極大魔法と地球科学
「——ねえあんたたち、それじゃ、ダンジョンに潜るの!?」
母とマキリンを階下に見送った直後、金髪・碧眼のシュコニは意気込むように叫んだ。7歳の三毛猫がシュコニの十分の一も無い胸を張る。
「にゃ。カッシェも一緒。そこは少し悔しいが、こいつの鑑定スキルは使いたい……」
「鑑定を使う? どういうこと!? ……や、それはいいわ。それじゃあんた、神様との契約を果たすつもりなんだねっ!?」
「にゃ☆」
「ョッ、シャ……!!」
黒いメイド服をなびかせてシュコニはバンザイした。胸元のたわわが揺れる。
「やった! ほんとねっ!? ならポコニャさんも、ナサティヤ先輩だって……! 絶対に子供を心配するはずッ! 〈回復〉持ちがひとりでも多く欲しいはずだよ! 欲しいよね回復っ!? ナサティヤ先輩は、それでババアに相談に行ったのね! そーだよねっ!?」
「にゃ? しらない。子猫には難しい質問」
「なんで!? 必要でしょ回復っ!?」
「にゃー?」
「ニャーじゃないっ! 迷惑そうにすんなっ! あんたの得になる話だし、はっきりしてよ! 中古の鎧を買ったばっかで、私にはお金が必要なの! 返済期限が迫っているのっ! 仲間に入れてよっ!」
「にゃ、にゃー?」
シュコニがミケの黒い耳を引っ張った。武器も無いし、子猫は抵抗できずに耳をもてあそばれてしまう。
〈……おいカオスシェイド。おまえはどうして傍観している?〉
ふと脳内に怜悧な声が響き、俺は仕方なく〈修行アプリ〉から目を離した。
(なんすか叡智さん。あんたも冒険のニケとグルなんだろ? ……俺だけだったはずのクエストにミケを巻き込みやがって)
〈ほほう、つまり叡智たるワタシがあんな脳筋()と手を組んだと?〉
(違うの?)
〈それより回復役が必要じゃないのか。シュコニという小娘は
はぐらかしやがったよ叡智のやつ。ここが地球ならテメーになんか頼らずウィキペを見るかAIに聞くのに! のに!
「ええと……」
邪神の片棒アクシノに促された俺は、仕方なくシュコニに言った。
「俺とミケは『二人でボスを倒す』と約束したので、うちの親も、ラヴァナ家の人らも手伝ってはダメです。シュコニさんも〈天罰〉が嫌ならクエストへの参加はご遠慮ください」
「なぬ……!? でも、そうか……きみらが交わした契約は、そーゆールールなのかいっ!?」
「そうっす」
「ええええ〜〜〜〜っ!? 護衛任務で稼げると思ったのにっ!」
シュコニは悔しそうに歯ぎしりしてわめいた。元気な人だね。リアクションが大きい。
「にゃ……! カッシェ、子猫がいーたかったのはそれ! カッシェは賢い。手助けは不要。その
にゃーにゃーと困っていたミケが俺の意見に賛同した、が……。
どうなのかな、今の?
冒険のニケが課した条件は「7日以内に2人でボスを倒せ」というだけで、その時、誰かの手助けを受けてはいけないという条件は無い。そもそも、俺が邪神ファレシラに指示されたクエストにそんな条件は無いわけだし。
なにより俺やミケの両親が七歳の俺たちを迷宮に放り込むとは思えない。神々がどんなルールを課そうが、きっと無視して一緒に来てしまうだろう。
「……あんたたち、家に帰るわよ」
そんなことを考えていたら母が戻ってきた。その隣にはフェネ婆さんがいて、どこか気遣うような目線を俺とミケに向けている。
ミケが嬉しそうに立ち上がって聞いた。
「にゃ。ギルマスとなんの話した? ミケに冒険者カードをくれる話? カードが無いと子猫は迷宮に入れません☆ それとも、」
「帰ってお昼ご飯にするわ」
母さんは俺たちに質問を許さず、俺たちは家に帰った。
◇
俺が醤油や味噌のついでに麺料理を広めて以来、我が家の昼は麺類が多い。
自宅に着くなり母は「お湯」と指示して俺にうどんを茹でさせ、不機嫌そうに「鳥!」と怒鳴って子猫に肉を切らせ、自分はつゆに漬け込んでいたカラス肉に小麦を振って唐揚げにした。
俺たちはリビングで昼食を取った。
箸を使う俺とミケに母さんは胡乱な目を向け、頑なに素手でうどんを食った。熱くないのと問いたくなるが、鍛え抜かれた冒険者の〈防御力〉は熱湯くらいじゃ指を火傷させない。
「……午後は、さっそく迷宮に行く?」
三毛猫が嬉しそうに好物の油揚げを噛み、母さんに尋ねた。
「武器もHPも無いくせになに言ってんの」
母はそっけない。
「あんたたちは——そうね、カッシェが作ったショーギでもやって遊んでなさい。私はこのあと村の広場に戻って、マキリンや、ババアや受付のゴリとダンジョンに潜る。
「にゃ! ちょうど子猫も
「うるさい。黙れ。いいから大人しくしてなさい! カッシェ、この馬鹿猫を見張るのよ!」
母さんは殺気立ってギルドに戻り、俺たちは自宅で留守番になった。
二人きりになるとミケは気恥ずかしそうな顔を見せ、板張りのリビングにブタのぬいぐるみを置いた。それを枕に、こちらに背中を向ける形で昼寝を始めてしまう。
森で出会った女神ニケを前に俺への対抗心をぶちまけてしまった後だ。気持ちはわからなくもない。短パンから出た三色のしっぽがずっと揺れているので、寝たふりをしているみたいだな。
「……二人でダンジョンに行かなきゃならなくなったね」
声をかけてみると、子猫はしっぽを突っ張らせ、素早く起き上がった。
「にゃ! ずっと迷宮に行きたいとゆってきた。ついにその時がきた!」
「魔物が出てくる迷宮だよ? ……ミケは怖くないの」
「にゃにゃ? どのみちミケは、成人して、13になったら冒険者になるつもりだった。その時が早くなっただけ。冒険は——」
起き上がったミケはいつもの眠たげな目をしていたが、虎柄のしっぽを興奮気味に太らせていた。
「——冒険は、ミケの夢。怖くない。嬉しいだけ。ミケがこうゆう猫だから、冒険のアイツ様もミケに加護をくれたと思う。パパもママもそれを知ってる——ナサティヤおばさんはミケを怒ったけど、二人は子猫を叱ったりしないはず」
七歳の子猫は力強く言い切り、俺は少女の宣言に驚かされてしまった。
ミケが小首をかしげる。
「カッシェは迷宮に行きたくないのか? ……怖いのか?」
「……いや、まあ、今年中に行くつもりだったし、こうなった以上は行くけどさ……」
「にゃ?」
この子の夢は、冒険か。……俺には縁のない価値観だね。
俺は食事中もずっと〈修行〉アプリの画面を確認していた。他人には見えない画面を睨みながら、ずっと「あと五ヶ月しか無い」と抜かしていたくせに、今では「あと五ヶ月もあったはずなのに」という気持ちで焦っていた。
七年がかりで準備はしてきた。しかし、いざとなると不安しか無い。
「……ミケ、俺は昼寝するよ。MPを回復させたい」
「にゃ? ならミケは、外で木登りする。少しでも修行しておく!」
七年も沈黙を守っていたクエストが今日、ついに動き始めてしまった。
俺は自宅の子供部屋に寝転がり、〈修行〉アプリの表示を改めて確認した。
◇
我が家は平屋の2LDKで、玄関から直通の
子供部屋はひとつだが、それで問題なかった。
ほとんどすべての冒険者夫婦は子供をひとりしか作らない。理由は経済的なもので、妻が身ごもると、一、二年はパーティメンバーが欠けてしまうし、その子供が成長して「冒険者になりたい」と言い出したら大変だ。子供のために新品の武器と防具を買い揃えないといけない。
(そうだ……考え方の出発点はそこだ)
俺は自分の子供部屋に寝転がって思案した。
(武器防具は高価だ。だから〈鍛冶〉のスキルを取ったし、身の回りに石ころがあれば戦える〈
俺は自分に言い聞かせながら〈修行〉アプリの画面を睨んだ。
昼間、森で見せたドヤ顔のおかげで久々にSPを得ている。
俺はこの1点をどう降るべきだろう? いよいよ邪神ファレシラのクエストが動き出した今、たぶんこの検討の成否が俺やミケの生存率を決める。
……先のことはわからないけど、そうなる予感がした。
————————————
修行アプリにようこそ。このアプリはカオスシェイド()さんにスキルレベル3までの異能またはアプリを与えます。
現在レベル13の混沌の影()は、1SPと引き換えに、以下の〈
教師Lv2……生徒を二人まで持てます。個別のスキルを教えられます。
倉庫Lv2……MPの20%と引き換えに、約4メートルの3乗だけ
体術Lv2……より実用的で強力な護身術を獲得できます。
水滴Lv2……より大量の水が得られます。Lv9で〈濁流〉に昇格します。
小石Lv1……土属性の魔法が使えます。Lv9で〈岩石〉に昇格します。
電気Lv1……雷属性の魔法が使えます。Lv9で〈雷鳴〉に昇格します。
旋風Lv1……風属性の魔法が使えます。Lv9で〈暴風〉に昇格します。
影Lv1……もし取得したら、神界に爆笑が起きますw
裁縫Lv1……強化した衣服を作り、補修できるようになります。裁断とは異なる能力です。
調合Lv1……毒と薬を作れます。Lv9で〈錬金〉に昇格します。
結界Lv1……発動に魔法陣を必要としますが、詠唱無しに習得済みの技を発動させます。
以下は通常のスキルではなく、叡智の女神謹製の「アプリ」です。
スキルではないため鑑定結果に表示されませんし、使用時にテロップとして表示されません。
大本営……ステータス画面にパーティの状況が表示され、鑑定を偽装可能にします。
再起動……一時的に気絶する代わりにHPとMPが即時全快します。
以下は
極大魔法……成功した場合、惑星と歌声の女神の庇護の下、一時的に神々に比肩する奇跡を起こします。
地球科学……成功した場合、叡智の女神の庇護の下、使用したことのある地球の道具をこの世界に召喚します。オススメ☆
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スキル・レベルを2に上げる修行は、正直どれも必要無い。
例えば〈教師〉はミケ以外に使う相手がいないので不要だ。インベントリを拡張する〈倉庫Lv2〉はMPのコスパが厳しい。俺は生まれつきMPの総量が多いので、Lv1でさえ760も固定MPを取られている。20%なんて冗談じゃねえ。
残った〈水滴〉と〈体術〉は、そもそもSPを使わなければ良かったと後悔しているスキルだ。
ゼロ歳のときうっかり取ってしまったのだが、まず〈体術〉は俺に向いてない。
ウユギワ村には迷宮に出現するオークが使う「
魔法系の〈水滴〉は、〈火炎〉とセットで覚えたスキルだ。ゼロ歳のころはそれが最適解だと思ったのだが、レベルが12に上がり、一覧に〈結界〉が登場したとき激しく後悔した。
魔法陣さえ描けばこっ恥ずかしい詠唱が必要無く、しかも図柄で属性を選べるとか最高じゃねえか。個別の魔法にSPを支払うより断然安上がりだ。これがある以上、風と雷は取る意味が無い。〈小石〉は〈
ちなみに〈影〉スキルは〈結界〉と同じタイミングで一覧に出た。……くそが。
追加アプリはどちらも魅力的で、鑑定偽装が可能になる〈大本営〉は欲しくなることが多いし、〈再起動〉もすげえ欲しい。どちらを選んでも二歳のころから毎日こっそりやってる鍛冶仕事が捗るだろう。もしもSPが豊富にあれば〈裁縫〉は即決だし、できれば〈調合〉も欲しいところだが……。
(……でも、今はユニークスキルだよね……?)
あれこれと考えつつ、俺は自分に言い聞かせるように「固有スキル」の項を見つめた。ほとんど癖で、〈無詠唱〉にセットしている〈鑑定〉が発動する。
〈【固有スキル】とは、対応する加護を得ている術者に対し神々が特別に与えるスキルです。所持しているものは十万人にひとりで——おいカオス、この鑑定結果を伝えるのは何度目かね?〉
アクシノが皮肉ってきたが無視だ。
異世界転生テンプレそのままの「ユニーク・スキル」が一覧に登場したのはつい春先、レベルが13に上がったときだった。
レベル12の時点でSP切れだった俺は〈神々に比肩〉やら〈地球の道具〉という能書きに胸を踊らせ、欲しくてたまらなくなったが、SPがゼロだった。
特に〈地球科学〉は欲しかったね。
謳い文句を信じるならこのスキルは電子レンジや冷蔵庫を召喚できるはずだし、ボクの憧れたる「シャワートイレ」だって呼び出せるはずなんだ。
我が家のトイレは〈スライム方式〉で、これは、村のどの家でも同じだった。
スライムは村でも最下級に位置する魔物で、なにを与えても食べるし、なにを食べても人々の脅威になるほど強くならない。村人たちはその性質を下水処理に利用している。
まずはトイレにしたい場所に深めの穴を掘り、近所でキング・オブ・雑魚のスライムを捕まえて放り込む。そして毎日、欲しいまま用を足し、下水を食べまくったスライムがある程度太ったらぬっ殺して魔石をギルドに売り飛ばし、別のスライムを便器に投げ込む……この仕組み自体は清潔で、俺も否やはない。
問題は、そんなトイレで大を済ませた直後にある。
この村にトイレットペーパーなんぞ存在しないので、俺を含めたスライム水洗の利用者は直下でスライムが蠢くのを感じながら用を足した後、そのまま便座に静止して、下で蠢くスライムがお尻にゆっくり登ってくるのを待つことになる。
食に貪欲なスライムは便座にたどり着くと用を足した後の俺たちを舐め——雑魚なので俺たちを傷つけることは無いのだが、とにかくヌトッと重要な部分を舐め取って、空腹を満たしたスライムはボットン便所の要領で穴に落下する。
生まれてこの方「トイレとはそういうもの」と思っている村人たちにとってスライム水洗は〈常識〉で、誰もおかしいと言わないのだけれど。
(——ふっ、どうやら使う先が決まっちまったな……)
俺に言わせりゃウユギワ村の
ボクはもう、大するたびにスライムに舐められたくなかったし、シャワートイレの清潔な温水がケツを撫でる感触を夢に見て、うっとりしながら「地球科学」にSPを支払おうとした……!
◇
日が傾いても母さんは迷宮から戻らなかった。父さんたちのパーティは思いのほか迷宮の奥深くまで潜っているらしい。
修行アプリにSPを支払った俺に叡智の女神が用意していたゲームは〈知恵の女神の不思議な迷宮〉という名のローグ系で、各種定石を覚えるまでは難儀したものの、色々な戦略が取れて面白かった。25層でボスを殺したらクリア扱いになってしまったのが残念なくらいだ。
俺は久々にプレイした〈
地球じゃ炒飯と袋麺くらいしか作れなかったのに、俺も上手になったものだ。
「にゃ……豆腐がたくさん。今夜は麻婆?」
匂いを嗅ぎつけて三毛猫が来た。いつもの眠たそうな目で、自然な表情だ。女神を前に俺への嫉妬心をぶちまけたことは日が沈む間にコロッと忘れたらしい。忘れた
「麻婆豆腐は明日。ほら、母さんが村長さんを雇ったでしょ。きっと明日には戻ってくるだろうけど、村長さんも食べに来るかも。だからたくさん作ってる」
「にゃ。……すると三毛猫の夕飯は?」
「おからとオーク肉のハンバーグにする」
「にゃ! ミケのは肉が多めで、絶対チーズ入りが良い! ……猫の手を借りますか?」
「ふむ、借りますかな。オークの肉をひき肉にしといてくれ」
「にゃ」
「あと、そう……」
俺は少し言い淀んだ。数日後にはミケと一緒にダンジョンに入る。その時は両親やラヴァナ家の人たちも同席するに決まっているし——なら、これはもう伝えておくべきことだ。
「晩ごはんの後、面白いものを見せてあげるよ」
「にゃ? ……お宝?」
「そうだな、宝みたいなものだ。二歳のころから親にも黙って続けて来たんだけど……もう秘密にしてる意味がない」
「にゃにゃ……!? ニケ様みたいに、カッシェも秘密のお宝を……!?」
「俺の鑑定Lv9によると、売ればこの土蔵があと二軒は建つってさ」
「みゃ!?」
ミケはにゃーにゃー鳴いて聞きたがったが、俺ははぐらかして夕飯の準備を進めた。魔物の肉を食べないとMPやHPが回復しないし、〈鍛冶〉の秘密は晩飯の後で良いだろう。
俺と三毛猫はハンバーグとおからのサラダに麦粥を持って自宅に入り、箸をハンバーグに向けた。
家全体が、唐突に揺れた。
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