第5話 柊雫

 「あの子は……」

 毎朝の日課のランニングをするために河川敷に着いたところ、長い水色の髪をなびかせている小さなシルエットを目撃した。

 「……まさかな」

 僕はシルエットの正体を確かめようとスピードを上げて駆け寄る。

 「やっぱ……り?」

 シルエットの正体は想像した通り人物だった。

 だがそんなことより僕の思考はとある思いに囚われていく。

 〝なんだその表情は”。目を見開き、呼吸が荒い。そして怯えるような小さく揺れる瞳。

 とても朝の爽やかなランニングとは言いがたい表情だ。

 「大丈夫?」

 居ても立っても居られなくなった僕は急いで水髪の少女に駆け寄る。

 「はぁはぁ、あなたは……」

 少女はこっちに気づいたらしく走るのを止めて息を整える。

 「大丈夫です。いつものことなので」

 柔らかい口調でサラッととんでもないことを言う。

 「いつもここらへんを走ってるの?」

 僕がここに引っ越した後からこの河川敷を走っているが見かけたことがなかったのでそう尋ねる。

 「いえ、普段はもっと奥の方をいつも走っています。今日は気分転換に来てみました」

 あんなに乱れた呼吸をすぐに整えてスムーズに答える。

 「どの位走ってたの?」

 「20分ぐらいですかね」

 少女は上のほうを見て少し考える仕草をしてそう答える。

 「無理しないでね」

 「ありがとうございます。気を付けます。えっと……自己紹介がまだでしたね。私は柊雫ひいらぎしずくと言います」

 柊雫。この名前に思い当たる節はない。昨日のは聞き間違いか?

 「あの、お名前を教えてもらってもいいですか?」

 柊さんは真っ直ぐとした瞳でこちらを見上げながら名前を聞かれる。

 「あぁ、ごめん考え事をしてて。ごほん、僕は出雲大成って言います。よろしくね」

 「よろしくお願いします」

 なんだか寂し気に微笑みながら挨拶の言葉口にする。

 「あの、よかったら一緒に走りませんか?」

 「え、でも……」

 思いがけない誘いに少し動揺してしまう。

 それに柊さんがこれ以上走るのは危険な気がしてならない。

 「ついていけなければ置いて行っても構いませんので!」

 さっきまでと違い覇気が込めらた声でそう言われる。

 「わ、分かった、一緒に走ろうか柊さん」

 「ありがとうございます」

 柊さんは心底嬉しそうに可愛らしい笑みを浮かべる。

 「じゃあ、走ろうか」

 いつもよりペースを落として二人で走りで河川敷を走り始めた。

 

 「はぁっはぁ、なんとかついていけました」

 柊さんは呼吸こそ不安定だったが15分程無事にジョグを楽しそうに走り切った。

 「体力あるね柊さん」

 僕は膝に手をついて呼吸を整えている柊さんに素直な感想を口にする。

 「ペースがゆっくりでしたのでなんとか」

 20分走った後で走り切れたのだから十分すごいと思う。

 「私はそろそろ家に戻りますね」

 「僕はどうしようかな……」

 正直昨日の件や今朝に見せた表情が気になる、もう少し話しておきたい。

 「そうだ柊さん!よかったら途中まで一緒に帰らない?」

 ものは試しにそう提案する。

 「え、あ、……なんっで?」

 柊さんはかなり戸惑った様子で僕は見つめられる。 

 「ご、ごめん、困らせるつもりはなかったんだ。じゃあ」

 僕は気まずい雰囲気に耐えられずに早口で足早に立ち去ろうとする。

 「待って!……きゃっ」

 柊さんは口を小さい丸状に開き、瞳の虹彩が揺らぐ水面のようになっている驚いた?様子で追いかけて来る。

 「だ、大丈夫?」

 転びそうになった柊さんの肩を慌てて掴んで受け止める。

 「すみません。足が絡まって……しまいまして」

 慌てて顔を上げた後恥ずかしそうに俯いて段々と声のボリュームを落していく。

 「ご、ごめん!」

 僕は慌てて小さな肩から両手を離す。

 「いえ、助けてくれてありがとうございます」

 柊さんはお礼の言葉を述べて頭をペコリと下げる。

 「大成君、是非本の感想を聞かせてください」

 柊さんは顔を上げて微笑みながら隣に立つ。

 「え、あ、うん」

 昨日聞いたように下の名前で呼ばれたのと対応の落差でキョドってしまう。

 「出発です」

 柊さんは進行方向を指差して小さく跳ねながら可愛らしい声でそう言う。

 「出発」

 ホッとした僕は聞こえない声でそう呟いて歩き出した。

 

 「信託の記憶メモリーはどうでしたか?」

 「面白かったよ。ただ敵の能力の詳細がいまいち分からないから理不尽さが際立ってたかな」

 能力をベラベラ喋るのもどうかと思うが、詳細が分からな過ぎるのも問題だと思った。

 「出雲君もそう思いましたか!私もそう思いまして少し調べたところですねこの本は修正版らしいのです」

 「修正版?」

 「はい、この本の初版は空白の300年が終わってからすぐだそうです」

 「それは設定というわけじゃなくて?」

 もしそれが事実なら空白の300年の話であることが現実味を帯びてくるな。

 「れっきとした事実らしいのです。そして世界にある全ての初版の本を回収して処分されたという話です」

 「世界にある全てを回収?何のために?」 

 かなりきな臭い話になりワクワクしてきた僕はそう尋ねる。

 「本に書かれていた能力の情報を規制するため。というのがよく言われる話ですね」

 なるほど、だから極端に能力の説明が少ないのか。

 「世界政府が全世界で規制した本か、ワクワクする話だね!」

 「そうですね」

 柊さんに笑いながらそう言われる。

 「変なこと言ったかな?」

 笑われることを言ったつもりはないのだが。

 「ごめんなさい。子供のように無邪気だったので」

 楽しそうな柊さんは目元に涙を浮かべて無邪気に笑っている。

 「ごほん、ではワクワクする話をしましょう」

 柊さんは笑いながらそう言って人差し指を立てる。

 「この本は探索系の勇者の能力で何十年もかけて全ての本を回収されたと言われていますが、一冊だけ政府の目を逃れたらしのです」

 「一冊だけ……どうやって逃れたのかな?それに残りの一冊はどこにあるんだろう!」

 僕は思わず声のトーンを上げて尋ねる。

 「残念ながらどちらも明確には分かっていません。ただ勇者の能力に対抗していることから別の勇者の能力といわれています」

 「ロマンがあるね」

 父さんと母さん聞いてみたくなるほどに心をくすぐられる内容だった。

 「大成君、私はここで失礼します」

 様々な本の話をしながら歩いていると赤い屋根の一軒家の前で止まって別れの言葉を口にする。

 「大成君!また学校で」

 手を振りながらそう言われる。

 「また学校で」

 微笑みながら手を振ってそう言えた。

 「居心地よかったな」

 柊さんと別れた後素直な感想が口から出た。


 「お帰り雫」

 「ただいまお父さん」

 大成君と別れて家に入るとキッチンの電気をつけるお父さんに出迎えられる。

 「今日は元気そうじゃないか、何かいいことでもあったの?」

 「いつもは行けなかった所に行けたんだ」

 大成君に会えたからとは言えず適当な噓をつく。

 「凄いな雫!運動が苦手のお前が3ヶ月も続けるなんて感心感心」

 お父さんはそう言って嬉しそうに手を叩く。

 「朝ごはんの当番をさせちゃってごめんね」

 「気にするな、親として子供に我慢させるわけにはいかない」

 ありがとう。とお礼を言った後浴室に入って蛇口をひねる。

 「本当に久しぶりに大成君と本について話せました」

 シャワーを浴びながら浴室の鏡に映る長らく見なかった幸福に満ち溢れる私にそう呟く。

 「学校でも話したいな」

 この些細な日々が出来るだけ長く続けられますように。そう思いながらシャワーの水を止める。

 「雫、お母さんを起こしてくれるか?」

 髪を乾かしてリビングに向かうところでお父さんに頼まれる。

 「分かった」

 私は返事をして寝室に向かう。

 「お母さん、朝ごはんができたよ」

 「あうぅあぁ?いぃやー!こな、こないでぇ」

 細くなった腕で自分を抱きしめるように身を震わせるお母さんに声をかける。

 「お母さん、私だよ安心して」

 私はそう言ってお母さんの震える手を両手で包み込む。

 「し、ずく。にげ、あぅあっぁ」

 「もう大丈夫だから、もう悪夢は終わったから」

 私は優しく私よりも小さく縮こまるお母さんを抱きしめる。

 「やぁ、だあっうぅ。かえぇ、なつっみ!。しぃずっく、めぇをあっあ」

 いつも以上に泣き叫ぶお母さん。

 「もういいんだよお母さん。そんなに苦しまなくて」

 そう言って頭に手を添えようとする。

 「嫌ぁ。触っちゃだめー!」

 お母さんは発狂気味の大きな声を出して私を突き飛ばす。

 「どうした?雫」

 あまりに大きな声だったので慌ててお父さんが駆けつけくる。

 「大丈夫かい?」

 「大丈夫だよお父さん、お母さんをびっくりさせちゃって」

 頭を抑えてうずくまっているお母さんに微笑みながらそう声をかける。

 「……似てきたな」

 お父さんは私の顔を見て少しうれしそうにそう言葉をこぼす。

 「ごほん、なんで頭だけは拒絶するんだりうな。……まあお父さんは触れることもできないけど」

 お母さんある日から基本的に私以外を拒絶する。それがお父さんであっても。

 「お母さん。ごめんね頭を触ろうとして、もうしないから落ち着いてね」

 私はそう言ってお母さんの手を取って身体を支えてリビングに向かう。

 「いただきます」

 朝ごはんが並んだテーブルで三人で声を揃えて食事を始める。

 「こんな形でごめんねお母さん」

 お父さんはそう言って〈機能の固定〉を発動させてお母さんと一緒に食事を取る。

 「雫。今日から本格的に学校が始まるのだろう、家のことは気にせずに高校生活を楽しんでくれ。……中学校では無理をさせてしまった。」

 食事を終えて身支度を終えた後お父さんは申し訳なさそうに頭を下げる。

 「気にしないで。お母さんも落ち着いてきたし程々に楽しむよ、それにまずはお友達を作らないとだし」

 「雫なら大丈夫さ!」

 お父さんは元気づけるようにグッドを作って声をかける。

 「行ってきます夏美なつみお姉ちゃん」

 玄関に置かれている写真に手を合わせてそう声をかけて家を出た。

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