迷宮の入り口


 多彩な髪色のあるこの世界でも珍しい緑色の髪を持つムサは、曽祖父に少数民族エルフの血が混じる25歳の冒険者だ。村ではもはや熟練とみなして良い凄腕の冒険者である。


 彼より年下の冒険者は、既に大半が死んでいる。


 不運なヤツはあっという間にゴブリンに殺られた。普通のモンスターとは違い武器を扱うゴブリンはルーキーにとって強敵で、「おやつ」や角ウサギしか相手にしたことのない冒険者の半分はゴブリンに殺される。


 邪鬼ゴブリンの試練を生き残っても、力の無いヤツは十代のうちに骸骨スケルトンで全滅だ。


 ゴブリンよりも早く鋭い太刀筋を持つホネに殺される若手は多いし、地名にもなっている〈シラガウト〉が連携すると特に死にやすかった。しかも、先の層にはツキヨ蜂やオーク、ホブゴブリンといったバケモノが待ち構えている。


 そんな村に生まれ、冒険者として25歳まで生き延びた彼は、最高に優秀な冒険者だと断じて良かった。


 ウユギワ村の冒険者の家に生まれた彼は、幼い頃から緑色の髪を褒められてきた。伝説によると女神ファレシラは緑色の髪をしている。星の女神と同じ髪色を持つ少年にはきっと女神様の加護があるに違いないし、将来はCランク冒険者も夢ではないはずだ……。


 まあ実際は歌の加護なんて無かったが、この数年、子供を持って腑抜けたオッサンたちと違い、ムサは村で最もCランクに近い冒険者になっていた。


 基礎レベルはパーティで最も高い23だ。リーダーのナンダカでさえこの数年は21のまま成長していないのに。


 自慢の盾術は、例えイビルアントが相手でも五、六発ならやり過ごす自信がある。レベルで保証された防御力はもちろん、彼が装備する両手の盾と鎧は漆黒の殻鎧シェル・アーマーで、イビルアントの殻を流用した最高級品だ。素材を持ち込んで作ってもらったというのに鍛冶屋からは信じられないほどのカネを要求されたが、独身のムサは出費に耐えられた。


 その防御力はパーティで群を抜いている。オークやアントが2、3匹なら命の心配は無いし、両手に持った盾の守りで仲間の命を救うことができる。まあ、敵がレディなら全力で逃げるけど。


 私生活についても、最近は(本人が信じる限りは)酒場のマキリンと良い仲で、オッサンどものように結婚を夢見ても良さそうな予感がしていた。


 しかしまあ、とりあえずは自分の年齢と基礎レベルを揃えたい——それがウユギワ村のエースたるムサの目標だった。



 彼は現在、死んでいった多くの幼馴染と同様の危機に瀕していた。


 ——ウユギワ迷宮は25層が最後じゃないかな。あっても30層で終わりだと思う。


 それは彼のリーダーたるナンダカが何年も口にしてきた予想だったが、今やその予想は確固たるものに変わっていた。


(あのガキ、次に会ったら殺してやる……!)


 ムサは現在、迷宮の最下層たる25層にいる。


 彼が開いたレベル2の倉庫の中では、リーダーのナンダカを始め、ラヴァナとポコニャがわずかな仮眠を楽しんでいるところだ。


 長年かけて壁や天井、寝具を揃えてきた彼の〈倉庫〉は、ウユギワ村の宿なんかよりずっと快適な空間になっている。16立方メートルの空間は2階建てで、1階はアイテムを置く倉庫とリビング。そして2階は、5畳×2間の寝室だった……。


 独身たるムサの寝床はリビングだった。自分のスキルが作った空間なのに理不尽だったが、彼は一番年下だったし、多数決の結果だから仕方がない。


 そんな〈倉庫〉を維持しつつ、見張り番に立つムサは、1階のリビングの出入り口の前で重圧に耐えていた。


 ウユギワ迷宮の最下層にあって、この倉庫だけがパーティの頼りだった。自分が死んだらパーティが即座に全滅する。


 ムサは眠い目をこすった。倉庫1階のわずか45センチ四方の出入り口を凝視し、巨漢のラヴァナがよくこの入り口を通れたものだと一人笑いして眠気を誤魔化す。


「……代わるよ、ムサ。たぶんMPは全快した。鑑定なんて使えないし、全快したと思うしかない……」


 背後で声がし、ムサはホッとして笑った。


「……うっす。さすがに限界でした……」

「はは。だろうな。そんな顔してるぜ」


 リーダーが起床していた。浅黒い肌で黒髪を総髪にしたナンダカはオーク革の鎧のまま寝袋で休んでいた。ナンダカはやつれた顔で無理に笑い、ムサはそれまで彼が眠っていたリビングの寝袋に飛び込んだ。


「寝る前にこれを食っておけ。前に息子がたくさん作った……なんだっけ? ヨーンとかいう菓子だ。いつまで経っても腐る気配がねえし、『おやつ』が吐いた豆を固めた食い物だからMPが戻る。……叡智様々だな」


 ナンダカはムサの寝袋にヨーカンを投げると細剣を抜いて出入り口の監視に当たった。


 ムサはヨーカンをかじり……驚くほどの甘さに目を見開いて、ありがたく飲み込んだ。さすがは叡智とファレシラ様の御子だ。ファレシラ最高。それとそう、ニケ様もサイコウ。褒め称えるから俺にもHPをくれ……。


 疲れ切った体にヨーカンの甘さを染み渡らせながらムサは目をつぶったが、なかなか寝られなかった。


 ナンダカが見張る入り口から大量の魔物の声が聞こえ続けている。


 野太い鳴き声はオークだろう。別の甲高い声はゴブリンやホブ・ゴブリンだろうが、浅層のようなザコだと思ってはいけない。階層からしてあれはかなり高レベルのゴブリンのはずだし、中には「ゴブリン・キング」の声も混じっているだろう……レディと同格の、致命的な強敵だ。


 声の中にはムサが25層にして初めて目にした魔物の声も混じっていた。ポコニャの鑑定によれば、腹を震わせる声の主は「オーク・キング」で、それよりわずかに甲高い笑い声は……あの化物には〈剣閃の風〉全員が秒殺されるというのが叡智様の鑑定結果だった。


(殺してやる、あのガキ……次に会ったら……!)


 ムサは目を強く閉じて眠ろうとしたが、脳裏に憎たらしい青髪の少女の姿が浮かんだ。


『タスケテ・クダサイ……』


 その少女と遭ったのは、もう4日前になる早朝、迷宮の第5層だった。


 朝一番にダンジョンに入った彼らはサクサクと雑魚モンスターを潰しながら5層まで下り、あのクソガキと出くわしてしまった。


 少女と言ったが、ムサにはアレが本当に人間だったのか自信が無い。



  ◇



 ムサとナンダカ、それにラヴァナとポコニャ夫妻は、その朝、迷宮の5層で青い髪の少女に出会った。


 成人してから毎日のように迷宮を探索していたムサでさえ、ダンジョンでこんな小さな子供に遭ったのは初めてだった。


 年は6歳から8歳くらいだろう。ラヴァナ夫妻の娘と同じくらいに見える。


 少女は背中まで伸ばした髪の色に合わせた青いドレスを着ていて、艶のある上品な生地はかなりの値だろう。他に防具といえるのは肩にかけた白いポーチくらいで、とても冒険者には見えなかった。


 目は黄緑色で、少女は怯えたように視線を左右させていた。


「なんで子供が? ……おまえ、名前は?」


 ナンダカがリーダーとして近づき、剣を収めてしゃがみこんだ。目線の高さを合わせて名前を問うと、青髪の少女はもどかしそうに首を振った。


「タスケテ・クダサイ。……タスケテ」

「どうも話が通じてねえな——ポコニャ、頼む。〈鑑定〉はまだ使うなよ?」

「にゃ。あちしの〈翻訳〉の出番だにゃ? 任せろ。一方通行なのが欠点だが、叡智様から加護を受けた子は、全員このスキルを持って生まれる♪」


 黒猫獣人のポコニャが持つ〈翻訳〉は、相手の言葉を自分の知っている言葉に変換できる。一見凄まじいスキルに思えるが、しかし、その逆はできないのが〈翻訳〉スキルの欠点だ。ポコニャは相手がなにを言っているのかは理解できるが、ポコニャが話す言葉を相手は理解できない。


 黒猫はダンジョンの地面に指でグニャグニャとした適当な線を描き、少女が見えるようにして尋ねた。


「これはなにかにゃ?」

「ワ、イスダス……?」

「にゃ。ツイウス王国の子みたいだにゃ」


 ポコニャの描いた線にはなんの意味もない。これは相手に「それはなに?」と質問させるために〈翻訳〉持ちがよく使う手で、ポコニャは周辺国で使われるすべての「それはなに」の発音を暗記している。


 ポコニャが同じく暗記している「あなたの国の言葉で喋って」を言った。


「にゃ。ビッテシュプレニェン・ニーニャ・ランデスパーハ?」

「え、ア、マイネヴォタ……!?」

「にゃ」


 少女が嬉しそうに外国語を話し、ポコニャは「にゃ」と頷いて好きに喋らせた。ポコニャは聞き取れるのみなので、黒猫の方から質問はできない。


 しばらく話を聞いたあと、ポコニャは立ち上がって仲間に告げた。


「びっくりにゃ。この子はツイウス王国メアリネ王家の娘らしい。家名だけで名前はまだわからんが、ウユギワ村までレベリングに来たけど、ゴブリンの群れに出くわして護衛とはぐれたって」

「王家だと!? なるほどな、カネにモノを言わせてレベリングか……これだから貴族はよ」


 巨漢のラヴァナが嫌そうに髭を撫でた。鉄板を組み合わせた鱗鎧スケイルメイルに古びた黒革のマント姿で、背中に細長い十字架のような大剣を背負っている。


 レベリングは金持ちの貴族が手っ取り早くレベル上げをするために行っている行為で、〈剣閃の風〉も何度か依頼を引き受けたことがあった。


 やることは星辰祭でのオーク殺しと同じだ。ムサたちを雇い迷宮に入った貴族どもは冒険者を盾にして魔物を少し小突く。そして冒険者が魔物を殺す。パーティ戦と判定され、貴族は経験値をゲットする……。


 しかし、そうして稼いだレベルにはあまり意味が無かった。ちょっとした病気でも死んでしまう乳幼児にレベルを与えるならともかく、ろくに戦闘をしていないためスキルレベルは上昇しないし、基礎ステータスの伸びも悪くなる。ナンダカの息子が〈小刀Lv9〉でもミケに勝てないのは、根本的な腕力が伴っていないからだ。


 なのにどうして貴族がレベルを求めるのかというと、レベルは連中の社会的ステータスになるからだった。


 貴族として偉そうに振る舞うために連中は数値上だけのレベルを見せつけ、弱い立場の市民を威圧する。実際レベルが10以上あれば大半の市民は怖がって従うし、レベルの多寡は貴族同士の意地の張り合いにも役に立つそうだ。


 ヒゲのラヴァナが嫁に聞いた。


「で、どこの間抜けが護衛の任務をしくじったんだ? 貴族とはいえ、こんな小さな女の子を置いていくなんて……」

「バウとウゴール、狼の二人だにゃ。突然ゴブリンの群れに出くわして、その中にが混じってたらしい。弟のバウが攻撃をもろに食らったみたいで、そんで二人は逃げてった」

「うっわ、無責任すね……どうします? 連れて帰ればあの犬どもから依頼料を横取りできると思いますけど」

「カネってよりも、こんな子を迷宮に置いてけねえよ、ムサ。俺には娘がいるんだぞ? ——ナンダカ、せっかく5層まで下ってきたが今日は引き返そう」

「にゃ!? おまいらちょっと待つ!」


 と、そこで少女が外国語を叫び、肩にかけた白いポーチから一枚の羊皮紙を取り出した。複雑な模様の描かれた羊皮紙を見て黒猫ポコニャのしっぽが立つ。


「にゃんとッ!? この子〈常世の切符〉を持たされたけど、使い方がわからニャーって!」

「マジすか、切符!?」

「にゃ! ナンダカ、あちしらは引き返すのかにゃ? ならMPをケチらずに鑑定したい。この子の素性もより良くわかるし……この切符が本物なら、ウゴールたちに依頼料に加えてこの切符も寄越せって言えるぞ♪」

「すげぇ……俺も一気に助けたくなってきましたよ!」

「それじゃ、全員賛成だな。この子を連れて引き返そう。ポコニャ、全力で〈鑑定〉を頼む。イレギュラーだが、今回は面白い冒険になった」


 ずっと成り行きを見守っていたリーダーが微笑み、黒猫は少女に〈鑑定〉をかけた。


 ——少女との邂逅は予想外だったが、その瞬間までは、ムサにとって迷宮の日常と言えた。


「ふむふむ、この子は王家の第四王女で……? それに、にゃ、にゃ……!? ——オイおまいら、このガキ、前科に『人殺し』がある!」


 思い返すと、ムサはもちろん全員が「人殺し」という言葉に表情を険しくしたのが良くなかった。少女は周りを囲む外国人の大人が急に怖い顔をしたのを見てしまった。


 少女の髪と目の色が、突然燃えるような赤に変わった。


「くぁwせdrftgyふじこlp……!?」


 少女は怯えながら外国語を叫び、手に持っていた羊皮紙を投げ捨て——。


〈——印地:ストレート——〉


 その瞬間、どこかから飛んできた小石が羊皮紙を突き破った。


〈——くそっ、〈常世の切符〉の効果により、半径5ケドゥアメートル以内の生物や魔物が、迷宮の入り口に転送されます——〉


 叡智の女神様が苛ついたようなメッセージを怒鳴り、ムサたちは一瞬、倉庫の中のような白い光に包まれた。


 持ち主にとっての入り口——あの時、叡智の女神はそこを強調していた気がする。


 とにかく白い光が消えて無くなると、ムサたちはウユギワ迷宮ダンジョンの最下層にいた。



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