猫と牛


「シュコニ、行くぞ!」


 走り始めた瞬間、目の前にスキル表示が出た。


〈——たぶん怪盗術:転宅てんたく——〉


 マグじいが現れ、階段の影からフィウが飛び出して執事に抱きついた。外国語で早口に会話する2人を無視して俺とメイドは最下層に突撃する。


 大量の——ざっと百は超えるモンスターが俺たちに気づいた。オーク、ゴブリン、アリ、ホネ、ガーゴイル……あらゆる種類の魔物が牙を剥いたが、警戒すべきは3種類しかいない。


〈——水滴魔術:水風船——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉


 俺は目潰しを狙うシラガウトとツキヨ蜂を水風船で撲殺し、毒の胞子を出そうとしていたトーツポテンをキノコの丸焼きに変えた。


 シュコニが持ってる愉快ゆかいスキルがめちゃくちゃ欲しい。調合スキルも大歓迎だ。俺には解毒魔法や毒消し製造スキルが無いので、警戒すべき第一はデバフだ。


 残りはすべて鑑定がどうにかしてくれる。


〈右から豚王のスイング! しゃがんで回避! 足元に錆びた剣が落ちてるぞ、拾え!〉


 オークキングとかいうやたらでけえ豚が野球の打者を思わせるフルスイングを仕掛けてきたが、ワンナウトだ。俺は拾ったゴブリンの剣を〈印地とうてき〉し、剣は豚王にデッドボールした。


 絶命した豚に押しつぶされないよう、メイドのお姉さんが懸命に回避しながら叫ぶ。


「おおうっ!? ちょ、待てよー!」


 豚には魔術があまり効かないが、イビル・アントを始め、魔法が効く相手は無詠唱の水風船で潰した。効きにくい豚は物理で潰すしかないが——俺の剣術は弱いし、印地スキルにしても、投げるものがない。


「——シュコニ、俺に掴まって!」


 でもまあ、なにも殺す必要は無いんだ。


「ヨチムラカよ!」

〈——火炎魔術:煙幕コグニート——〉


 詠唱するのは恥ずかしかったが、俺の体を煙が包んだ。


(アクシノ、ルートを……!)

〈よろしい、様を付けたな?〉


 連打中の「鑑定Lv3」は視界にテロップで矢印を表示してくれて、真っ黒な煙の中、俺はシュコニの手を引きながら駆けた。地面は根っこだらけで何度か転びそうになったが、煙を抜けるとアクシノが叫ぶ。


〈猫が今、怪盗術を——〉


〈——怪盗術:ダブル・ダウン——〉

〈——怪盗術:ダブル・ダウン——〉


〈——よしッ、子猫は16%の賭けに勝った! すぐそこにいるぞ!〉


 神託の通りミケがいた。7歳の子猫は剣閃の風の面々にガードされていたが、俺に向かって手を伸ばしていた。俺はメイドの手を離し、三毛猫の手を握る。


「にゃ。シュコニ、おひさ——ママたちは倉庫に隠れて!」

「ダメにゃ、ミケ……」


 手が触れた瞬間、三毛猫はスキルを発動した。


〈——怪盗術:転宅——〉


 ダブル・ダウン——成功率は4割だが、任意のスキルレベルをひとつ上昇させる賭けに、子猫は2回も成功していた。


 本来子猫には不可能なレベル7の怪盗術が発動し、一瞬、転生部屋を思い出させる白い光を見た。直後に俺は先程の場所より20メートル以上離れた場所の上空にいて、ミケは〈鑑定・連打〉で体を明滅させながら眠たげな声を出した。


「にゃ。フィウって子はどこ?」

「後で話すよ」

「生きてる?」


 ミケは妙に食い下がったが、お喋りしている暇は無い。


 俺たちは魔物の群れに落下した。三毛猫はひのきのぼうを大きく回転させて360度すべての雑魚を斬り飛ばし、脳内に叡智の神託が響く。


〈鑑定連打中のミケには「おまえの後に続け」と神託している。あっちはLv1で、おまえはLv3の鑑定を連打しているからだ。おまえの方が消費したMPが上だから、ミケはおまえに従うべきだろ?〉


 相変わらず細けえことを気にする女神だ。この異世界に来たゼロ歳からこっち、ファレシラと違って俺に顔を見せなかったので絶対根暗で薄気味悪い頭でっかちの瓶底メガネ女だと思っていたのが、胸が残念な以外は割と美人な黒髪の女神だったのはファンタジーだね。


〈殺すぞ〉


 すみません。


「フィウはマガウルと合流した」


 周囲の敵に水風船を連打しつつ先程の質問に答えてやると、ミケはあからさまにホッとした顔を見せた。嫌な予感がしたが、聞かないわけにはいかない。


「……ところでミケ、村長の狐は? さっき見なかった。ゴリの倉庫が開かれたままだし、ゴリは無事だろうけど……」

「フェネは死んだ。壺を投げたあと倉庫に逃げ込むとき、ツキヨ蜂に20回も刺された。パパと怪盗おばさんが回復したけど間に合わなかった。盾をしていたムサは泣いた」


 胃に鉛が落ちた気分になった。ミケは淡々と言った。


「ギルドマスターは、死ぬ前に、自分の倉庫の床を抜いて中身をわけてくれた。ゴリの倉庫のリビングに村長の倉庫の床部分が口を開けて、秘蔵のアイテムがたくさん降って来た。ゴリの倉庫はモノで溢れた。みんな薬でMPを全快した。カッシェがフェネに預けていた荷物も全部引き取った。ギターも。ミケは……村長にギターを弾いた。弔いのため。バウで練習しておいて良かった」


 子猫は淡々としていたが、振り回す〈ひのきのぼう〉には激しい怒りが込められているように感じた。俺は〈水滴Lv1〉の「ぬかるみ」で敵の足元を撹乱し、転んだスケルトンの首をミケが跳ね飛ばす。


「……ざこどもをみなごろしにする」

〈左からオークが来る〉


 フェネ村長は叡智の女神の眷属のはずだが、アクシノはどこか超然とした声で神託アナウンスを続けていて、俺たちが「首吊りの木」に50メートルほど近づいた時だった。


〈ボスがなにかする——耳をふさげ!〉


 叡智が鋭く警告し、同じ神託を受けたミケが三角耳をペタッと伏せた。


〈——司令オーダー:手出し無用——〉


 スキル表示と同時に鼓膜を破るような牛の唸り声が響き、目の前で和太鼓を打たれたかのように腹の皮が震えた。


 俺やミケに襲いかかっていた魔物たちが怯えたように退避し、俺たちを中心に30メートルほどの無人地帯を作る。


 魔物が取り囲む円の範囲内には父さんたちもいて、怖がるゴリを置き去りに、剣閃たちが走って来た。


「勝手に行くな、馬鹿!」


 巨漢のラヴァナさんが娘に怒鳴ったが、他の全員はそれどころではなかった。



『 8歳までに、ダンジョン・ボスを撃破せよ☆ 』



 ゼロ歳の時、あの邪神から下されたクエスト・モンスターが俺の目の前にいる。


 その圧倒的な巨体が一歩進むたび迷宮の地面が揺れた。


 全長12メートルの巨大な牛は、いわば二本足で動き回る4階建てのビルと同じだ。その揺れはダンジョン中央の大木に伝わり、大量の冒険者を吊り下げた黒い木がミノタウロスの足に合わせて枝を振動させた。麻縄で吊るされた亡骸が枝の動きに少し遅れて揺れ、風化した服や鎧の切れ端をパラパラと降らせる。


 ダンジョン・ボス——ミノタウロスは俺たちをまっすぐ見据えて足を動かし、足元にいた魔物たちは踏まれないよう悲鳴を上げて逃げ回った。


 牛は右手に斧を持っていた。持ち手は電柱のように太く、先に6畳ほどもある巨大な刃が付いた鋼鉄製の斧だ。ミノタウロスはそんな斧を軽く持ち上げると肩にかけ、見上げるような高みから俺と子猫を睨みつけた。


 牙の生えた口元はあざ笑うようにニヤついていて、唇から垂れた唾液は一滴でもバケツを引っくり返したほどの量があり、床で弾け飛んで、鼻が曲がる不快な臭いを撒き散らした。


(……マジかよファレシラ)


 あの邪神、当時ゼロ歳の俺にこんなのを「殺せ♪」と命じてたの。7歳の子猫にコレを「殺れ☆」と命じたニケも大概だ。マジで邪神だらけだなこの世界。


「カッシェ……退却だ」


 肩に大きな大人の手が触れ、父さんが震えた声で俺を引き戻そうとした。それは言外に「おまえだけでも生き残れ」と聞こえる声色で——俺の両親は、俺が密かに邪神と交わした契約クエストのことを知らない。


「父さん、だめだ。ミケが契約しちゃってる。逃げたらミケに〈天罰〉だよ?」

「それは——」


 心配してもらったのは嬉しいが、俺は3層と18層で深い穴を見ていた。あの穴は、冒険者からすればただの落とし穴だが——迷宮をうごめくモンスターには別の意味を持つ穴だった。


「それに、逃げるってどこに? 周りはもう魔物に囲まれてるよ」

「にゃ。カオスが良いことをゆった」


 ミケが俺の隣に立った。子猫はラヴァナさんとポコニャさんを振り払い、俺たちをあざ笑う茶色の牛を睨み返した。


「にゃ……こちらも手出し無用」


 ミケは堂々と言った。どうやら牛は人の言葉が理解できるようで、笑い声を大きくした。


「ミケとカッシェがボスを殺る。ミノタウロスをぬっ殺す! それが『冒険』の女神との約束!」


 7歳の子猫は高らかに宣言し——その瞬間、俺はダンジョンの床に〈印刷〉した。



  ◇



「父さん、それにポコニャさんは書いた通りに詠唱! 俺も唱える——母さんとラヴァナさんもやって!」


 指示が終わる頃には三毛猫がミノタウロスに突撃していた。子猫は自分が突き出した足の反作用でダンジョンの床を割りながら牛に激突し、


〈——豚氏八極拳:箭疾歩せんしっぽ——〉


 10メートル近く飛び上がり、ひのきのぼうを頭上高くから振り下ろした。


〈——邪鬼心示現流:チェスト——〉


 鬼気迫るミケの一撃を牛は鋼鉄の斧で受けようとする。でも、それはやらせない。


「炎よ、ヨチムラカよ——」


 俺は口で詠唱しながら〈無詠唱〉を使いまくった。


(調速、調速、調速に——)

〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉

〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉


 無詠唱の調速で牛の動きを封じ、さらに爆発で両目と両耳を潰す。相手がオークならこれで死ぬはずだが、しかし、ミノタウロスは格が違った!


〈——邪牛戦斧せんぷ術:シールド・バッシュ——〉


 牛は調速や爆撃にひるまず斧の刃を盾のように使い、ミケが振り下ろした棒を——俺が3百万MPを込めた〈ひのきのぼう〉を跳ね返した。


 銅鑼を鳴らしたような鈍い金属音が響き、


〈——邪牛戦斧術:トマホーク——〉


〈カオス、しゃがめ!〉


 牛はさらに斧を投げ付け、巨大な斧は回転しながら地面すれすれを飛んだ。俺は鑑定で回避できたが、見物していた数十体の魔物が肉塊に変わる。斧はそのままダンジョンの壁に突き刺さり、一見、牛は武器を失ったように見えた。


〈——邪鬼心示現流:チェスト——〉

〈——印地:ストレート——〉


 俺とミケはここぞとばかり攻撃を仕掛けたが、ミノタウロスは俺が投げた石を回避せずに受けて跳ね返し、ミケの大剣術は巨体を素早く翻して回避した。牛が体を回転させた風圧だけで転びそうだ。4階建てのビルくらいある巨体は、物理学なんて完全に無視した速さで軽やかに動いた。


 ミノタウロスが右手を高く上げる。迷宮の中央に鎮座する大木の枝が蔓のように伸び、壁に刺さった斧を回収して牛に投げ返した。


 なにそれずるいっ……!


〈——邪牛戦斧術:トルネード——〉


 ダンジョン・ボスは斧を両手持ちしてその場でぐるぐると回転した。見物していた魔物が大量に巻き込まれたが、ミノタウロスは気にも止めない。


「にゃ、強い……!」


 子猫が動揺した声を出したが、それをかき消すように叡智の怒鳴り声がする。


〈狙いは牛だ、ミノタウロスだけだ! 首吊りの木は攻撃するなよ!? Sランク冒険者じゃなきゃダンジョンマスターには勝てないし、おまえらが交わした契約は「牛を殺せ」ってだけだ!〉

「——わかってるよ!」


 つい声に出しながら俺は投石した。回転中の巨大な牛は投石を打ち返し、不運にも打球を受けたゴブリンキングの頭が吹き飛ぶ。


 そのわずかな一瞬、愉快の加護を持つ母とラヴァナさんが自分や仲間にバフをかけた。


〈——回復魔術:火廼要慎ひのようじん——〉

〈——回復魔術:火廼要慎——〉


 それと同時に俺・父・黒猫が、それぞれ脂汗をかきながら怒鳴る。


「「「 ヨチムラカよ! 」」」


〈〈〈 ——火炎魔術:火災旋風—— 〉〉〉


「来なさい!」


〈——怪盗術:転宅——〉


 母が俺の腕を掴み、ミケのしっぽを掴んで20メートル後方に飛んだ。火炎魔術のLv7、巨大な炎の竜巻が3つも発生し——くそっ、ミノタウロスがあざ笑う。


 まあ笑うだろうな。


 鑑定によるとあいつの魔法防御は非常に高い。牛はほとんど日サロ気分で竜巻に突撃して炎の渦をくぐり抜けてみせたが——狙いはテメーじゃねえんだよ、馬鹿野郎!


 木材がきしむ激しい音がして、冒険者の亡骸を吊るした漆黒の枝が火災旋風に怯えた。


〈ギャアアア!? ——燃えるわ、燃えちゃう!! 早く消して、消してったら!〉


 知らない甲高い声が聞こえ、ミノタウロスは慌てて吠えた。


〈——司令オーダー:消火——〉


 見物していた魔物のうち、主にゴブリンが一斉に奇声を上げる。


〈〈 ——濁流魔術:長雨—— 〉〉


 最下層にもなると雑魚のゴブリンですら魔法を使うらしい。燃え上がる枝が消火され、迷宮を水蒸気が包んだ。


 火炎Lv7の3連発はいまいちだったが、時間を稼げたのは間違いない。


「——シーにゃ……☆」


 三毛猫が秘匿スキルを発揮して再びミノタウロスに挑んだ。ミケは消火で大騒ぎする魔物の間を、たぶん怪盗術の〈隙間風〉スキルですりぬけて走り、光り輝く〈ひのきのぼう〉で巨大な牛のひざを狙った。


 今度は有効打になった。


 牛は素早く斧を構えて防御したが、道具としての耐久限界が来たのだろう。ミケの剣は斧の刃を根本から切り裂いた。


 ミノタウロスは持ち手だけになった斧を投げ捨て、徒手空拳で三毛猫に相対した。


〈——怪盗術:ダイム・ベット——〉

〈——賭けに失敗しました。MPだけが失われ、上位スキルは使用できません——〉

「にゃ!?」


 ミケは舌打ちし、それでもめげずに牛の命を奪いに行った。


「にゃ——それならふつーに、お命ちょーだい」


〈——邪鬼心示現流:チェスト——〉


 左半身の上段の構えから、青白く輝く〈ひのきのぼう〉を打ち下ろす!


 しかしウユギワ迷宮のボスは——そこで信じられないスキルを発揮した!


〈——邪牛じゃぎゅう新陰流しんかげりゅう:無刀取り——〉

「……にゃ?」


 ミケによって打ち下ろされたはずの〈ひのきのぼう〉が、いつの間にか牛の手に握られていた。俺やミケには長くみえる棒だが、牛が手に持つと、巨体との対比からドラマーが持つスティックのように見える。


〈——邪牛新陰流:燕飛えんぴ——〉


 視界の端にスキル表示が踊った。


 巨大な牛に握られ、遥か上空から叩きつけられた〈棒〉はミケを直撃し、三毛猫を〈絶対防御〉の壁が守る。〈ひのきのぼう〉と〈絶対防御〉は青く強烈な光を発して激突した。あれが普通の武器であれば絶対防御の壁の前に砕けていただろう。しかしあの棒は俺が7年も——よせばいいのにMPを込めまくっていて、HPの壁を前にしても砕けることが無い!


 そこに最悪のスキル表示が続く。


〈——連続攻撃:燕飛 16連——〉


 2発目の打撃がミケを襲った。まだHPの壁は有効で、続く3発目、4発目までを防御してみせたが、そこで1HPが消費されてしまう。


 ミノタウロスの攻撃は終わらない。5発目——ミケの最後のHPが再び〈絶対防御〉を発動して打撃を防いだが、6発、7発、そして8発目……絶対防御の壁が消えてしまった!



「にゃ、だめにゃ、娘を殺さないで……」



 そして9発目を受けたのは、チェインメイルを装備した、三毛猫の母親だった。


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