豚汁とウェイトレス


 唸るような地鳴りが両耳を貫き、居間のテーブルはもちろん、床も壁も天井もきしんだ。


 おお、地震だ——そう思った俺は、元日本人としてすぐ揺れのヤバさに気づいた。体感で、震度4強かそれ以上だ。俺は冷静に床を見つめ、鑑定Lv1を詠唱した。


「鑑定——」


〈震度5弱です。ウユギワ村のあるレテアリタ帝国は安定陸塊の上にあるため、この規模の地震は四百年ぶりです。この家は平屋で木造のため、かろうじて耐えるでしょう〉


「——ミケ、逃げてろ!」


 震度5弱、と聞いた時点で俺はミケに怒鳴り、三毛猫は怯えたように家を飛び出した。案の定、両親たちが適当に手作りした自宅の壁にヒビが入る。俺は慌てずに居間のろうそくをすべて吹き消し、子猫に続いて外に出た。


 外はもう暗く、月の無い空には星が瞬いている。木々の合間から鳥が悲鳴を上げながら飛び立っている。地面は未だに激しく揺れていて、


「カッシェ! 地面が……」

「大丈夫だ。鑑定によると家は潰れない。ミケの家も——鑑定——うん、平気だ。うちと同じ作りだし。でも裏手の土蔵は屋根が重いし、どうかな……?」

「にゃ、なんで、そんな、平気……」

「平気じゃねえし。いいから落ち着けよ。この村にガラスは無いし、外にいれば怪我なんてしない。俺らにはHPもあるだろ? とにかく揺れが収まるまで待て……」


 ミケはしっぽを逆立てて怯えていたが、俺は恐怖と言うよりも、七年ぶりの苦い忌々しさに唇を噛んだ。


 揺れは次第に収まって、きしんでいた自宅も静かになった。ミケが自分の身に起こったことが信じられないといった調子でつぶやく。


「……家が壊れた。パパもママもいないのに」

「村に行こう。どっちの家も建ってはいるけど、余震が来たら危ない」

「にゃ……? ってなに」

「ろうそくを取ってくる」


 俺は会話を打ち切って崩れかけの家に入り、ろうそく二本とミケのぬいぐるみを回収した。ろうそくに〈火炎Lv1〉の無詠唱で火を灯し、一本をミケに手渡す。


「村の広場に行こう」


 ミケはまだ呆然としていたが、ブタのぬいぐるみを抱きしめ、足元をろうそくで照らして歩き始めた。


 俺たちの家は村の中央から少し離れた場所にある。噴水のある中央広場はいわば商店街で、鍛冶屋や服屋、それにギルドと冒険者が採集した肉や野菜を売る店や宿があり、周辺には店に関係した職人や店員たちが暮らしている。理由は水だ。冒険者ではない人たちには水の確保が難しい。


 村へ続く暗いあぜ道を歩いていると、先程の地震に被災した冒険者やその家族と次々に出くわした。水系スキルや、それが無くても水汲みが苦ではない体力を持つ冒険者は郊外に住むことが多く、俺とミケは知り合いの冒険者一家と無事を確認しあったり、崩れた家で救助を手伝ったりしつつ村の広場に向かった。


 四百年も地震が無かった土地だ。冒険者らの家は設計が甘く、ほぼ全滅で、倒壊した家のいくつかは火の手を上げていた。


 村の中央広場は被災者でごった返していた。



  ◇



 夜の村を襲った地震はウユギワ村の中央にも深刻な被害を出していた。


 広場中央を囲む六軒の大きな商店はそれぞれ被災し、鍛冶屋は手遅れだったし、三階建ての冒険者ギルドもひどかった。完全に倒壊してろうそくの火が燃え移っていたが、他所の建物に延焼しなかったのは水系スキルを持つ冒険者らのおかげだろう。ていうか〈水滴〉持ちの俺も広場に入るなり子猫を置いて消火に参加したし。


 ギルドの消火が終わり、はぐれたミケを探しに行った。


 子猫は半壊状態の服屋にいて、圧倒的な腕力を活かし、ゼロ歳以来久々に見た金髪の少年を瓦礫の山から救い出そうとしていた。俺もすぐ救助に加わり、〈教師〉スキルでミケに〈鑑定〉を与える。子猫は「にゃるほど」と頷きながら効率的に瓦礫を取り除き、どうにか色白の少年を救助した。


 村唯一の服屋「スレヴェル」の息子で、金髪のパルテ少年が両親の元に走った。俺たちと同い年の七歳の少年は泣きながら両親に抱きしめられ、パルテの祖父だという服屋の店主はミケの手を取って何度もお礼の言葉を叫んだ。


「にゃ……礼と言うなら服が欲しい。カッシェのぶんも良い? スキルで少し手伝ってもらった」

「構いませんとも!」


 救出作業で不安な気持ちを吹き飛ばしたのだろう。三毛猫はちゃっかり報酬を要求した。


 豊かな口髭を貯えた服屋の老店主はミケのために被災を逃れたうちで一番上等の子供服を吟味し、俺にも黒革のジャケットとパンツをプレゼントしてくれた。


〈【黒オーク革の上下セット】です。レテアリタ皇帝が早朝に崩御したため市場は混乱していますが、公正な価値は、シラガウト伯爵家が鋳造した標準的なトイメト硬貨で9銀貨バルシ23銅貨カウドになるでしょう。よく鍛えられた革を使っているため特に魔法攻撃に耐性があり——……〉


 うっかりLv5で鑑定してしまったためアクシノが寄越す情報が多かったが、パルテの祖父はほとんどなにもしていない俺にかなりの高級品を譲ってくれた。恐縮してしまうが——皇帝が崩御?


「にゃ……これもいい?」

「もちろん!」


 ミケは真紅のスカート(しっぽ穴付き)や首に巻く赤いリボンタイを受け取り、ついでに淡い桜色のマントを気に入って羽織っていたが、とてもじゃないが俺はあんなに堂々と報酬をもらったりできない。ていうか装備なんて無くてもキミにはHPがあるよね?


 そうしている間にも広場には続々と被災者が詰めかけていて、俺の近くで冒険者ギルドの職員が声を枯らして叫んだ。


「落ち着いて! 村長は今、迷宮に潜っています! どうにかしろと言われても、村役場ギルドとしてはこんなこと初めてで……」


 役所と組合ギルドを兼ねる冒険者ギルドの職員はそろそろ限界に見えた。四百年も地震の無かった土地に防災マニュアルなんて無いだろうし、仕方がないとは思うけど……。


(……転生したのに、こんな景色を見せないでくれよ……)


 転生しようがなんだろうが、そりゃ地震は起きるだろうさ。だけど、なにも生まれ変わった先ですら震災を体験しなくてもいいじゃねえか。


 商店のうち、鍛冶屋は特に被害が深刻だった。夜空を裂くように激しい炎を上げる自分の店の残骸の前で数名のドワーフが呆然としている。背が低く色白でずんぐりとした耳長族のドワーフたちは、鍛冶の腕前で村の冒険者を支えてきた。


(……異世界なのに、なんで地震なんて起きるんだよ……)


 崩れた家屋や燃え盛る火は、否が応にも俺に故郷を思い起こさせた。


 この世界でもう七年も生きてしまったけど——向こうで母ちゃんはなにをしているだろう。……大地震とか起きてなきゃいいな。


「ミケ」

「にゃ?」


 俺はヒーローごっこ中の子供のようにマントを翻す三毛猫に声をかけ、一旦自宅に戻った。



  ◇



 夜の闇が深くなる中、俺は三毛猫と一緒に白オークの肉を切り、ネギや数種類の根菜を切り、土蔵で熟成していた発売前の味噌を鍋に溶かした。村にじゃがいもやコンニャクが無いのが惜しいね。しかし豆腐はたっぷり入れたから、これで充分ウマいはずだ。


 天災のときは豚汁に限る。


 肉屋と八百屋に協力を仰いで作った鍋の前には長蛇の列が並び、道具屋が開放した陶器や木の皿に熱い豚汁が注がれた。


 俺が炊き出しを始めると広場の混乱は少し落ち着き、その後は、炊き出しの効果を理解したギルド職員も手伝ってくれた。例によって「叡智の女神が料理を〈神託〉した」と嘘をついたのも効果的だったと思う。職員たちは調理の手伝いをしてくれたし、叡智の料理スープを味わいたければ列に並べと呼びかけ、混乱していた広場に少しずつ秩序が戻っていた。こういうときに一番大事なのは秩序だ。


「おいそこっ! 喧嘩するなっ、盗ろうとするなっ!」


 職員ではないが、ギルドでバイト中のシュコニが叫んだ。服装は昼間と変わらず、黒地に白のヒラヒラがついたドレスを着ている。このウェイトレスも配膳係として炊き出しに参加していた。


 金髪・碧眼の19歳は、危うくこぼしそうになりながら列の先頭に豚汁の皿を押し付けると、調理係をしているミケに声をかけた。


「ねえ、子供はもう寝たら?」

「にゃ!」


 ずっと眠そうにしていたミケは「その言葉を待っていた」とばかり包丁を投げ出した。夜も遅いし、子猫はとうに限界だったらしい。ショートカットの三毛猫は嬉しそうに言った。


「にゃ。ご存じないかもしれません。実は子猫は寝るのが仕事なのです。本業なのです……」

「ほほう、そうでしたか。ミケはやっぱり眠たかったのね? そんな顔してるよっ」

「にゃ……」


 ミケは疲れた声で鳴いた。パルテ少年の祖父からもらったばかりの桜色のマントは豚の油や野菜くずで汚れている。


「しかし、ちょっと目を閉じるとケンケンどもがうるさい。冒険のニケばかりずるい、我らとも戦えとわめく。三毛猫は目を開いてダイコンを切る。ずっと眠れない……」

「ケンケン? なにそれ」

「にゃ……カオスの野郎も子猫を眠らせてくれない。シェイドはきっとケンケンの同類……」


 ケンケンってのは剣と拳の神々だが、ミケはもう、説明するのも面倒そうだった。言葉遣いにもトゲがある。


「おいカオスって呼ぶな。辛いならミケはもう寝ていいよ。寝なきゃHPやMPの回復も遅くなるし」


 俺は三毛猫に声をかけた。


「にゃ? 哀れな子猫は〈避難所〉に行って良い?」

「そうしろ。クソガキは寝るのが仕事なんだろ」

「にゃにゃ? カッシェは? カオスシェイドもクソガキの一種」


 その名前で呼ぶな、と言いかけた俺は、ウェイトレスのシュコニに遮られた。


「そうだよ、キミもだ。カオスシェイドくん。あとはお姉さんたちに任せ給え……あ、味噌は置いてってね? それが無いと叡智の女神が発明した〈トンジル〉ってのが作れない!」


 アクシノは豚汁の発明者ではないが、シュコニの提案は有難かった。もらったばかりの俺の黒革も汚れていた。自宅で着替えなきゃ良かったぜ。


「……いいの? 俺、このまま朝まで調理——」


 言いかけてあくびが出てしまった。シュコニがたわわな胸を張る。


「よかろう、お姉さんが〈避難所〉まで連れて行ってあげようっ!」


 シュコニは「にゃー☆」と嬉しそうに鳴く子猫と俺の服を引っ張って広場の中央に連れ出した。炊き出しから俺とミケが抜けた形だが、ギルド職員は包丁を手に取り、何事もなかったかのようにオーク肉や根菜を切った。豆腐の製法も伝えたし、甘えさせてもらおう。



 広場の中央、邪神が水を吐く泉の前には多くの親子連れがいて、数人のギルド職員を囲んでいた。


「親は外、子供だけだ! 乳飲み子の親か、風スキル持ち以外は寝かせられない!」


 職員らは五メートルほどのはしごを支えていて、はしごの先には夜空を切り裂くように長方形の入り口が浮いている。〈常世の倉庫〉への入り口だ。子供を背負った職員がはしごを登り、すぐに一人で降りてきた。


 はしごの下には順番を待つ子供がたくさんいたが、シュコニは「トンジル作りの立役者!」がどうのと叫びながら強引に割り込み、はしごを支える男性職員に微笑んだ。


「おい、割り込むなよ」

「まあ、まあ。ほら見て? 私、風が使えますよっ」


 シュコニが手早く詠唱すると風が吹き上がった。黒いスカートが舞い上がり、太ももが際どい感じで顕にされる。ガン見していた男性職員は風が止むと咳払いした。


「……上がれ。MPが無くなったらそのまま休んでいい」

「やった☆ おいでよミケ、カッシェ。一人で登れるよね」


 シュコニはスカートをかばいながらはしごを登り、俺たちは後に続いた。


 玄関のようなゲートからは絶えず風が吹き出していて、くぐると、その先は板張りの廊下になっていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る