星屑の商人

シサマキ

1章 人生の転機

第1話 変化

 レノンは建設現場の中で建材を担ぎ、時折汗をぬぐいながら、指定された場所に積み上げる作業を他の労働者と共に行っていた。仕事は肉体的に疲労は溜まるものの、単純な作業の繰り返しであり、彼はさぼらないことで一目置かれていた。


 現在はここでは、町の見張り用の塔を改築する作業が行われ、日々大量の建材が運び込まれている。太陽が頂点に差し掛かり、暑さが増してくると、休憩の時間がやってくる。


 建設現場にある日陰で、労働者たちはパンや野菜を取り出し、食事を共にしていた。話題は仕事や家族、町の出来事についてで、笑い声が響き渡っていた。


「昨日街を歩いていたら、討伐された大きなイノシシの魔物が運ばれていたんだ」

「俺も見たぞ」

「魔物の肉は意外と安いし、週末の贅沢にはもってこいだよな」

「みんなで買って、明後日焼肉でもやろうぜ」


 一方でレノンは、この現状に焦りを感じていた。というのも、半年続けているこの仕事では、貯金をほとんどすることができない生活だったからだ。


(肉体労働だから、比較的給料はいいけど、ほとんどその日暮らしじゃないか。なんで、そんな楽観的に生きれるんだよ)


 休憩が終わると、レノンを含めた労働者たちは再び仕事に取りかかる。日が傾くにつれ、彼らは建設現場で決められたノルマを達成するために、一生懸命に働く。


 この日は、特に多くの建材を運んだ日であったので、レノンは疲労困憊であった。家への帰り際に、彼はこの日の500ゴールドの給金を現場監督から受け取った。


 家に帰るといつも、冒険者時代に使っていた盾や剣などの手入れを彼は行っていた。これは、彼にとってのルーティーンであった。引退を決意した際に売ろうとも考えたが、手放すことができなかった。そして、彼は明日に備えて眠る。



 レノンは、薄暗い森の中で、木々の間をかわすようにして駆け抜ける。彼が持つのは腰に刺さっている片手剣のみ。彼の後方では、大きな爪が一面の木を切り裂く音が響き、地面に切り株を残す。


(なんでこんな場所にB級に指定されているグライズリーウィルドがいるんだよ)


 レノンは岩や木の根を飛び越え、その音から逃げるように前へ進んでいく――

 

 恐怖が彼の心を支配しながらも、生きる意志が彼の足を力強く動かしていた。足がもう動かなくなる前に逃げ切らなければならない。少なくともこの場所から遠くへ。


(まだ走り続けるしかない。少なくも仲間たちが逃げられるように)


 レノンは自分に言い聞かせるように呟いた。防具に木の枝が当たることで、少しずつ、擦り傷が増えていった。


 疲れと苦痛が全身を支配していく――


 息が詰まる。果てしない森の中で足を前に出し続ける。後ろからは熊型の魔物が自分を追う音が鮮明に聞こえてくる。足元の地面が不安定になり、その都度彼はバランスを崩さぬように必死で反応していた。


 ――後方からはまだ敵の気配がする。


 だが、逃げることを諦めるつもりはなかった。進む先に光があるかどうかは分からなくても、進まなければ何も始まらないことを彼は理解していた。

 

(いつになったら終わるのか)


 森の中を走り続ける中で、頭では理解しているつもりでも、その問いが、彼の頭を離れない。彼の喉が渇いて乾き切り、足元がもうすぐ崩れるような感覚がしている。後ろをちらりと振り返ると、再び巨大な影が迫っている。


 ――彼の耳に届くグライズリーウィルドの息遣いが次第に大きくなる。

 

 その力強い推進力で、グライズリーウィルドは瞬く間にレノンに向かって突進してきていた。レノンは再び後方を確認する。その目は見開かれ、全身に血の気が引かれた。彼の視界はスローになる。


 ――危ない

 

 恐怖と闘志が入り混じる中、レノンは一瞬の隙を突いて地面に身を投げ出した。その瞬間、グライズリーウィルドの体が彼の頭上を通り過ぎ、強烈な風が髪をなびかせた。


 地面に叩きつけられる音が轟き、振動が彼の体を揺らした。レノンは急いで立ち上がり、グライズリーウィルドの突進が木々を倒す音が聞こえる中、再び駆け出した。 

 


 彼は、走りやすさを考えて、一か八か鎧を脱ぐことを検討する。一度魔物の足音が聞こえなくなると、レノンは鎧を脱ぎ捨てて再び走り始める。


 暫らく走っていると、再び足音が聞こえてくる。

  

(間違いない。ヤツだ)

 

 レノンはそう確信しながら、なぜ自分を追跡できているのかと考えた。


(血の匂いか?)


 レノンは、ここまで走る中で、至る所から少量ながらも血が出ていたためだった。再び足音は近くなっていくが、彼は懸命に逃げるために走り続ける。


 ――――――その後、どれだけ走っただろうか


 彼の足取りは、明らかに重い。時が狂ったように流れていく。彼の体の疲れは限界に達し、絶望が心を覆っていく。

 

(もう無理だ、終わりだ。呼吸すらも辛い)  

 

 降参の意思を示すように、レノンは立ち止まる。


 ――そして、振り返って、背後に迫る影を見つめる。

 

 死の対峙。グラズリーウィルドの振りかぶる大きな腕が自分に当たるその瞬間、彼は夢から目覚める。レノンが周りを見ると自分の部屋のベットである。心臓の鼓動が早く、息が荒い。外はまだ薄暗く、朝ではないことが認識できる。


(半年前の恐ろしい記憶か)


 レノンが冒険者を引退してから、しばしば悪夢にうなされていた。彼は水を飲んで落ち着こうとするのだった。半年前のあの日から、魔物を見ると体に力が入らなくなり、冒険者を引退した。


 当然仲間からは引き留めもあったが、レノンにその選択肢はなかった。一攫千金を夢見た彼は、結果としてその道を諦める形となってしまった。現在は日雇いの仕事をこなす労働者の一人としてレノンは働いている。



 数日後のレノンは、町の市場を散策していた。これは、冒険者時代からの趣味であった。市場には一定の間隔で、商品の最低価格を記載している木の看板が設置されている。彼はそれを見て思った。


(最近イチゴが安いな)


 その後、レノンは市場の露店でイチゴを購入する。


「おはよう、イチゴを貰っていいかな?」

「いいよ、麻袋一つ分で10ゴールドだ。もし、麻袋も買うなら13ゴールドだよ」

「分かった、一つ貰うよ。麻袋も買うよ」


 レノンは13ゴールドを店主に渡して、麻袋を一つ受け取った。彼は、イチゴを食べながら市場の散策を再び開始する。そこに、彼が始めてみる看板の店があった。


(何の店だろう)


 レノンは、木の看板を見て考えながらも、その露店へと近づく。露店の店主はレノンに言う。


「兄さん、いらっしゃい。紙売ってるんだけど要らないか?」

「紙か……」


 その反応を見て、店主は言った。


「そうだよね。この国は想像以上に識字率が低くて、紙を使っていないからな……あー、来る国間違えたかもな。硬貨も覚えにくいし……」

「どこから来たんだ?」

「東だよ」

「センは一枚10000ゴールド、アウロは一枚100ゴールド、ティムは1枚1ゴールド覚えやすいだろ?」


「俺がいたとこでは硬貨の種類は、グローリア、シルバー、カッパーだったんだよ。地元じゃ1グローリアが200シルバーで、1シルバーが50カッパーだったんだぜ。貨幣比率が違うから覚えにくいよ。単位のゴールドも違和感すごいし……当分はこの国にいるから、セン、アウロ、ティムだけしか使わないんだろうけどな」

「東の国はそんな名前の貨幣なんだな……ところでこの紙は何でできているんだ?羊皮紙じゃないんだろ?」


 彼は冒険者時代に、地図を模写するために何度か羊皮紙を買っていたため、素材が違うことに気付いた。


「そうだよ。この紙は木や草を使って作っているんだ。耐久性面では劣るが、生産面では利点が多いんだ」

「へえ、そんな作り方があるんだな。この25ゴールドっていうのは、何枚当たりの価格なんだ?」


「5枚だ。この町の羊皮紙の1/5の価格だよ。安いだろ?」

「それは安いな。冒険者時代なら何回か買いに来ていただろうな」


 レノンはその紙を見て、ふとした疑問を思いつく。


「一つ質問いいか? 新しい町に来ると街を迷うことはなかったか?」

「それはあるけど、住民に訊いたり、町の入口の看板を見ながらって感じだな」

「やっぱりか……」


 レノンは黙ってしまう。

 暫らくしてから、店主は彼に言う。


「買わないなら、どいてくれ。もしかしたらだれか買ってくれるかもしれないから」

「そうだな。20枚貰ってもいいか?」

「ありがたいね。代金は100ゴールドだ」


 レノンは代金を支払って、20枚の紙を受け取る。彼はすでに使い道を決めていた。

 店主は彼に言った。


「購入ありがとうな。しばらくはここで売るつもりだから、また欲しくなったら来てくれ」

「わかった」


 さらにレノンは、別の店でインクを買ってから家に戻った。彼は、紙の地図を作って販売することに決めた。というのも、冒険者時代の経験や先ほどの店主とのやり取りから、ある程度の需要を見込んだからであった。彼は誰に対して売るかを考える。


「やっぱり、仕事柄流動性のある職業をターゲットにするべきだな。冒険者や商人が妥当か……」


 レノンは次に、どのような店を地図に記載するかを考える。


「無難に食料品店がいいだろうな。次にこの町で特産品の武具を取り扱う店。それと、食堂をいくつか載せておこう」


 レノンは冒険者時代に簡単な文字の読み書きは出来ている状態であったが、そこまで自信が無かったので、地図には店のマークだけを載せる形にした。冒険者ギルドや商業ギルドなどの目印を書き込み、全体的な位置関係を把握しやすいように地図を作製した。そして、試作品一号が完成した。


 ――その時、12時を知らせる鐘が街に響き渡る


「一旦、ご飯でも食べに行くか」


 レノンは、ご飯を食べ終わると再び家に戻って、地図の模写を始める。この日は結果として、10枚作成することができた。彼は、明日商業ギルドの前でこの地図を販売してみようと思った。


 翌日、レノンはいつもの様に日雇いバイトを終えた後、いつもの様に自分のアパートに戻る。そして一度シャワーを浴びてから、彼はお気に入りの木漏れ日食堂へ向かう。いつもの様に日替わりセットを食べて、再び自宅へと戻る。


 彼の所持金は、約350000ゴールド。ほとんどが冒険者時代に貯めたお金であった。現在は、一日の食費は150ゴールドで、賃貸料は週に1000ゴールドのため、週に貯金できるのは、1450ゴールド。彼は将来への不安は解消されることは無かった。


 その後、地図を鞄に詰めて、再び家の外へと向かっていく。ここで彼は、いくらで売るかを決めていなかったことに気づく。


(材料費と作成時間を考慮して、最初は一枚20ゴールドで売ってみよう)


 レノンは商業ギルドの前にたどり着くと、商人の格好をしている人間に話しかける。


「こんにちは。お時間貰ってもいいですか?」

「ん? まあ、この後は宿で寝るだけだから構わないぞ」

「実は、この町の地図を作ったんですけど、興味ありませんか?」

「一回見せてもらってもいいか?」


 レノンは鞄から地図を一枚取り出して彼に見せる。


「紙の地図か。それに町の地図なんて珍しいな。ところで、なんで文字を入れていないんだ?」

「一応書けはするんですが、あんまり自信がなかったというのが大きいですね」

 

「なるほどな。文字読める人間もそこまで多くないから、マークだけで角のも間違ってないと思うよ。とりあえず、地図を一枚買わせてもらおう。いくらだ?」

「20ゴールドでどうですか?」

「20か。思ったより安いな。もし、文字を使って、店の商品を記入したものを作ってくれたら、また買わせてもらうよ。ありがとうな」


 商人は20ゴールドをレノンに支払い、地図を受け取ると商人用の宿の方へと歩いて行った。レノンは、ここで地図の需要があることを改めて確信した。レノンは、その後も何人かの人間に話しかけて、地図を売り切ることに成功した。地図の売り上げは、10枚で200ゴールドだった。



 ―――――――――――――――――――――――

 次回

 商人との出会い

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