第11話 吟遊詩人と女神の奇跡
(理不尽だ……)
転生直後に課せられたクエストをようやくクリアした俺は、ほとんど呆然として、周囲でざわめく村人たちの言葉を聞き流していた。
(どうにか試練を達成できた……だけど、なんなのこの理不尽な
俺は改めて左手を見つめた。邪神ファレシラの〈天罰〉は解除され、黒豚オークの血は母に拭ってもらっていて、視線の先に見えるのは無垢な幼児の小さな左手だけだ。
(理不尽だろ……?)
俺は不満だった。あいつは——あの女神は、俺がどれほど怖かったと思ってる。
(アクシノさんを見習えよ、ファレシラ。〈叡智〉はオークを殺した俺に鑑定Lv3をくれたぞ? なのにおまえはなにも無しかよ。
左手は元に戻ったし、家族の〈天罰〉も回避できたみたいだけど——「おめでとう♪ あなたも家族も死にませんでした☆」で終わりか? それがおまえの
俺が転生したウユギワ村はヨーロッパのどこかに残っていそうな古い町並みで、住人の半分は獣人で、残り半分が人間だった。
耳やしっぽを持つ村人と、肌が白やら黒の村人と……いろんな連中がひとりで黒オークを殺した俺の話をしていたが、俺は疲れていたし、ただ聞き流すばかりだった。
「見たピョン? あのガキ」
「ひとりで黒豚を殺したわ!」
「あのオークが弱ってただけだろ? 俺だって同じ条件なら……」
「……はあ? 酒を飲み過ぎピョン。あの黒豚を捕まえたのはランクEでも最上位のパーティだが、あいつら黒豚を捕まえた代わりに死にかけて——」
「待てよお前ら、〈鑑定の義〉を忘れてないか? そりゃオークくらい倒すだろ。あのガキはファレシラ様の加護だぞ!?」
「「「 おお、ファレシラ様! 」」 ——ピョン!」
「……いやいや、落ち着けよ。違くね? あのガキはずっと鑑定をしてただけのはずだろ」
「鑑定……? 相手はオークよ、それがなんの役に立つの」
「だけどフェトチネ婆さんが——ギルマスのフェネが言ってたじゃねえか。『わしに鑑定できたスキルは、〈鑑定Lv2〉だけじゃ!』って……」
「そういやそうピョン。もちろんあのガキの〈HP〉はすごい。絶対防御のファアレシラ様は偉大ピョン。でも、あいつのスキルは〈鑑定Lv2〉だけのはず……敵がオークだと分かってるなら鑑定は無意味ピョン!」
「ききき、貴様らー! 叡智の女神・アクシノ様の加護を愚弄するのか!」
「うっわ、うぜえ。
「逃げるピョン」
「ああ、もう、義足の狐はホントうざいわね……あのバアさん、
なんだか義足の狐さんに同情したくなる会話が聞こえ、俺は周囲を見渡した。
乳児は毛布にくるまれて、母の腕に抱かれている。
柔らかい布の感触に包まれた俺は、オークの死骸に群がる村人と、死骸の前でふんぞり返る猫と栗毛のヒゲを見た。肉の焼けるいい匂いが広がっていて、ヒゲが村人に焼き肉の串を配っている。
「ニャハハ☆ たらふく食えばいーにゃ、村人ども! しかし我が娘『ミケ』を忘れるニャ!? この串焼きは……」
「ポコニャさん、過度な自慢はよしましょうよ」
「ニャッ!? 黙れムサ! この童貞がー!」
「はああ!? 糞猫ぶっ殺すぞ!? オレ童貞じゃねえし! 俺は全然、違うし……」
「ニャッ、ハッ、ハ……☆」
「ふああ女性が憎い! つうか世界が憎いッ! 結婚してる男も全滅しろ! 死に散らせ!」
「よせよムサ」
「黙れよラヴァナ! このヒゲッ……いやごめんなさいお義父さん娘さんをボクにくださいッ!」
「「 ……死にたいのか変態 」」
「不公平ッ・オブザ・この世界ッ! ファレシラ様ーーーーッ!」
ボクはウユギワ村にムサという同志を発見したが、それはまあ、今はどうでもよかった。俺の目の前では父が〈黒豚〉を剣で捌いていて、俺はアクシノの助言に従ってみた。
「あんえい(鑑定)」
「——カッシェ? なにをしたの?」
体が青白く発光したので母が訝ったが、レベル3になった鑑定は、オークについて新しい情報を伝えてくれた。
〈【オーク】とは——中略——特に黒いオークの肉は神々すらも認める美味で、カオス()の知ってる味で言えば国産黒豚に匹敵します。肉は柔らかく、一部の地域では——〉
「焼けたぞ。まずはカッシェと——ポコニャ、焼けたぜ! 他の子もどうぞ!」
父が小さな串焼きを差し出し、母が受け取ろうとしたが俺のほうが早かった。母は俺に食べさせてくれようとしたのだろうが、それくらい自分でできる。
……言葉を失う旨さだったね。
黒オークの肉は上下の前歯しかない俺でもすっと噛み切れた。しかも噛んだ瞬間、トロリとした甘い肉汁が口内に広がり、肉にふりかけた岩塩と奇跡のようなハーモニーを起こす。飲み下すのが惜しいほどの豚肉はしかし、飲み込んでみると乳幼児の喉を喜ばせ、受け止めた胃袋を歓喜に熱くさせた。こんなに旨い肉、日本で食べようとしたら万券が何枚飛ぶだろう。
父の掛け声にポコニャさんが娘を抱えて走ってきて、その後ろには蝙蝠や狼の子の親が見えた。ポコニャさんは串焼きを娘の口元へ近づけ、俺は初めて「ミケ」の声を聞いた。
「みゃ……?」
三毛猫の獣人・ミケは、小さく鳴いたあとガツガツと肉を噛んだ。それは他の子も同様で、みんな黒豚の焼肉に夢中になる。
〈一部の地域では星辰祭に用意され、新生児に魔物の旨さを教えるために使われています。というのも、この世界の住人は魔物の肉を食べなければMPやHPが回復しないためです〉
鑑定Lv3に嘘はなかった。疲れていたし、俺はたくさん食べられなかったが、ミケや蝙蝠、狼の子の食いっぷりはすごくて、魔物の肉にがっつく乳幼児の姿に周りの大人が微笑む。
「……カッシェもこの味を覚えて、大きくなったらオークを捕まえなさいね。あんたはもう、自分ひとりで倒してしまったけど……ダンジョンに出てくる元気なオークはもっと強いわよ?」
「ふえ?」
母が優しく言った。
「魔物をたくさんやっつけて、こうしてみんなで食べてしまって……世界をひとが住める場所に戻すの。それがファレシラ様の望みだから」
◇
新生児が黒豚を食べ終わるとその周りで自分の番を待っていた大人たちが焼き肉に群がり、白いオークを含め、豚肉はすぐに村人らの胃袋に消えた。
すっかり日の沈んだ村を
お祭りでは他に酒やチーズ、豆を煮込んだ粥などが振る舞われたが、オーク肉と違ってそれらは有料だった。俺がチーズを少しかじっている間に父やヒゲは酔っぱらい、母とポコニャさんが家計について説教を始める。
俺の3倍は黒豚を食ったミケは爆睡している。俺もいくらか眠気を感じ始めた時、ふいに太鼓と歌が止まった。
「おい、吟遊詩人がファレシラ様に新しい歌を捧げるみたいだぞ」
近くにいた村人がつぶやき、母が父への説教をやめた。母は父やポコニャさん一家とともに広場の中央——水を吐くファレシラの石像がある泉に向かい、
「うざいわね……人が多い!」
〈——遁法:隙間風——〉
母がスキルを発動した瞬間、視界にテロップが浮かび、気づくと俺は泉の前にいた。後衛職のポコニャさんが遠くで「ずるい!」と叫ぶ声が聞こえる。
(瞬間移動みたいなスキルなのかな……?)
興味が湧いたが、乳幼児の口はうまく動かず、質問できない。
泉の前には草色の長髪をなびかせるお兄さんがいて、彼が「吟遊詩人」なのだろう。六弦の、フレットのあるリュートのような楽器を構えたお兄さんは、最前列に割り込んだ母を——と言うより、母に抱かれた俺に目を留めた。
年の頃は二十代中盤か。一見するとヒトに見えるお兄さんの両耳は細長く、緑色の髪も相まって、俺には「エルフ」にしか見えない。
(鑑定しようかな……?)
しかし、俺が確認しようとする前にお兄さんはリュートをかき鳴らし口を開いた。吟遊詩人の隣に座った狐の
『——♪ ——ファレシラ——♪ ——……』
エルフはリュートで伴奏しながら歌い始めた。何小節か流れたあと、和太鼓を挟んだ黒い狼の獣人二人がテンポを掴み、静かにドラムを刻み始める。
エルフの歌のほとんどは俺には理解不能だった。〈翻訳〉スキルは通訳に失敗し、俺には意味のわからない言語の歌が聞こえたが……でもまあ、洋楽ってのはそういうものだ。日本の洋楽ファンは英語を始めとする外国の歌に意味なんて求めない。たまに知ってる単語を聞き止めてニヤつく程度で充分だ。歌詞は問題じゃない。
(……上手いじゃん、アニキ……)
俺は異世界の音楽に聞き惚れた。
歌のテーマは邪神ファレシラのようで、たまに〈翻訳〉が成功し「ファレシラ」という語が歌詞が混じるのは玉に瑕だが、エルフの歌はなかなかのものだった。
少なくとも俺よりは歌がうまい。前世ではボーカルに憧れた俺だったが、楽器はともかく歌はダメで……こんなふうに歌えたらと何度夢に見たか知れない。
ドリア旋法の幻想的な伴奏に乗せてエルフのお兄さんは歌い、二人の狼少年が、ここぞというタイミングで太鼓にバチを振るう。
『——♪ ああ、
しかし、ボクがライブを楽しめた時間はわずかだった。
『——その名は——混沌——混沌の影——カオスシェイド——……』
それまではとても良かったお兄さんの歌に、俺がうっかり命名してしまった痛々しい中2ネームが入り込んできた。
……おいヤメロ。……本気でやめて?
歌詞の全容は〈翻訳〉できないが、どうして俺の名前が歌に混じってんの?
「カッシェ……すごいわ! 吟遊詩人さんが、さっきの戦いを歌にしてくれた! この歌は、カオスシェイドの歌よ……っ!」
母が小声で言い、俺は恥辱に叫びそうになった。
——
ライブ中に無駄な声を上げるのはマナー違反だ。それはわかっている。わかっているけど「カオスシェイドの歌」ってなに? やめてくれよ恥ずかしい!
『——カオスシェイド♪ カオスシェイド♪ おお、混沌の影、カオスシェイド……』
エルフが俺のイタい名前を連呼しやがった。やめて。本当にやめてくれ!
——と、村人たちが「おおお……」とうめく。
それまで泉にオゲーっと水を吐いていた邪神の石像が淡く輝き、星と歌の女神()が水を吐き出すのをやめた。口に残った水がヨダレのように顎を伝う。
「……泉が止まった!」
母と同じく最前列に陣取っていた老狐が義足を杖でかばいながら立ち上がり、盛大な拍手を始めた。エルフが歌い終え、太鼓も止まる。村人たちも拍手を始めた。
「奇跡じゃ……!」
ババアが叫んだ。
「見よ! ウユギワ村のカオスシェイドの歌が、ファレシラ様の御心を震わせたのじゃ! 村の衆、泉の水を汲め! この水はおそらく……いや、叡智アクシノ様から〈鑑定〉を賜った! この水は、ハイポーション……! おまえたちの傷を癒やし、MPを200も回復させる神秘の妙薬じゃ!」
「「「 ハイポーション!? 」」」
村人たちが手に壺を持ち、群がるように泉へ走った。それは母も例外ではない。
「あなた、さっきのお酒の空き瓶は!? 私達の息子の歌で湧いたのよ!?」
我が母は泉へ突っ込むようにダッシュし、
「ここにある! ちょっと待て、まだ少し残って……」
「〜〜〜〜ああもう! 飲みなさいよ、早く!」
父が壺を手に泉へ走り、「これは俺の息子のおかげで」どうのと言いながら、他の村人を押しのけて水を汲んだ。
村はほとんど大混乱だ。
泉の水を奪い合う人々は、運良くそれを手に入れれば「ファレシラ様」だの「カオスシェイド」と感激して叫び、手に入れられなかった村人は「ファレシラ様……(泣)」だの「混沌の影……(泣)」と、俺のイタい名前を口にする。
「なうあー!(やめて) あうあー!(ほんとやめて)」
混乱の中、俺は必死に「やめて」と頼んだのだが、乳幼児の声なんざ誰も聞いちゃいねえ。
「——お待ちなさい! 皆さん、聞いてください!」
そんな中、声を上げるイケメンがいた。
エルフのお兄さんだ。彼は鋭く叫び、その声は泉に群がる全員に響いた。
「……なんということだ……」
エルフは震えながら俺を見つめ——え、なんですかその目は。ボクはただの幼児ですけど?
「今……わたしに偉大なる女神から〈神託〉がありました」
アニキは言いながらリュートを俺に差し出した。
「カオスよ……カオスシェイドよ。偉大なる歌の女神が、あなたの歌を願っています」
「はえ……?」
「ファレシラ様が、きみに『歌え』と神託なさった」
エルフのアニキは——いや、ロン毛のオッサンはそう言って俺にリュートを押し付け、
「「「 なんと……!? 」」」
ウユギワ村の村人たちが、耳の割れるような歓声を上げた。
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