山の路地裏

@ubazame

第1話

山の路地裏

                      うばざめ


 こっちへおいき あっちへおいき

 よく見て 聞いて 小さな声

 物の怪には見えないよ

 こっちへおいき あっちへおいき

 物の怪には見えないよ

 偉大な森が 守ってくれる

 よく見て 聞いて 小さな声

 山の路地裏 教えてくれる

 物の怪には見えないよ

 こっちへおいき あっちへおいき

 よく見て 聞いて 小さな声





「あーあ! 疲れた!」

 一人の女の子が、大きく伸びをしながら叫びました。赤いランドセルの、小さな子です。さながら、小学校から帰っている途中なのでしょう。けれど、おかしいことに、女の子の周りには、誰もいません。田んぼに囲まれた細道を、女の子は一人で立っています。田舎だからでしょうか、はたまた友達がいないのでしょうか。女の子の頬には、大きなガーゼが一つと、膝小僧には、絆創膏が貼ってあります。

「あっ。おばちゃーん!」

 女の子は誰かを見つけたのか、手を振りながら走り出しました。

「あらぁ、あこちゃん! 学校の帰り?」

 田んぼで作業をしていた中年のおばさんが、太いお腹をねじって女の子の方を振り返ります。

「そー! おばちゃん今日の仕事は終わったー?」

 女の子は田んぼに落ちるかと思うくらい、身を乗り出しました。

「終わったよ。ちょうど帰ろうと思ったところだ。一緒に帰るかい?」

「うん!」

 女の子は大きく返事をして、跳ねるような足取りで畦道を通りおばさんのそばへ寄りました。そして、しゃがんでかちゃかちゃと音を立てながら、農具を片付け始めました。

「手伝う!」

「あらぁ。いつもありがとうね」

 よっこらしょ、と声をかけて、おばさんは田んぼから重そうに体を引き抜きました。

 女の子は、おばさんが作業着を脱ぐ間に、ほとんどの農具を丁寧に束ねてしまいました。

「よし。じゃあ行こうかね」

 おばさんが、笑って足を踏み出そうとした途端、女の子は思いっきりおばさんに体当りしました。

 「おっとっと」

 バッシャーン! と大きな音を立てて、女の子とおばさんは田んぼに倒れ込みました。泥まみれになりながら、女の子は心配そうな顔でおばさんの顔を覗き込みました。

「ごめん。おばちゃん。大丈夫?」

 おばさんは目をぱちくりさせて、女の子のことを見ました。

「大丈夫だよ。でも、どうしたんだい?」

 女の子に引っ張られ体を起こしながら、おばさんは優しく聞きました。

「あのね、この子が踏まれそうになっちゃったの」

 そう言いながら、女の子がしゃがみ込む。そこには、小さなアオガエルがいました。

「そうだったのかい。それじゃ、仕方ないね」

 泥が付いた顔で、おばさんはニカッと笑いました。女の子も、つられて安心したように、へにゃりと笑いました。

「汚れちゃったね。おばさんの家で洗っていくかい。ついでに夕餉も一緒に食べるかい?」

 それを聞いた女の子は、いいの?と嬉しそうに顔を輝かせました。


 周りが、少し暗くなってきました。おばさんと女の子は、楽しそうに何かを話しながら、ゆっくりと道を歩いています。

「おらよっ!」

 突然、声がしたかと思いきや、女の子が転びました。そのそばを、男の子二人が、走り去っていきます。男の子達が、女の子を思いっきり押したのです。男の子達は結構な距離が離れると、くるりと振り向きました。

「やーい! キチガイ! カエルから生まれた女!」

「泥の中に埋まってろ! キチガイ!」

 ケタケタと男の子達が笑います。

「こらぁ! 馬鹿どもぉ!」

 おばさんは怒声を上げながら、大きく振りかぶって笊を投げました。笊は、笊とは思えないほどの速さで飛びましたが、男の子達には当たりませんでした。男の子達は、わっ、と笑いながら走り去っていきました。

「大丈夫かい?」

 手を貸しながら、おばさんが問います。女の子は、小さく頷きました。そのままうつむいてしまった女の子を、おばさんは心配そうに見ます。

「原因はあの事かい?」

 また、女の子は小さく頷きました。

 女の子は小さい頃から生き物が大好きで、よく虫たちと話したり、猫と昼寝をしたり、木にもたれかかって歌ったりしていました。そのせいか、同い年の友達が全くいませんでした。小学校に上がってからは、仲がいい友達ができて、女の子は、少し浮きながらも楽しく過ごしていました。

 事件が起きたのは、ほんの数日前です。学校の帰り、いつも通り友達と帰っていると、道端にたくさんの子供達が集まっています。女の子達は、不思議がって、そちらへ寄っていきました。

 そこには、足の千切れたアオガエルが。男の子が、そのカエルを持ち上げました。そして、もう一つの足をむんずと掴むと、思いっきり引き抜きました。

 女の子は、魂が抜かれたかのように立ち尽くします。けれど、次の瞬間。大声をあげて男の子を突き飛ばしました。そして、般若のような顔をして暴れまわり、その男の子を殴りました。

 そして、その次の日。女の子の周りには、誰も寄りませんでした。仲が良かった友達も、女の子を無視するようになりました。それどころか、女の子を突き飛ばしたり、叩いたり。酷いときには、石を投げられてしまいました。それは、クラス、学年、学校、と広がっていき、ついには、村の人たちからも、酷い扱いを受けるようになってしまいました。小さい村です。噂はあっという間に広がります。それも根も葉も落ちた。女の子は、村の大部分の人達から、いじめられるようになってしまったのです。


「もうやだぁ!」

 女の子は、声をあげて泣き出してしまいました。おばさんが、その小さな頭を優しく包み込みます。つらいねぇ。ひどいねぇ。とぽんぽん背中を叩いてあげます。

「東京に行きたい」

 くぐもった声に、おばさんは、え? と聞き返しました。

「東京だったら! 広いしたくさん学校あるし。村の人からいじめられることもない!」

 涙を流しながらも、ぎゅっと眉を寄せて言う女の子の姿を、おばさんは驚いた顔で見つめました。そして、悲しそうに笑います。

「そうだねぇ。あこちゃんは賢いね。でもねぇ、東京は遠いからね。あこちゃんが大人になったら行こうね」

 女の子は、ボタボタと涙を落としています。服を握りしめて、唇を噛み締めました。

「……そうだ!」

 そう言うなり、おばさんは軽々と女の子を抱き上げました。

「明後日、二人で東京に行ってみようか!」

 おばさんの大きな声が、あたりへ響きます。

 女の子は泣いているのも忘れて、ぽかんとした顔でおばさんを見つめました。

「ほんと?」

 濡れた瞳が、きらっと反射します。

「本当さ。朝早くから車でこの村をでて、そんで電車に乗ろう! その後新幹線に乗って、東京に行こう!」

 女の子の瞳が大きく揺れました。

「で、でも。学校は?」

「休んじゃおう!」

 また、女の子の瞳が大きく揺れました。そして、少し時間がたった後に、

「うん」

 女の子は、目から大粒の涙を溢れさせて、笑いました。

 その笑顔を見て、おばさんは安心したように、肩の力を抜きました。そして、女の子をおろして、農具を持ち直します。

「さて、そうとなれば急いで帰ろう。もう周りも暗くなってきたし。明後日の話は、夕餉を食べているときにしよう」

「うん!」

 女の子は大きく返事をして、走り出しました。そして、おばさんが投げた笊を拾ってもどってきました。

 女の子は、その笊をぎゅっと胸に抱きました。

「おばさん。ありがとう」

 そう言ってへにゃりと笑いました。

 その頭をおばさんは優しく撫で、笊を受け取ります。

 ふと、何かを思うようにおばさんは女の子を見つめました。

「……あこちゃん。今、何歳だい?」

「7歳だよ?」

 そう女の子が言うと、おばさんはつっ、と顔を歪めました。

「どうしたの?」

 女の子が問うと、おばさんは複雑そうな顔をして、けれどすぐに真面目な顔になって女の子の前にしゃがみ込みます。

「いいかいあこちゃん。よく聞くんだ。明日東京に行くためには朝早くにでなきゃいけない。少なくとも朝の3時にはここをでなくちゃいけないんだ」

 女の子は真剣な顔で頷きます。

「この村にはね、古い言い伝えがあるんだよ。丑三つ時に外に出ては行けないと。もし出てしまったら、妖怪に連れさられてしまうってね。私の姉も……」

「知ってるよ。でも、そんなの聞いたことも、見たことないよ?」

 おばさんの顔が複雑そうに歪みます。しばらくの沈黙のあと、おばさんは長く息を吐き出しました。

「そうだね。その通りだ。こんなにかわいいから、妖怪に目ぇつけれるんじゃないかって、つい不安になってしまってね」

 おばさんは、女の子の頭の上に手を乗せて、優しくほほえみました。女の子は、へへ、と笑いました。それから、大丈夫だよ。と呟きました。

 おばさんはもう一度、そうだね。と言いました。

 次の日。女の子は、とても軽い足取りで、学校へ向かいました。いつもなら、学校に近づくにつれ、重くなる気持ちは全くありません。学校が見えてきました。

 一人の女の子と、目が合います。少し前まで、友達だった子です。二人は立ち止まりました。けれど、友達だった子は、すぐに目をそらして、別の友達と歩きはじめます。それを見て、ぐっ、と女の子は唇を噛み締めました。

「あのさ!」

 女の子が大きな声で友達を呼び止めます。女の子は、ずんずんと友達に歩み寄りました。

「明日東京に行くんだ。朝三時から。一緒に行かない?」

 女の子は強く目を瞑りました。

「やだ」

 一言。その一言で、女の子の勇気を振り絞って出した言葉は、無惨に消えました。

 歩き去っていく友達を見て、女の子は、目を見開いたまま、立ち尽くしていました。わくわくとした気持ちは、消えていました。


 白い霧が立ち込めるなか、がらがら、と小さな音して、女の子が家から出てきました。女の子は、音を立てないように、そうっと家から離れると、勢いよく走り出しました。あたりはまだ暗くて、静まりかえっています。

 少し走って、ふと、女の子は立ち止まりました。何かが動いた気がしたからです。女の子の脳裏に、おばさんの言葉が思い浮かびます。

 …………違う。人だ。

 それも、棍棒を持った。

 女の子の顔から、血の気が引きました。

 なんでこんな時間に

 女の子は浅く息を吸いました。棍棒を持った人が、見覚えのある人だったからです。

 その人は、殴られた男の子の、お兄さんでした。その周りにいる人達はお兄さんの友達でしょうか。

 なんで、なんで

 私が、東京に行くなんて、おばさんしかしらないは、ず。

 女の子は大きく目を見開きました。そして、つ、と顔をしかめました。

 胸が、痛い。怖い。

 女の子の脳裏に、石を投げられた光景がひらめきます。

 女の子が、一歩後ろに下がりました。

 パキンッ。

 音が、響き渡りました。

 皆が女の子を見ました。にやり、とお兄さんが笑います。

 女の子は咄嗟に踵を返して走り出しました。後ろで、たくさんの足音がします。けれど、誰も声を発していません。女の子は、一瞬だけ振り向きました。自分より大きい人が、恐ろしい顔で笑いながら、追っています。これなら、妖怪のほうが幾分かマシ。と女の子は思いました。

「待てよぉ! 半妖!!」

 肺が、痛くなるくらい全力で走っているのに、足音はだんだんと近づいています。女の子は、苦しさのあまり、ぎゅっと目を瞑りました。 

「こっち! こっちぃだよ!」

 女の子がパッと目を開けると、知らない男の人が森の中から叫んでいます。女の子は、方向転換して、その男の人の元へ走りました。女の子が伸ばした手を、男の人が強く握りました。

「こっち!」

 そう言うと、男の人は女の子の手を引いて、ぐんぐんと山の中に入っていきます。男の人の一歩は大きく、女の子の3歩分の大きさです。跳ねるように歩く男の人に女の子は必死についていきました。男の人の背中は細くて、服は色褪せた緑色のパーカーを着ています。女の子は、なんだかこの男の人をどこかで見たような気がしました。

「ちょっ、ちょっと! 待って!」

「な、に?」

 男の人はようやくとまりました。女の子はむせるように息を吸いました。その間、男の人は、女の子の背中を、ぎこちなくさすってあげていました。

「だ、いじょ、ぶ?」

 男の人が聞きます。なんだか変なイントネーションです。

 うん、と女の子は頷こうとして口をつぐみました。近くで、物音がしたからです。そちらの方を向くと、木々の間から先程追いかけてきた人達がいました。咄嗟に女の子はしゃがみます。とても走ったと思っていたのですが、あまり離れていなかったのです。男の人が、女の子にならってしゃがみます。

「だい、じょ、う、ぶ。あっち、からこっち、は見えなぁい、よ」

 女の子が怪訝な顔で男の人を見ます。男の人は、にへら、と不器用に笑いました。

「やまに、は、みち、がある。ひと、はそれをえらぁ、ぶ。だが、ら。ぼ、くたち、は。うら、をえ、らぶ。む、かし。のひ。と。し、ってた。やま、の。ろ、じ、うら。って、よんで、た」

 女の子は、不思議な気持ちで、男の人を見ました。

「山の、路地裏」

 男の人は、また不器用に笑いました。

「こっち。おん、な。ひと。まぁ、ってる」

 男の人に、手を引かれて、女の子は立ちます。なんだか、白昼夢のような感じで、女の子は手を引かれるままに、歩いていきました。

 手、あったかい

 ひどく、安心する。

「つ、いた」

 男の人の声が聞こえて、女の子ははっと目を覚ましました。

「あ、ありがとう! えっと、お礼を・・・」

「じゃ、あね」

「待って! あなたは誰? 名前は」

 にこりと男の人が笑います。寝ぼけているような、下手くそな笑みです。

「きみぃの、父お、やぁ。たにぐぅく」

「え?」

 男の人が、女の子を押しました。力強く、けれど優しさを感じる手つきで。

 女の子は、なぜかその力に抗うことができませんでした。山から出る瞬間。女の子は思いっきり身を捻って振り返りました。

 男の人は、にへら、と不器用な顔で笑いました。

「おお、きくなった、ね。吾子」

 

 気づくと、女の子は、山の前で一人、座っていました。

 「あこちゃん! どうしたんだいそんなところで! 大丈夫かい?」

 女の子は、呆けた表情で山を見ていましたが、ゆっくりと顔をあげました。

 「うん。大丈夫」

 へにゃり、と女の子が笑いました。

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