「名前」


 鍋でカレーがコトコトと煮え、良い匂いが漂うと、ずっと黄色だった小鬼は赤方偏移し、ついに小さなツノまで生やして言った。


『おい、もう食べられるだろ小僧』

「言葉遣いが……味見ならして良いよ。ツイウス王国のカレーと違うか確認したいし」

『おい駄乳、コイツなんて?』

『失礼な子の通訳はしません』

『……お姉ちゃんごめんなさい』


 通訳してもらったフィウは小皿に和風のカレーを取って舐め、ツノを5センチまで伸ばして「レカ(うまい)」と叫んだ。


『国で食ってたのがゴミに思える!』


 口調はともかくツキヨの蜂蜜や果物、味噌を隠し味にしたカレーは好評で、とろみもあるし別物にできたようだ。


 マグじいさんは〈教師〉で貸し出した無詠唱を使いまくり、残りMPは300を切っていた。MP枯渇で気絶しそうだが、塩をかけた氷の中でアイスクリームの素を混ぜる。


『おお、久々のお米だっ。ツイウスの米は少し細長いね』


 19歳のシュコニはわがままな小鬼のガキとは違い、サラダ用に野菜を刻んだり、ダイコンとキノコの味噌汁を煮込んでくれて、祖国の主食だというコメを炊いてくれていた。炊飯器なんてもちろん無いので、鍋に蓋をしてじっくり蒸らしている。


 俺はレテアリタ語でメイドのお姉さんに聞いた。


「出身はキラヒノマンサだっけ。ドーフーシの料理ってどんなの?」

「んん〜? そうだねぇ、お米はもっと水を多くして煮るかな。そのほうが少しでお腹いっぱいになる。ちょっと贅沢したいときは卵を入れるか、ミルクで煮込んで……そう、お祭りの時は貝とか魚を一緒に煮込むっ! あれがうまいんだ」


 ドーフーシ帝国ではお粥が基本で、パエリアみたいな料理が有名なようだ。


「それと、そう。私の親父はお粥より『おにぎり』っていう変な名前の料理が好きだったね。『海苔』ってのを巻いたお米なんだけど、知ってる?」

「え、ドーフーシには海苔とおにぎりがあるの?」

「うっわ、知ってるのか……ウユギワ村には米も海も無いのに、さすが叡智の子だね。おにぎりは誰でも思いつきそうだけど、海苔も?」

「海藻を乾かして平たくしたやつでしょ?」

「ええぇ……ほんとに知ってるのか。うちの親父は怪しい古物商から高値で買った古文書で海苔の作り方を覚えて——私とか、に食べさせてくれた。ここには材料が無いから無理だけど、久しぶりに食べたいなぁ」

『なんの話をしているんですか?』


 ツノが収まったフィウが口を挟み、シュコニは早口で通訳を始めた。俺はアイスを混ぜながら考え、ふと追加メニューを作ると決めた。


 どうせこのあとトンカツを揚げる。


「——シュコニ、フィウに『魚を取らせて』って伝えて」


 許可を取った俺はシェイク用のアイスをフィウに任せて庭の池に向かい、残り少ないMPに恐怖しながら印地とうせきスキルによるガチンコ漁で淡水魚3匹を捕まえた。地下一階の調理場に戻った俺は——この辺は日本人だな——魔物の解体とは違い、なんら躊躇せず三枚に下ろして天ぷら用の衣を準備した。


 金髪碧眼黒メイドのシュコニが不思議そうに首をかしげた。フィウにわかるようツイウス語で聞いてくる。


『なにを作るの?』

「天むすを……謎の王国ジャパンに伝わるおにぎり一種なんだけど」

『おおっと!? さらに知らない料理? それも、おにぎりの一種?』


 カレーにおにぎりの組み合わせは炭水化物ばかりになるが、常世に捧げるのが目的だし、神が栄養バランスを気にするとは思えない。カレーよりは味噌汁に合うし、構わないだろう。


 変則的なおにぎりだと伝えるとシュコニはカレーの何倍も強い関心を示し、白身魚が天ぷらにされ、天つゆを纏って握られるのを見つめた。自分でも握りたがるのでやらせてみると、俺より上手な三角を作る。


『……親父に教わったんだ。私、料理は下手だけど、これだけは得意で。勘当されちゃったけどね』


 シュコニは言った。


『テンムスか……変な名前だけど、親父はおにぎりが好きだったし、もしかしたら私の「本当の名前」はコレだったりね』

『お姉ちゃん、「名前」を教わっていないのですか? もう19歳なのに……』

『ははは☆ 知らないっ! だからある意味お姉さんは未成年なのだっ。カッシェは13歳になればご両親から「名前」を教えてもらえるだろうけど、私は成人する前に流浪の旅に出ちゃったからね』


 この世界では——少なくともレテアリタ帝国では、人は二つの名前を持っている。本当の名前と神にもらった通名あざなだ。


 その人の本当の名前は両親がつけるが、成人するまでは本人を含め誰にも教えない。


 名無しの子供は代わりに神様がつけた通名あざなを名乗り、神々はその命名権と引き換えに加護を与え、通常、人は死ぬまでその通名を使う。魔物や他人が使うスキルの中には相手を奴隷として隷属させたり即死効果を持つものが存在するが、そういった強すぎるスキルは前提条件として相手の本名を要求するからだ。パソコンでいうログインパスワードだと思えばいい。


 そして、本名を知ることは極めて難しい。レベル9の鑑定でも相手の本名を知ることはできないし、仮に相手の本名を知った上で鑑定すれば、たとえレベル1の鑑定でも、対象は骨や内臓まで見透かされてしまうだろう。視点をもう少し手前にすれば全裸を見放題だ。


 だから人々は神様にもらった通名あざなを使う。名前を与えた神の名において、その名前は凶悪な呪いを跳ね返すからだ。俺の場合は自分で「カオスシェイド()」と命名してしまったが効果は同様で、この名は歌と叡智の神名みなにおいて両親に通知され、邪神さんたちは行き過ぎた魔術から俺を防御してくれている。


 俺は自分の本当の名前をまだ知らない。カオス()は通り名で、13歳——成人するまでは名前を教えてもらえないからだ。


 ガキはアホだしうっかり喋るからというのが理由だそうだが、「タロウ」とか、普通の名前だったら良いなというのがカオスシェイド()のささやかな夢だったりする。


 シュコニが天むすを握りながら言った。


『私はどんな名前だったのかなっ。親父と母さんしか知らないし、私にはもうわからない』


 シュコニはフィウに向けて微笑み、月の生まれで、俺の鑑定Lv9では「両親:不明」のフィウは、髪の毛を深海のような深い紺色に変えた。


「……最後の仕上げにトンカツを揚げよう。シェイクも完成したし、あとは食べるだけだ」


 ついさっき、前人未到の〈鑑定Lv10〉を発動した俺はなにも知らないふりをした。



  ◇



 高級ホテルみたいな倉庫の1階には結婚式場を思わせる豪奢な食堂があり、座るのが怖くなるような繊細な細工が施された椅子や、世界樹を切って作ったような一枚板の巨大なテーブルがあった。食堂を見下ろす位置には座敷わらしのような大理石の女神像がある。


 常世の女神から〈常世の栞〉というブックマークを得ているフィウによると、常世に捧げる料理は、まずは眷属が毒味しなければいけないらしい。ツノを生やし激しく腹を鳴らすクソガキの『絶対そうなんです。ほんとですお姉ちゃんっ☆』という言葉は甚だ信用できなかったが、作法だと譲らないので俺とメイドさんは従った。


『では、乾杯!』


 ツイウス王国に「いただきます」という合言葉は無いが、代わりに酒かジュースを掲げるのが王国の流儀だそうだ。


 子供二人はりんごジュースを飲み、シュコニは食料庫にあったワインを呷って、俺たちはカツカレーにスプーンを入れた。


 俺としてはスパイスが足りず、少々パンチに欠ける味だったが、手持ちの材料が許す限りは美味しくできたと思いたい。


『……! ……!! ……これはヤバい』


 口調が荒くなった小鬼はそれだけ言うと無言で食べ続けた。揚げたてのトンカツをサクサクと噛みながら旨味を重視したカレールーと米を口に追加し、味変としてポン酢のサラダやピリ辛の麻薬たまごにも匙を伸ばす。シラガウト地方特産の唐辛子でヒリヒリしている舌をイチゴシェイクで鎮めると、子鬼のツノが10センチを超えた。


『ヤバい』

「だねぇ……甘かったり酸っぱかったり、びっくりするくらい色々な味がする……」


 語彙力が飛んでる子鬼に比してシュコニはもう少し落ち着いた食レポをしてくれた。


 カレーは少なめで良いとした彼女は味わうようにカツの脂身とカレールーの調和を楽しみ、サラダやシェイクを味わうと、カレーは前菜とばかり天むすを手にとった。自分でにぎったおにぎりのひとつだ。


 惜しくも海苔は無かったが、揚げたての白身の天ぷらを包み込んだおにぎりをゆっくりと噛み、やはり彼女が味を整えた味噌汁を飲んでため息をつく。


「……私の料理史上、最高の出来だっ。私がこんなに美味しいものを作れるなんて……昔、鑑定で『毒』と出てからお粥ばっかり食べてきたけど……教えてもらえば私でも作れるんだ」


 メイドさんが「史上最高」と口にしたのがきっかけか、シュコニが感想を口にすると常世の女神像が白く輝いた。無言でカレーを食べ、天むすにも手を伸ばしていた赤鬼が真っ青になる。


『どうしよう、怒った。常世の女神様が怒ってる……!』


 フィウは高価そうな椅子を蹴飛ばして立ち上がり、慌ててカツカレーや天むすの皿を女神像の前に置いた。サラダの皿や味噌汁の椀は像の前に捧げた次の瞬間には消失し、フィウは最後に〈氷雪〉の詠唱をつぶやいてキンキンに冷やしたシェイクを女神にお供えした。


『女神が怒った? フィウ、毒味してから捧げるのが作法じゃなかったのかい?』


 小鬼のクソガキはシュコニの指摘を無視して指を組み、青い両目をキュッとつむって女神像にお祈りを始めた。叡智から予言を神託されている俺も気が気でなく、成り行きを見守る。


〈……これは激ウマ。どれも知らない味。珍しい〉


 頭の中に知らない女神の言葉が響いた。青ざめていた小鬼が得意げに赤くなる。


〈カツカレーとシェイクで反則なのに、卵まで。卵とカレーを同時に食べるとうまうま〉

「——シュコニ、その卵を女神にあげて!」

「え? うん、いいけど……」


 まだ自分のぶんを残していたシュコニが立ち上がり、麻薬たまごと、ついでにおにぎりの皿を捧げた。


〈おお、天むすもうまうま……卵と食べると幸せ。それに味噌汁が良い。TKG単体では出せなかったうまさ〉


 ややあってまた声が聞こえたが……TKG?


〈叡智アクシノにSP。シェイクの褒美にフィウの倉庫を拡張する。は197MPで良い。それと……いや、なんでもない。教えない。わたしはお喋りのアクシノじゃないから、これで終わり〉

『——終わり? 教えないって、なにをですか?』


 フィウが驚いた顔で質問したが、声はもう聞こえなかった。


『……あの、どうして料理の奉納を? 常世様はなにを「教えない」のですか?』


 小鬼は不安げな顔で俺を見つめ、シュコニも不思議そうに眉をひそめた。


「……シュコニ、訳して」


 俺は言葉を選びながら言った。


「俺はもう寝る」

「はあ?」

『お姉ちゃん、なんて?』

『カオスが「寝る」って……だけど、理由は?』


 カオスって呼ぶな。


「極大魔法の鑑定で疲れた」


 俺は嘘をつきながら残ったカレーを掻き込み、味噌汁で胃に流し込んだ。


「……それと、そう。さすがにフィウの『名前』はわからないけど、シュコニの『名前』はこの世界にも〈月〉にもないよ。常世の倉庫に置きっぱなしの宝箱の中で小鳥が鳴いてる」


 運試しになるが言ってみた。叡智も〈自由にすればいいさ〉と神託していたし、俺は伝えてあげるべきだと思った。


 先輩冒険者のお姉さんは、俺の言葉を聞いた瞬間、顔から表情を失った。


『……お姉ちゃん、なんて? カオスさんはなんて言ってるの?』

「おやすみ。でもすぐに起こしてほしい」


 凍りついたシュコニを残して俺は「再起動」を発動し、テーブルに突っ伏して気絶した。



  ◇



 そうしてカオスシェイドが気絶している頃、冒険の女神ニケは小さな赤い蝶に化け、倉庫から出てきた三毛猫の周りを飛び回っていた。


 ここはダンジョンの中であり、どこぞのゴブリンがこの蝶を潰せば世界から冒険が失われることになるが、それを怖がる「冒険」ではない。


『 最下層にお宝を——わたしの爪を置いたから、ボスをぶっ殺して取りに行け! 』


 赤毛のニケは森で交わした子猫との契約を見届けに来たのだが、非常にハラハラする。


 眷属の安否もさることながら、彼女はぶっちゃけ、25層に宝を


 女神ニケはファレシラ側の神であり、月の侵略地たる迷宮の最下層に物を置くことなんてできない。ンなことができるなら最初から最下層に爆弾でも置いて敵を吹っ飛ばせば良い。


 ——お宝はまだ届かないのか。このままでは約束を守れない!


 ニケが陰ながら見守る前で、緑髪でひょろ長いムサが「閉じよ」とつぶやいた。〈剣閃の風〉たちが最下層から24層へ上がる時、階段に蓋をしていた倉庫が解除される。


 一匹の三毛猫を先頭に、冒険者たちはついに最下層へ——25層へ踏み入ってしまった。


「にゃ。ゆくぞ剣閃。くたばれざこどもめー」


 気の抜ける棒読みで、しかし動作は勇敢に、冒険の女神が秘蔵としている三毛猫は〈ひのきのぼう〉を振りかざしてスキルを発動させた。


〈——冒険術:冒険——〉


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