加の情と直感は青年の言葉に嘘は無いと判断していた。


「信じたくはないな。だが、仕事柄オカルトの全てを否定するつもりもない。否定しきれないといった方が適当かな。この仕事を続けていると理解しがたい現実に触れる機会もある」


 少なくとも理屈だけで解決するほど世の中はシンプルでない事を沙也加は理解しているつもりだった。


「それは。俺からすれば助かる話です。もしかして、こっちの世界で妖精でも見かけた事があったりしますか?」

「まさか。そこまで面白おかしい世界じゃない」


 沙也加は嘯く。


「ですよね。ほんと……。妖精なんて、どうかしてる」


手首と足首に手錠を二つ掛けられた青年は窮屈そうに後部座席で姿勢を正すと、感慨深そうに外を眺めている。沙也加にはその姿がまるで迷子になった幼子のように見えた。


「妖精か。まるでアニメだな。少なくとも警察が公に認められる存在、理屈では無いな。たとえこの世界に実在するとしても、現状では認める準備すらない」

「もちろん、そう思うのが普通ですよ。ところで、今って西暦何年です?」

「……2022年だが」


 それっぽい質問に沙也加は眉間に皺を寄せる。まさか現実で言われる日が来るとは思いもしない言葉だった。タイムマシンにでも乗ればそんな言葉を言う機会があるのかもしれないが。


「じゃあ。五年前ですかね」

「どういう意味だ」

「俺にとっては五年ぶりの帰国。もしかしたら失踪届とか出てるかも。この寒い時期に東京に出てきて受験前日に新宿駅で消えたはずなんですけど。ほら、試験会場近くのビジネスホテルに泊まる予定だったんで」

「馬鹿げた話のわりに、実感のある物言いだな。これで嘘であれば大した演技力だ。落ち着いたら役者を目指すと良い。それなりに有名になれるんじゃないか」


 沙也加はスマートフォンで同僚に個人的なお願いを連絡し、電子タバコを付けた。


「窓、開けてくださいよ」

「私の車だぞ。……はぁ」


 冬空の乾燥した空気が車内に侵入する。


「名前はカヤバ、マト、だったな」

「はい。茅場町の茅場に、射的の的、のマトです。年齢は多分二十二歳あたりで最終学歴は恐らく中卒」

「恐らく?」

「出席日数とか成績は足りてるはずですけど。卒業式には出ていないもので」

「なるほどな」


 沙也加は茅場から没収した拳銃をダッシュボードから取り出し観察する。


「見た目は、グロック26に似ているな」


 拳銃の中でも小型で携帯性に優れた銃。沙也加はアメリカへ旅行に行った際にガンショップの射撃場で触れた記憶があった。


「お。わかりますか。FPSで使ってた奴を参考に作って貰ったんですよ。安全装置の場所とかの知識は無かったもので細部は違うかと思いますが。そこのぽっちを押せばカートリッジが出てきます」


 沙也加は電子タバコを口から放し、カートリッジを引き抜く。


「これは。何処で手に入れた」


 明らかに拳銃としての機能を有している事を確認すると沙也加は万が一に備え全ての弾丸を取り出しポケットにしまった。


「異世界アドミニア。そこで知り合ったエトナって子に紹介された職人のハンドメイドです。弾丸はこの世界のものと同じ感じかと。ただ……。言っても信じるかどうか」

「今更もったいぶるな」


 沙也加の視線に青年は観念したように息を漏らし、口を開く。


「その拳銃に使用されている魔鉱石に刻印された妖精文字に魔法力を流す事によって、炸裂の魔法バーゼを発動させて威力を高める事が出来ますし、渦巻く魔法セイルにより貫通力を高める事も出来ます。俺は魔法力が低いみたいなので火薬の方が効率が良かったですけど。向こうの世界では火薬は、まああまり出番の無いものでしたね。そんなオモチャ持っているのなんて当時は俺くらいでしたよ、なんせ普通に魔法使う方が効率が良いんで」


「……悪いが、なんというべきか」


 沙也加は茅場の良く回る口に紛れる魔法という単語に言葉を失う。


「……せっかくの非番だったというのに面倒な荷物を拾ってしまった」


 再び電子タバコを咥え一服するも。沙也加の思考は彼の処遇を巡っていた。


 おそらく、茅場的が語る事は事実だ。荒唐無稽の話であろうとも、直感でその判断を下してしまったが故に迷う。


 ここで不審者として新宿署に引き渡すのは容易だが、友人からスマートフォンに送られて来た幾つかの情報と刑事としての勘が、茅場的の扱いを迷わせた。


 実際。非公式だがこの東京にも妖精が現れた、なんて話があるのだ。その一件を知っているのは限られた人間のみで、それだけに茅場的の扱いはもしかしたら重大な意味を持つかもしれない。


「他になにか、そのアドミニアだったか。そこの情報があるものはないのか?」


 沙也加は表情に出さないように気を付けながら探りを入れる。


「ああ、ならこれを。そのうち返してくれれば、しばらく預けても構いません。コートの中、左胸の方に厚めの本が入ってます。いわゆる日記ってやつです」

「変な動きはするなよ」

「しませんよ」

「動いたら射殺するからな」

「こんな状態で逆らいませんよ。というか射殺って日本の警察ってそんな物騒でしたっけ」

「物騒なモノを持っていた奴が言うな」


 沙也加は助手席のシートを倒し後部座席に座る茅場に触れる。そしてコートを手早くチェックすると確かに本のような厚みを確認した。コートの内ポケットの中に手を入れ取り出してみれば確かに、本があった。


 それも市販品とは思えない丈夫で丁寧な装丁の本。

 パラパラとページを捲ってみれば、日本語で書き殴られた日記や雑学がごちゃごちゃと書かれている。アトリ、という単語が頻出するあたり行動を共にしていた人間の名前なのだろう。

 所どころ読めない文字は、彼の言い分を信じるならば異世界の言葉なのかもしれない。


「これはいわゆる黒歴史ノートという奴ではないのか」

「伊庭さん、俗っぽい言葉知ってますね」

「茶化すな」


 ページに触れれば、どの程度の古さなのか、いつ頃書かれたモノなのかがある程度は判断できる。

 この本が一朝一夕で用意出来るものではない事は確かだった。


「異世界。インクのペンがあるんだな」


「そりゃあ。文明的には1800年代あたり。魔法があるお陰で科学的な分野は未熟ですけど生活用品はそれなりのものがありますよ。俺が使ってたペンは師匠に買ってもらった特別製でしたけど、インクペンくらいは珍しいものじゃ無いです。下水道だってありますし。電気となると代替魔法があるもので発展してないですけど。というか、僕は事情があって常に旅をしていたのでそれほど町の事情には詳しくは無いんですけど。魔法があって小妖精が飛んでいる以外は海外の古い町みたいな感じで、案外普通ですよ」


「魔法があって小妖精がいれば普通ではないだろ」

「ふ、まあ、仰る通りで」


 本に紡がれた言葉の数々は生々しく。


「役者に作家。将来有望だな。仕事が無いなら出版社の友人に紹介してやろう」


 沙也加が日記を流し読みしているとスマートフォンが揺れた。


「どうかしました?」

「茅場的。たしかに失踪届が出されているようだ。だが、仮に私がコレを信じたとして。家族にはどう説明するつもりだ? こう言っては何だが、世間の人間は私ほど頭が柔らかいとは言えないぞ」

「……どうしますかね」


 先ほどまでどこか飄々としていた様子の茅場は白い息を吐いた。


「俺。沢山殺したんですよ。その銃で」


 刑事としては見過ごせない言葉に沙也加の眉間に皺が寄る。


「刑事の前で。自分が言っている意味、分かっているのか」


 とても冗談を言っている雰囲気ではない事を察した沙也加は先を促した。


「分かってますけど。仕方ないじゃないですか。武器を向けられて、殺されそうになったら。アドミニアは妖精戦争の最中で。俺も、俺達もどうにか頑張ったんですけど。結局全て駄目になってしまって……。まあほら、海外どころか異世界での殺人ですよ。逮捕する法律なんて無いでしょう」


 茅場の暗い瞳にに沙也加は口を閉ざす。


 茅場は再び外に視線を移し、コツンと窓ガラスに額をつけた。


「東京。ちょっと憧れてたんですよ。高校での寮生活とか、原宿とか。そういえば、それなりに受験勉強頑張ってたっけ」


 茅場はクツクツと笑いながら涙を流した。


「おい」

「俺も薄情ですよ。あれだけの事があったのに、今はこの安全な世界に心の底から安堵している。本当に……」


 それは後悔にまみれた、哀れな男の独白だった。


・・・


 茅場の帰還から数日後、東京に空を覆うほどの翼を持つ竜が現れ都市を破壊しつくした。


 竜に対し米国の戦略核兵器の使用が目前に迫ったが、日本が保有する『世界最新の兵器』が行使され、竜は滅びたが、東京はその姿を大きく変える事となる。


 異世界浸食都市東京。


 かつての世界は、大きくその姿を変えた。

 

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