第10話 鑑定チート野郎の爆誕


 俺にたやすく打撃をかわされた黒豚は、発狂したように唸って次々と打拳を繰り出してきた。


「あんえい!(鑑定) あんえい!(鑑定) あんえー!(鑑定)」


 左ジャンプで前蹴りを回避し、頭突きを軽く右に避ける。隙を見せた黒豚の左肩をナイフが切り裂き、黒豚は驚いて体を退いた。


「あんえい!(鑑定)」


 鑑定をバンバン連打しているが、俺のMPは四千に近い。なんの問題も無いし、一回あたりの消費量は2から7で済んでいた。得ている情報が〈短い〉からだろう。


「ふぬ(くそ)、あんあ!(鑑定)」


 問題があるとすれば俺の体術だ。アクシノのアネさんは正確に〈鑑定〉してくれているのだが、ゼロ歳の体が鑑定に追いつかない!


 黒豚が逃げたタイミングでナイフを突き出したゼロ歳児は、俺のナイフは豚の腹をちょんと刺しただけで終わった。二、三滴ほど血が落ちる。


(くそが……蜂をぬっ殺したあとすぐ起きて、せめて〈小刀〉を修行してたら……!)


 改めて父・ナンダカのヤバさが理解できたね。なんなのあの父。こんな豚を相手にサラっと剣を振るだけで勝つとかチートだろ。


 だけど俺にだって強みはあるんだぜ、父ちゃん。


「あんあー!(鑑定)」


 叫ぶと、怜悧で美しい声が脳内に響いた。


〈左に逃げろ。分析したがあの豚は右利きで、利き手の外に逃げられるのを嫌う。攻撃は胴体ではなく足を狙え。おまえは幼児でトロいから、そうしたほうが勝率が上がるだろう〉

「うい(了解)」


 鑑定スキルとは、術者の知らない情報を〈叡智の女神・アクシノ〉から教えてもらうスキルだ。


 MPと引き換えに術者が得るのは「術者にとって未知の情報」であるべきで、叡智を司る女神様は、バカじゃねえんだから「術者がすでに知っていること」を何度も伝えたりしない。


 たとえば夕日がなにかを知っている俺が、あえて夕日を鑑定すれば時刻を教えてくれる。こちらの意図を察し、MPと引き換えに術者おれにとっての「未知」を教えてくれる。


 そんなルールの中で、術者がすでに鑑定済みの「オーク」について、再び〈鑑定〉をかけたら……?


 オークという魔物について、俺は一般的な情報はすでに把握している。知らないことがあるとすれば、「このあとオークは俺にどんな攻撃をするか?」とか、「どうすればオークを殺せるか?」とか、「どうすればファレシラから受けている〈天罰〉を解除できるか?」だ。



 叡智の女神は〈鑑定〉を通じ、近未来予知ともいえる〈神託〉を授けてくれていた。



〈確認するぞカオス。ワタシが右と言ったら右に一歩。右! と叫んだら右にジャンプだ。教えてやっているのだから従え——左!〉

「うい!(了解)、あんあえ!(鑑定)」


 ストンピングを回避してみせると、苛ついたように黒豚オークが吠えた。わかるぜ黒豚。体の周りを飛び交う蚊ってムカつくもんな。だけど蚊のほうも必死なんよ。


(アクシノ! さま! もう〈鑑定〉は連打ってことで! 一々詠唱してたら死ぬ!)

〈ふむ、特別だぞ? MPが枯渇するまで連打でいいな?〉

(ちなみにあと何発くらい行ける? 情報量で消費が変わるから予想できなくて)

〈それは計算アプリを使えよ。元々そのために作ったし——この戦いが終わったら、今よりいっそう頭を使え。工夫しろ。おまえは叡智たるワタシの眷属だろ?〉

(〜〜〜〜ケチ!)

〈なんだと眷属のくせに〉


 しかしアクシノは良い情報をくれた。〈この戦いが終わったら〉かよ。この姉御はすでに勝った気でいるし、その予想は、〈叡智の女神の予想〉なのだ。


〈とにかく鑑定を連打だな?〉

「ぅあ! あんあー☆(YES、鑑定☆)」


 叫んだ瞬間、俺の体が青白い光で明滅した。俺を殴ろうとしていた黒豚が閃光に目をくらませる。


〈無駄な鑑定12連発で22MPも使ったが、効果はあったな。目をつぶっている間に近寄れ。ほら、刺せ!〉

「なぁうー!(なるほど)」

〈外すなよバカ、刺せって!〉

「ふぬあー!?」


 叡智の加護を得た俺だったが、やっぱゼロ歳児は弱え。言葉もマトモに喋れねえし、両手は大人の手に比べるとビビるほど小さい。現在俺は母のナイフで格闘しているが、たかがナイフすら、両手持ちしないとロクに振り回せない。


 ——と、アクシノが鋭い悲鳴を上げた。


〈右フックだ! 逃げろ!〉


 警告は聞いたが、体の反応が間に合わなかった!


「「「 ああ!? 」」」


 見物していた村人たちが悲鳴を上げ、俺の胴体に黒豚の右腕が深くめり込む。黒豚が嬉しそうに笑った。だけどね……?


〈バカ野郎! ファレシラ様に感謝しろよな!?〉


 死んだかと思ったが、俺は〈完全に無事〉だった!


 黒豚からのインパクトの瞬間、ゼロ歳児の体は青白い光の壁に守られ、むしろ豚の拳が割れた。白い骨が皮膚を破って突き出し、黒豚の右手がどす黒い血に染まる。


(HPさんマジチート……!)

〈自覚したかね、チート野郎? ——ほら右、そして左、また左だ、跳べ!〉


 ファレシラの邪神からもらったHPが俺の命を守った。怒り狂う黒豚の左拳を〈鑑定〉で回避する。


〈いいか、今のでHPの残りは——〉

「ああっえう!(わかってる) い!(2回)」

〈家族が来るぞ、先を超されるな〉

「あうあーーー!?」


 親父と母親が——やめてよ。いいよ——息子を助けようと懸命に走ってくるのが見えた。


 母は右足をかばってうまく走れなかったが、親父のほうは左手に剣を掲げ、鬼の形相で黒豚と戦う俺を助けようとしている!


「いあいー!(要らない)」

〈言ってる場合か! ファレシラ様は、しくじったらマジで皆殺しにするぞ!?〉


 母はともかく、あと数秒で父は俺の獲物にトドメを刺すだろう。ナンダカの剣が青白く発光している!


 俺の焦りを反映するように、叡智のアクシノが叫んだ。


〈豚に調速!〉

「ぅあ!?」

〈早く! 豚に唱えろ!〉

「なうあ!(調速)」


 黒豚が全身をビクっと震わせた。すげえ。叡智さんマジ賢い。俺も知ってたはずなんだけど、思考加速状態じゃないと〈調速〉って体がビクっとなるのよね☆


「あうあいー!(賢い!)」

〈——いいから、早く刺し殺せ!〉

「ぅぬあーーーーッ!」


 黒豚は〈調速〉の奇襲に体勢を崩していた。俺は両足を踏ん張って跳躍し、右手と——天罰で黒く澱んだ左手でナイフを握り、がむしゃらに刺そうとする。でも——刺すってどこに!?


「あんえー!(鑑定)」

〈ここだよ、クソ馬鹿!〉


 おお、〈鑑定〉ってばマジでチート☆


 俺が〈鑑定〉怒鳴ると、アクシノは俺の視界に矢印を表示してくれた。テロップ機能の応用だ。矢印は黒豚の左胸に輝いていた。


 彼女の狙いは黒豚オークの心臓だった。矢印の直下にナイフを当てると、刃は肋骨に邪魔されることなく皮膚を裂き、肉を裂き——。


(殺した……!)


 俺はほとんど勝利を確信したのだが、


「ッダアアアアアアアア!」


〈——豚氏とんし長拳ちょうけん烏龍ウーロン盤打パンダ——〉


「あんあ!?(パンダ?)」


 黒豚が叫び、左腕を鞭のようにしならせ、その巨体からは想像しがたい速度で心臓を刺そうとする俺の背中に手刀を打ち下ろした! 当たっていたら死んでいただろう。俺が鉄筋コンクリ製でも砕けていたと思う。そうなっただろうな!


 突如現れた青い光の壁に手刀が砕かれ、豚の左手が血に染まった。HPさん、あんた最高。〈鑑定の儀〉でファレシラの加護に騒いでいた村人の気持ちがわかったね。


〈今だ、殺せええ!〉


 アクシノさんが怒鳴り、手刀を回避した俺は黒豚の心臓にナイフを刺そうとした。だが——!


「なっ……ふぁ!?」

〈馬鹿野郎!〉


 巨大な両手が俺を捕まえた。黒豚の両手は絶対防御の反動で両手とも壊れかけていて、皮膚から折れた骨が突き出して血まみれだ。


〈逃げろ!〉


 アクシノが叫んだが、それは不可能だった。


 俺はただのゼロ歳児だ。必死にもがくが、黒豚の握力から逃げられない。まだ致命傷とは言い難いからか、あと1回残っているはずのHPの壁も仕事をしてくれない。


 全身はもちろん、顔面も真っ黒な肉に覆われた黒豚が、唾液を垂らしながら臭え口を開いた。


 噛むつもりだ——俺は自分に迫る巨大な牙や、赤い舌をただ見ている他無かった。


〈——単純暴力:かじる——〉


 アクシノさんとは管轄が別の、テロップだけのスキル表示が視界の端に踊る。


 回避は無理だ。レベル8の乳幼児でもオークの握力には勝てない。俺の小さな頭が黒豚の口に飲み込まれ、鋭く尖った牙が、子供の頭を


〈——首だ!〉


 アクシノに言われるまでも無く、俺はそのとき、俺を食おうとする黒豚の首にナイフを突き立てていた。


 俺の頭を噛み砕こうとした牙は最後のHPかべを前に砕け、黒豚がウッと全身を振るわせる。


 両手で握ったナイフをひねり、俺は黒豚の頸動脈をさらに深く抉った。幼児を捕獲していた豚の両手が緩み、倒れた黒豚の腹をクッションにして俺は両手持ちのナイフを高々と構えた。


(まだ追撃は必要か——?)


 鑑定をしかけた俺に、〈叡智〉から待ち望んでいた神託が聞こえる。


〈はあ、はあ……くそ、手間かけさせやがって……〉


 アクシノさんは息が上がっていたが、すぐにいつもの怜悧な声を取り戻した。


〈——おめでとう、カオスシェイド。おまえはひとりでオークを倒した〉


 叡智の女神は言った。全身の力がどっと抜けた。


〈レベルが2つ上昇した。偉大なる星と歌の女神・ファレシラとの最初の契約は果たされた。存在否定てんばつは、ここに解除された〉


 俺は左手を見た。豚の血で汚れてはいたが、皮膚の変色が消えている。無垢な幼児の手が見える。


〈それに、そうだな……〉


 叡智アクシノは言葉を続けた。


〈よーやくワタシの眷属らしい活躍をしてみせたおまえに免じて、鑑定のレベルを3にしてやろう。このあと黒豚を鑑定してみたまえ。我々にとっては忌むべき星辰祭だが、よい情報が得られるだろう……ほら、家族が来たぞ〉


 母が俺を抱きしめた。両目に涙を浮かべながら体に傷が無いかを調べ、たぶん回復魔法なのだろう、優しい調べの歌を歌った。同じように青い顔をした父が怒鳴るように俺の容態を尋ねたが、母は泣くばかりで呪文を中断しない。



 ……なあ、母ちゃん。


 俺はこの人を「新しい母」だと思って良いかな? 俺みたいのをすごく心配してくれていて、今さら裏切るつもりになれないんだ。



 そうして俺は、クソ女神ファレシラからの最初のクエストをクリアした。


『異世界テンプレ通りが良いし、そうでなければ生きていたくない』


 馬鹿げた願いをしてしまった俺の、これが最初の〈天罰〉だった。



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