夏の桜の木の下で
王子ざくり
夏の桜の木の下で
――笹崎さんが、待ってるよ。
そう言われて、桜の木の下で待ってた。
ボクは、何時間も。
辺りは、もう暗い。
いや、真っ暗だ。
とと、と、とと。
とと、と、とと。
笹崎さんは、もうすぐそこまで来てる。
でも、彼女も暗闇で迷ってるんだろう。
彼女の、特徴のある足音が、近付いては遠ざかっていく。
とと、と、とと。
とと、と、とと。
何度も何度も。
とと、と、とと。
とと、と、とと。
遠ざかり、聞こえなくなってしまっても、また。
とと、と、とと。
とと、と、とと。
またすぐ、聞こえてくる。
「待っててね。私、約束したから。絶対、見つけるからね」
うん、待ってるよ。
ボクは、頷く。
暗闇の中で、彼女に見えるはずがないのだけど。
とと、と、とと。
とと、と、とと。
もう何度目だろう。
近づいてきた足音だけど、今度は違った。
ひとつでは、なかった。
笹崎さんのそれに加えて、もうひとつ。
ずっ、ずっ、ずっ、ず………
明らかに、片足を引きずっていた。
とと、と、とと。
ずっ、ずっ、ずっ、ず………
ふたつの足音は、これまでになくボクに近づき、やがて、止まった。
「ここなの?」
笹崎さんの、声だった。
ここだよ! 言いかけて、ボクは固まる。
「早く掘って。嘘だったら――分かるよね?」
これまで聞いたことのない、冷たい、笹崎さんの声。
ボクは、なんだか恐ろしくなってしまった。
ざく! ざく!
ざく! ざく!
それから、ボクの周囲を削り取るような音が辺りを満たして、更にそれから――辺りが明るくなった。まだ暗いけど、暗闇よりはずっとマシな程度には。
目の前に、人がいた。
ふたりだ。
「ほら、本当だっただろう? どうだい。30年ぶりのクラスメイトとの再会は。嬉しいか」
ひとりは、担任の安田先生。
ボクの大好きな、優しい先生だ。
でも不思議だ。
先生は、さっき会った時から、とつぜん何十歳も年齢をとったみたいに皺だらけで、髪も白くなってしまっていた。
「嬉しくなんて……ない」
そしてもうひとりは――誰だろう?
見たことのない、お姉さん。
いや、オバさんだ。
オバさんも、不思議だった。
ボクのお母さんと同じくらいの年齢に見えるのに、それなのに、彼女の声は――
「でも、喜ぶべきなのでしょうね。これで、ようやく兄さんを救い出すことが出来るのだから」
――彼女の声は、何故か、笹崎さんとそっくり。いや、まるで同じだったのだ。
「救う? とっくの昔に、首を吊って死んだ人間を? どこから救うっていうんだ」
「牢獄よ――囚われてるのよ。小学生を犯して殺した猟奇殺人犯っていう、言葉の牢獄にね」
「…………」
「30年前のあの日、あなたは自分のクラスの伊藤圭吾を、ここに連れてきた。私が呼び出してるって言ってね…‥そして、犯して殺した。いまでいう引きこもりだった兄さんに、罪を被せて」
「………何故、そう言い切れる?」
「獄中で兄さんは、考え続けていた。誰が、自分の自転車に少年の血を擦り付けたのか。死体と一緒に、自分の持ち物を埋めたのか――その結論が、これよ。当時小学校教諭で、現在は市会議員の安田尚仁さん」
「証拠は……ああ、これか」
「当時、警察が見つけられなかった被害者の頭部。それがどこに埋められてるかを、あなたは知っていた。それが、すべてよ」
「しかし、法的な証拠には成り得ない」
「兄さんは、推理していた。安田尚仁が犯人であれば、埋めたのはこの山だろうって。あなた、いまでいうイケメンだったんですってね。悪いコトするときは、いつもこの山を使ってたそうじゃない。何度も、それらしい場所がないか探しに来たわ。でも、それじゃ駄目なのよね。頭蓋骨を、掘り出しただけじゃ」
「ああ。確かにそれじゃあ、みんなこう思うだけだろうね。兄貴が隠していた頭蓋骨を、君がここに埋めだけだろうと」
「そして、あなたが犯人であると証明する材料にはなりえない」
「だから、待ち伏せして、こんな……くそ。顎がぐらぐらする。骨折してる。足も……くそう。でもみんな、それでもこう思うだけだろう。結局彼女は、逆恨みのように兄の同級生の出世頭である僕……俺を脅してここに連れて来て、偽りの自供をさせたに過ぎないと。ぐッ!」
オバさんが、安田先生の脇腹を懐中電灯で叩いた。
真っ黒い、棍棒のように太くて長い懐中電灯で。
「人生は、どんなことに足を取られるか分からない。私は、こんな子、嫌いだった。いつも物欲しげに私を見て――大嫌いだった。でも、そんな子の死が兄の人生を決定的に台無しにして、私も、こんな年齢になるまで、それにかかずらあわされている」
『この子』って、誰のことだろう?
「ねえ、分かる? キミがもうちょっとしっかりしてたら――担任の先生とはいえ、いつも男の子をいやらしい目で見てべたべた触っていた、こんな変態男に連れられて、こんなところに連れられて、マヌケに殺されたりなんてしなかったら、誰も、こんな酷い想いをしなくて済んだんだよ?」
分からない。
「勘弁してやれよ。この子、君のことが好きだったんだ。まったく疑わずに着いてきたよ。『笹崎さんが、待ってるよ』って言ったらね」
でも、なんだか、イヤな気持ちがした。
「……………コイツが」
「……………」
「……………コイツが」
「……………ヤメろよ。生きてる僕に、何をしたっていいさ。好きなだけ、ぐッ! 嬲ったらいいさ。でも、死体――いや死人にそんなことを……ぐッ! ふがぁ……」
「オマエが殺しておいて、何を言う」
オバさんが、ボクを踏んだ。
もう、4度目だった。
更に何回も、何回も。
ボクは――もう、イヤだった。
「……ふわッ!」
「うがっ!」
「……ぐっ!」
「ぬっ!」
足を滑らせて転んだオバさんに、安田先生が馬乗りになる。
「痛い……痛い……痛い……」
泣きながら、安田先生が、オバさんの首をしめる。土と血でドロドロになった、爪がなかったり、折れてあり得ない方向に曲がった指で。穴の空いた手のひらで。
「痛い……痛い……痛い……痛い……痛い……」
オバさんが、ぶるっと全身を震わせて動かなくなった、その後も、しばらくずっと。泣きながら、ずっと。
そして、ボクは気付いていた。
隣に、彼女がいた。
笹崎さんが。
「ちくしょう……シンだ。殺してしまった。でも、こうしなければ。この女が、足を滑らせなければ……それにしても、まるでガイコツが噛み付いたみたいだった。まさかな。いや『まさか』なんてないか」
ざっざっざっ。
ざっざっざっ。
ざっざっざっ。
ざっざっざっ。
「ああ、くそう――探しに来やがった。やっぱり手を打ってたか。そりゃそうだ……ああ、くそう。なんだか笑えてくるな。東京から来た検事が死んでて、その脇にはボロボロの市会議員と、子供の頭蓋骨――探しに来た奴らには、どう見えるかなあ。こんな夏の桜の木の下で、こんなザマになっている。こんなになってしまって、今更『まさか』なんてない。どんな有り得ないことだって、するりと潜り込んでくるだろうさ」
近づいてくる、たくさんの足音を聞きながら、ボクは考えていた。
笹崎さんは、ボクに何を伝えたいんだろう。
もしかして、ボクのことを好き――とか?
でも、考える必要なんてない。
だって、彼女はボクのすぐ側にいるんだから。
ボクは、笹崎さんを見た。
笹崎さんも、ボクを見てた。
夏休みは、まだまだこれからだ。
ボクは笹崎さんを、プールに誘おうと思う。
登校日の帰りは、どこかに寄り道しよう。
みんな、いつの間にボクと笹崎さんが親しくなったんだろうって、びっくりするに違い無い。
笹崎さんの、唇が動いた。
「
<了>
後書き
ラストは、コピペ間違いとかではありません。
まあ、聞きたくない内容だったんだなあ、と。
夏の桜の木の下で 王子ざくり @zuzunov
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