くすんだ銀の英雄譚~おひとよしおっさん冒険者のセカンドライフは、最大最難の大迷宮で~
231.そも、《淫魔(サキュバス)》というのがどういうものなのか? というところから始めないといけないと思うのですよね。この話は。
231.そも、《淫魔(サキュバス)》というのがどういうものなのか? というところから始めないといけないと思うのですよね。この話は。
レミール・ロシエの母は、クレフェス街の色町で春をひさぐ娼婦だったそうだ。
館の名前も記憶になく、今もその屋号を残しているかさえ定かでないが、どうやらかの色町には珍しく、あまり柄のいいところではなかったらしい。
少なくとも――子飼いの娼婦が子を孕んだ時、
にもかかわらず、彼女が子を産むのを容認されたのは、妊娠に気づくのが遅れたせい――のみならず、彼女が館でいっとう綺麗な稼ぎ頭で、その子供がもし娘だったなら、先々いろいろと使い道があると踏んでのことだったのかもしれない。
レミールの母は美貌だった。
のみならず、色町へ転がり込む前にどこかのいい家で教育を受けてでもいたのか、概して木で鼻をくくったような知識人気取りの金持ちどもを相手にして、そつなく歓談ができるレベルの教養を備えていた。
クレフェスの色町ではお世辞にも格の高い設えとは言えなかった件の娼館にとって、彼女は『拾い物』だった。その事実もまた、子供を産むつもりでいた彼女の意思を通さざるを得なかった、理由のひとつであったかもしれなかった。
――ともあれ。やがて十月と十日が過ぎ。
ようやく産まれた子供と対面した瞬間、母は眼を剥き青褪めたという。
『あたしの子供じゃない!
産まれた子供は、目の色も髪の色も、母とは似ても似つかぬものだった。
そして、父とも――娼婦である彼女が赤子の『父親』と似ていないことを断定し得た理由は定かでないが、少なくとも彼女の中には、その確信があったようだった。
やがてレミールが物心つく頃には、鏡に映る彼の顔は、美女であった母とすら何ら似たところのない、浮世離れした美貌へと成長していった。
花のような美しさで育っていくレミールを見つめる母の目は、得体の知れない怪物を見つめるそれだった。
日を追うごとに、母は苛立ちの度を深め、心を病んでいった。
――そうして。
レミールが五歳の誕生日を迎えたその日。
母はレミールを置いて、いずこへともなく姿をくらました。
◆
「おかあさんが、今……どこで、どうしているかは、知りません」
話の結びにそう言って。レミールはゆるゆるとかぶりを振った。柔らかなプラチナブロンドを揺らし、浮世離れした美貌を、霞をかけたように曇らせる。
「残ったぼくは、色町への奉仕活動に来ていた司祭様に拾っていただいて……それからは、リースフィル聖堂の僧房で育ててもらいました」
そうして、レミールが語り終えると。
後には、水を打ったような沈黙が落ちた。
少年の言いようは多少の疑問符がつくところもあるが、ともあれユーグの指摘が、レミール本人から追認を得られた格好である。
だが――問題はここからだ。
それを踏まえて、どうするのか。
この事実を以てレミール一人を追い返すような真似は、端からシドの選択肢に存在しない。そんな選択は、ただ少年の胸の裡の軟いところを抉り、傷をそのままに放り出すも同然のものだ。
しかし、事情の仔細すら知らないまま「大丈夫だ」などと無責任に請け負ってみせたところで、却ってレミールの方に気を遣わせるだけのことともなりかねない。話しぶりの落ち着きようから察するに、彼は最前に見せた自身の『異能』を理解し、そのぶんだけ自分の都合と主張を抑圧している。
そして、レミールの追認だけでは情報が足りない――その足りない情報を、どのように聞き出し、補うべきか。
「『《
ユーグが零した。
レミールがいっそう深く項垂れ、それに気づいたサティアが「あんた黙ってて」と視線と口パクで訴える。
「あー、あのさ。あたし質問あるんだけど、だいじょぶかな?」
ひとまずユーグを黙らせてから。誤魔化す体で、サティアが手を挙げた。
場の空気を不味いとみて、話の『先導役』を取ってくれたのだと、シドは察する。
怪訝そうに、俯けていた顔を少しだけ上げて、レミールは首を傾げる。
「なんでしょうか……」
「えっとさ……あたし、
知識のなさを恥じ入る体で、「いやぁ」とばつが悪そうに頭を掻いてみせる。
「てかさ、男の淫魔は
「ええと……」
「それなら、
答えづらそうにしているレミールに代わって、シドが答えに入る。
サティアは怪訝に眉をひそめていたが、ややあって何かを閃いた顔になる。
「あ、そっか。オス・メスの違いってことね。そういうことなら納得かな」
「あー……ごめん、そうじゃないんだ。雌雄の問題じゃなくて。この二つは本当に『同じもの』なんだよ」
いっそう疑問符を浮かべるサティア。シドは彼女に伝わる分かりやすい言葉を探すが、もともと話下手なうえにうろ覚えなせいで、うまい言葉が出てこない。
傍で見ていたユーグが、ひっそりとため息をついた。
「ロキオム。お前、説明を代わってやれ」
「は? え? 何でオレが」
「何でってこたないだろ。お前はそういうのに詳しいやつじゃねえか」
不服げに唸るロキオムに、ユーグは薄く笑った。
「このままじゃ進む話も進まん。代わってやれ」
「……わかったよ」
ユーグの命令には逆らい難いということか。渋々の様子ながら、ロキオムは盛大に溜息をつくと、混線した話を引き取った。
「
「まあ……それはね」
サティアが頷くと、ロキオムは話を続ける。
「んで、もう答えっから言っちまうが、
――それだ。
シドは膝を打った。筋道立てて整理できるほどきちんと覚えてはいなかったが、シドがいつぞやに聞いたのも確かそんな話だったはずだ。
「元々は《第一の魔王》だか《第二の魔王》だかの時に、《
実際に襲われたやつの証言なんかで、男を襲う
――と。
そこまで話したところで、周りの目が自分の一身に向いていると気づいて。
ロキオムは盛大に舌打ちすると、「とにかく」強引に話を打ち切りにかかった。
「とにかく! おっさんが言った『同じもの』ってのはそういう意味だ。男の姿だろうが女の姿だろうが、
そう――恐らくだが、レミールの母が彼を
ユーグは自身にかけられた精神操作の性質からレミールを
咄嗟の場面で口を突いて出るほど、舌に馴染んだ単語であったというのなら――それは聞きかじり程度のそれではなく、何かしらの形できちんと学んだ結果の知識であろう。
「つか、これくれぇ普通に説明できんだろが。
「いやぁ……」
「お恥ずかしい」と、シドは頭を掻く。
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