第4話 混沌の影の鳴動


 クエスト了承——それを押した瞬間、世界が動き始めた。


「ナサティヤ!」


 怯えた「父親」の声を聞きながら、俺はステータス欄のMPを確認した。


 MP:1001/2,099


 女神は約束通り回復させてくれていて、


「あンあぇーーーー!(鑑定)」


 俺は、「母」に向かって絶叫するように〈鑑定〉を使った。



————————


 名前:ナサティヤ〈ツキヨ蜂の毒〉

レベル:17

 称号:Eランク冒険者、怪盗の加護、癒快の加護、ゴブリンキラー


————————



 よし、予想通りだ。名前の欄にが表示されている! しかし——毒かよ。どうすればいい!?


「ぬぁくお!(こなくそ)」


 俺は籐カゴに寝かせられていたが、体を振ってカゴを脱出した。毛布と一緒に落下した。浮遊感があり、眼前に木の板を張った床が迫る。鈍い音がした。


(痛ぇ……!)


 床にしこたま額を打ったが俺は止まらなかった。全身に気合を入れ、「動け!」と命じ、両手と両足で床にふんばる。


 ハイハイができた。


 時刻は夜——暗い部屋を這い、居間で血を吐く「母」を目指しながら、自分のステータスを確認する。


 MP:940/2,099


 マジかよ、〈鑑定〉って61もMPを使うの? いや、鑑定そのものを鑑定したとき「情報量でコストが変わる」と聞いたから、鑑定した対象によるのか? ——とにかく今は約60MPと考えよう。


 俺は暗算しながら必死に周囲を見渡し、ハイハイを続けた。


 ドアをくぐる。


 居間には血を吐く「母」と慌てる「父」がいたが、人間なんて無視だ。


 女神は「鑑定でどうにかなる」と言った。嘘だったらもう、二度とあいつのクエストなんて受けてやらない。そして俺は——約15回は〈鑑定〉ができる。


 薄暗い居間の壁には木製の棚があり、俺はそこへ向かって鑑定をかけまくった。


〈オークの干し肉です。公正な価格は250カウドで、重さは……〉

火頭雉かとうきじの干し肉です。価格は……〉

〈ヤギのチーズです。価格は……〉〈エンバクの小袋です。価格は……〉

〈岩塩。価格は……〉〈唐辛子の粉末。価格は……〉


 失敗だった。どうでも良い価格の通知とともに合計102もMPが削られ、力が抜け落ちるような虚脱感が襲って来る。ハイハイしていた手足が重くなったが、102MP÷6回を暗算する。どうやら小物は1回17MPで済むようだ。なら、まだまだ連発できる。


「おい、ナサティヤ……どうしたんだよ!?」


 情けなく泣く男が見えた。背はさして高いとは言えず、インドネシアかマレー系を思わせる顔立ちで肌は浅黒い。革製の胸当てをし、腰に細剣をいている——俺の黒髪は父親似で、青い目は母に似たということか。


 俺は居間に置かれた椅子に手をかけ、全力で這い上がった。椅子の前には木のテーブルがあり、そこには素焼きの壺と、カゴに載せられた数種類の野菜が見える。


「あン、あぇッ!」


 再び気が狂ったように叫ぶと、壺は——クソ、「ヤギのミルク」だとわかった。


「あンあぇ……!」


 気持ちが折れそうになりながらカゴに入った野草に鑑定をかける。左端はグラトニー・バインという魔物から入手した豆の袋で、隣はカバジとかいうキャベツに似た野草。続くキノコには期待したが、「トーツポテンの干物」という名の、ただの食用キノコだった。


 テーブルにあるのはそれだけだった。絶望感が胸を焼く。


(鑑定でどうにかなるって……「母」が毒状態なのはわかった。だから必死に鑑定しまくって、を探した。なのに、そんなものどこにも——)


「——お前か!」


 と、そこで「父」の怒鳴り声が聞こえた。腰の剣を抜き、なにも無い空間に振っている。


 俺は父が剣を振る先を凝視した。ツキヨ蜂——すぐに閉じてしまったが、鑑定結果のウィンドウに〈蜂〉という字があったのを思い出す。


「ぅあンえーーー!(鑑定)」


 俺は父が剣を振るう虚空に向かって詠唱した。と同時に、俺は「母」を襲った正体を目撃する。


 スズメバチに似た一匹の蜂がいた。


 体表は黄色と濃い紫の縞模様で、威圧的な羽音を出しながら「父」の剣を回避している。ろうそくに照らされた居間の壁で蜂と刃の影が踊った。


〈ツキヨ蜂の女王は猛毒を持つモンスターです。毒を受けた者は五分以内に適切な治療を受ける必要があります。治癒スキルLv1の「マニコロドーシャ」を詠唱するか、毒消しを煎じるか、もしくは星辰の霊薬を飲ませてください。これ以上の情報については、鑑定レベル2が必要です〉


「あうあいー!?(治癒スキル!?)」


 俺は女神アクシノが朗読するより早く視界に浮かんだ能書きを読み終え、「ホーム」を念じ、現れたホーム画面にあるすべてのアプリを順に立ち上げてみた。


 ステータス——俺の状態を見てどうする。

 作文——テキストエディタだった。解毒には役に立たない。

 絵画——目線だけで絵を描けと?

 計算——表計算ソフトだ。くっそどうでもいい。

 印刷——起動したら「用紙がありません」だとさ。ざっけんな。

 修行——最も可能性のあるアプリだ。だけど……今は修行している時間が無い!



 ——時間、時間だ!



 思考加速中にもっと修行をしていれば。ちんたらと鑑定取得のためのゲームに興じ、無意味にステータスを鑑定してMPを浪費しなければ!


(時間があれば……!)


 再び母が大きく吐血し、俺はパニックに陥った。と、そこで最後のアプリ——ホーム画面の〈手紙アプリ〉に、いつの間にか赤いバッジがついているのを発見する。


〈こんにちわ♪ カオスシェイド()さん☆

 まだSPが残ってますけど、異世界生活は順調ですか?〉


 手紙にはYESとNOのボタンがあって、目にした瞬間——再び世界がした……!


(……! ……!! ……ありがとう)


 心の中でつぶやくと、メールに文章が追加された。


〈助かるって言ったじゃないですか♪〉



  ◇



 ありがたい——栗毛の「母」が吐血の途中で停止し、両目に涙を浮かべる「父」も剣を振る動作を止めた。俺のステータスに「カオスシェイド〈思考加速中〉」が復活する。


 俺はほとんど無意識にスワイプした。回答していないメール画面が消え去り、空中に浮かぶディスプレイにホーム画面が現れる。


 残りMPは391、ほぼ65分の猶予がある。


 すばやくステータスを確認しつつ、俺は焦った。10秒に1ずつMPが無くなっていく。


(落ち着け……蜂の鑑定結果によれば、〈治癒〉スキルのレベル1が要る)


 治癒は俺のスキルにはない。父にあるかもしれないが、鑑定している余裕がない。しかし俺は、母の鑑定は済ませている。


〈【癒快の加護】とは、医学の男神・ナンチャラのおかげで、病気や毒を治療するスキルを与えます〉


 多少記憶が曖昧だが、母にはそんな加護があり——ああなるほど、作文アプリは鑑定結果をメモするのに使えるな。書いておくべきだった。


 しかし、それならどうして「母」は自分を治療しないのか。回復系の加護はあるけど、解毒スキルは覚えていない? ……いや、たぶん違うな。


 答えは母の表情にあった。


 静止した時間の中で母は苦しげに吐血しているが、先ほど蜂を鑑定したとき「治癒スキルを」と聞いたばかりだ。


 吐血しながら自分に詠唱? ——できるわけない。


 母は自分を回復できない。でも、なら、どうすればいい? 俺にあるのは考える時間と、それ以外には……。



 しかない!



〈偉大なる女神・ファレシラの試練にようこそ☆ 調速アプリLv2は、〈鑑定〉の初級みたいなユルい試練ではありませんぞー♪〉


 うっぜえメッセージに対し、俺は「NEXT」をクリックした。


〈よくぞ修行を決意しましたね、勇者よ!

 調速スキルがLv2になれば、ななな、なんと……☆


 楽器の速弾きが容易たやすくなり、早口言葉が得意になります!

 ヽ(*゚∀゚*)ノ♪ワアイ☆


 ……あとそう、わたしから勇者・カオスシェイド()さんに一方的に与えられている〈思考加速〉状態において、カオスさん()はこれまで以上の自由を得られますぞ♪〉


 能書きすらうぜえ。ファレシラはアクシノ様を見習うべきだね。


〈この惑星での「自由」のために、1SPが必要です☆〉


 YESとNOの二択が現れ、俺はYESを選択した。この状況ではこれがベストのはずだ。


〈——調速ゲームがアンロックされました——〉


 アクシノ様の楚々とした声が聞こえ、うざ女神のメッセージが再開される。


〈……それでこそ勇者です。あなたは決して邪道に墜ちず、英雄の道を歩んでください〉


 ん? どうした歌の女神()、急にマジメなテンションだな。


〈絶えし勇者よ、英雄よ——が自ずから選びし険しき道を踏破してみせなさい!〉


 画面に表示された〈OK〉を選んだ瞬間、俺の眼の前に、生前よく見た白と黒が現れた。


 普通の人ならそれをピアノと呼ぶだろう。俺はエレクトーンを習っていたので、ついそっちだと思ってしまったが。


 光る板にボタンとして白い鍵盤と黒い鍵盤が並び、視線を送ると音が鳴る。鍵盤の上部には星空をイメージした黒いエリアがあり、鍵盤に向かって次々と隕石が降ってきている。


〈リズムに合わせて隕石を打ち壊せ!〉


 というダイアログが表示された。


 タイピングゲームに続く俺の修行の第二弾は、ピアノを使った「音ゲー」で——。



(……音楽)



 体感で五分後、俺は〈調速Lv2〉の試練を一発でクリアした。



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