第23話 女官長の部屋にあったもの
(おお、飲んだ……)
しかし、飲んだからといって、庸介が毒を盛られたときのような麻痺や呼吸困難などは一切おこらなかった。当たり前だ。小瓶の中は単なる酒なのだから。
あの小瓶は、庸介が以前、もしかしたら酒を飲んだらまた玉琳が表に出てくるんじゃないかと考えて杏梨に酒がほしいと伝えたところ、もらったものだ。ほんのちょっとしか入っていない。
女官たちにも、玉琳の酒の弱さはよく知っているらしい。
玲蘭に自分で飲めといっておいてなんだが、飲むかどうかは五分五分だった。しかし、彼女は正妃争いのライバルである玉琳から毒だと言われて渡されたものを飲んだのだ。
家門が不名誉で汚されるくらいなら、本当に死ぬ覚悟だったのだろう。
(これではっきりした。こいつは、疑いをかけられただけで毒さえ手元にあれば死ぬようなやつだ。そういうやつがもし本当に首謀者だったとして、バレた時のために自殺用の毒を用意しないなんてありえるか? 女官長は、さっさと毒を飲んで死んでるのに? ということは、こいつはやっぱり首謀者じゃないんだろうな。それどころか、玉琳暗殺未遂事件について何も知らない。罪をなすりつけられただけなんだろう)
玲蘭の決死の覚悟は見せてもらった。それなら、約束は果たさなければならない。
「あなたを試すようなことして、ごめんなさい。それは単なる酒だから、大丈夫よ」
玲蘭は騙されたとわかり、瞬時に怒りで顔を真っ赤にした。
「なっ、あなた私を騙してっ!」
ついうっかり大きな声を出しそうになって、玲蘭ははっと自分で口を押える。
二人で扉の方を伺うが、女官が心配して入ってくるということもなかった。
もしかして、玲蘭は、常日頃から独りごとの多いタイプなのかもしれない。
ほっと胸をなでおろしたところで、庸介は玲蘭に右手を差し出した。玲蘭は怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんの真似ですの?」
庸介はにっこり笑って答えた。
「西欧で行われてる友好の挨拶よ。手を握り合うの。私はあなたを信じるわ。龍明様と鳳凰殿には、しっかりあなたの無実を伝える。だから、これはその約束のしるし」
玲蘭はまだ物問いたげにしていたが、お互い右手を握り合った。
さて、玲蘭が首謀者でないとなると、玉琳を暗殺し、その罪を玲蘭に着せることで漁夫の利を得るのは誰だろうか?
(まだ証拠が足りない。あれがどういう毒だったのかも、なにもわかってないしな)
龍明の指示により医官たちが毒の特定を急いでいるようだが、いまだに神経毒だということ以外何も判明していない。一般的に暗殺に使われる毒や、身近な草花から獲れる毒のどれとも違うらしい。
(あれは無味無臭で、透明だった。それでいて、口に含んだだけで死にかけるほどの猛毒。毒が何か特定できれば、犯人を捜すのに大きな手掛かりになるかもしれないのにな)
もしかしたら、自殺した女官長の部屋に何か証拠になるようなものが残っていないだろうかと思いつき、庸介は玲蘭に提案してみる。
「ところで玲蘭、女官長の部屋ってまだあるの?」
「え、ええ。捜査のためにそのままにするようにと言われているから、亡くなった遺体を撤去した後はそのままにして、誰も立ち入らないようにしているわ」
「ちょっとそこに行ってみたいんだけど、いいかな?」
「え、ええっ!? いまから!?」
驚く玲蘭に、頷いて見せる。
「うん。念のため」
せっかく危険をおかしてここまで来たのだ。気になることは全部調べておきたい。
玲蘭は扉の方を眺める。そして、小さく息をつくと諦めたように応じた。
「……わかったわ。ちょっとこっち来て」
玲蘭しかいないはずの部屋から玉琳が出てきたら大騒ぎになるにちがいない。
そこで玲蘭は、部屋の扉を小さくあけて、外で警備をしていた女官に水差しの水がなくなってしまったから持ってきてほしいと空の水差しを差し出した。女官はすぐに水差しを受け取って厨房へと向かう。
その隙に、玲蘭は庸介を連れて部屋を出た。
前を歩く玲蘭の手には、携帯用の灯火器が握られ、前方をほんのりと照らしている。
深夜ということもあって、屋敷の中に他の女官たちの姿はまったくない。
玄武宮の構造は白虎宮とよく似ていて、姫の暮らす屋敷の裏に女官たちの住む寮があった。
女官長の部屋は、寮の一番手前に設けられていた。女官で一番地位の高い人物というだけあって、部屋は寮の中で一番広い。
部屋の隅の灯火器へ玲蘭が火を移してくれたので、室内がぼんやりと明るくなる。
手前の部屋には、真ん中にテーブルと四脚の椅子。それに壁際に棚があるだけだった。ざっと眺めてみたところ、これといって気にかかるものはない。
奥の寝室には左側に寝台が置かれ、右側には机と椅子、手前に箪笥と本棚が置かれている。
(女官長は、この寝台の上でこと切れてるのを発見されたんだっけな)
もちろん既に遺体はここにはない。とっくに埋葬されているはずだ。遺体の手元にあったという毒の入った小瓶も押収されたあとだ。
この部屋自体、捜査を尽くされているはずだった。だから、いまごろここに来たところで新たな何かが見つかるとも思えない。
それでもこの部屋に来てみたのは、自分の目でも一度現場を見て見たかったからだ。
共犯とされる弟との手紙はここの机の引き出しから見つかったらしい。
改めて机の引き出しを開けてみるが、なんでもない内容の家族に宛てた手紙の束が入っていただけで気になるものはなかった。
(女官長も共犯とされる弟も、ともに死んでいる。自殺とされているけど、もし殺されたんだとしても死人に口なしだもんな)
引き出しを閉めて顔をあげたとき、机の上の小さな花瓶のような壺が目に留まる。
その花瓶に刺さっていたのは花ではなく四、五本の鳥の羽根だった。黒い羽根で根元の方がオレンジ色だ。
(これ、なんの鳥の羽根だろう)
単なる部屋のインテリアのように見える。その羽根の色に既視感を覚えるも、どこで見たのか思い出せない。なにげなく手を伸ばして羽根を一本手に取った。
羽根の芯を掴んでクルクルしながら眺めていたのだが、
「え、なんだこれ」
指に痺れるような感覚を覚えて咄嗟に羽根から手を離した。羽根はひらひらとゆっくり机の上に落ちる。
すぐさま寝台のシーツで手を拭った。それでもまだひりひりと痺れた感覚がなかなか消えない。
「玉琳様!? どうされたんですか?」
後ろで用事が済むのを待っていた玲蘭が、庸介の行動の意味がわからず怪訝そうに尋ねてくる。
庸介は痺れる指をゆっくりと動かしてみた。動きはするが感覚が鈍くなっている。
この感覚は、昼食に入れられた毒に似ていた。幸い、口の中の粘膜と違って指の皮はそれよりずっと厚いので、そこまで深刻な症状にはなってはいない。が、これは明らかに毒の症状だ。
(そう言えば昔、聞いたことがある。オセアニアの方の密林に毒をもつ百舌鳥がいるって。もしかしたら、この世界にも同じ鳥がいるのか?)
黒丸烏をはじめ、いくつかの鳥は元いた世界と同じであることは確認している。となると、毒を持つという百舌鳥がこの世界にいたとしてもおかしくはない。
(思い出した。この羽、香蓮の朱雀宮で見た鳥と同じ色だ)
一羽だけ軒下の鳥かごに入れられていた黒い鳥を思い出す。お腹の部分が、この羽と同じ鮮やかなオレンジ色だった。そして、香蓮の劉家は南方の出だ。
「玲蘭。私の暗殺に使われた毒の出所がわかったかもしれない」
「ええっ。それは、どういうことなんですの?」
庸介は胸元から手巾を取り出して羽根を掴むと、手に触れないよう慎重に包んだ。
「とりあえず、龍明様に報告しないとね」
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