陸上自衛官の俺、後宮姫に転移したけど皇太子に溺愛されたくはない!
飛野猶
第1章 陸上自衛官だったはずが、気が付いたら後宮に???
第1話 訓練中に死んだはずなんだが
その日は、やたらと蒸し暑い日だった。
まだ朝方にもかかわらず気温は30度をゆうに超えているうえに、風がほとんどない。空には雲一つなく、憎らしいほどの快晴だ。
訓練を開始してまだたいして時間は経っていないのに、早くも支給品の迷彩服の下には汗が噴き出していた。
庸介は足をとめることなく小銃のスリングベルトを肩にかけなおしながら、空を仰ぐ。
(やべぇな。熱中症で倒れるやつが出ないといいけど。これはいつもよりこまめに水分補給するよう、念を押して指示を出した方がいいな)
いま庸介は山梨県南都留郡忍野村の北富士演習場、通称・富士訓練センターにある雑木林の中を一個小隊とともに行軍していた。
庸介が所属している部隊訓練評価隊は、全国にある陸上自衛隊の普通科中隊に対して模擬的な実践訓練環境を提供するための部隊だ。
演習対抗部隊……つまり敵役として実戦的な交戦訓練を行うことで、各部隊の実践力向上に資するためにある。
ちなみに、いままで400戦以上を行い、負けたのはただの一度だけ。勝率はかぎりなく100%に近い強さを誇っていた。
いまもそんな模擬戦の最中だった。
庸介は歩みを止めることなく、すぐ後ろを歩く小隊長に話しかける。
「ここまで猛暑日続きだと、敵よりも暑さの方が怖いよな」
庸介よりも十以上年上の小隊長が、くっと喉を鳴らすように笑う声が聞こえた。
「本当ですね。年々暑さが増してるようにも感じますよ」
「とっとと終わらせて、クーラーの効いた部屋でビールが飲みたい」
「同感です」
そんな軽口を叩きながら目的地まで向かっているときだった。
ドクン。
(え?)
庸介は急な胸の痛みを覚えて、足を止めた。みぞおちのあたりが、締め付けられるように激しく痛んだ。胸元を掻きむしるように掴む。
(なんだこれ、苦しい……!)
声すら出ない。息もできない。苦しさに顔を歪めて、そのままその場に膝をつくようにして庸介は倒れこんだ。
「
慌てた小隊長の声が遠くに聞こえる。立たなきゃ、みんなが心配している、そう思うが身体にはまったく力が入らなかった。
視界が霞んで、意識も薄れていく。
(あれ? 俺、死ぬのか……? こんなとこで突然に? そんなの嫌だ、絶対嫌だ……!)
こんな仕事に就いている以上、不慮な事故や派遣先での死を覚悟はしていた。でもまさか、二十八の若さで訓練途中に突然死するなんて予想外すぎる。
まだやりたいことだって沢山あるし、行きたいとこも、食いたいものも山ほどあるのに。
無慈悲な運命に精いっぱい抗おうとするが、身体はまったく言うことを聞かない。人形のように四肢を投げ出したまま、庸介の意識はそこでぷつりと途切れた。
次に意識がもどったとき、頭の中に靄がかかったようなぼんやりとした状態で不思議な夢を見ていた。
夢だと思ったのは、見たこともない場所にいたからだ。
天蓋の付いたベッドに横たわり、傍らにはえらく美麗な若い男が、いまにも泣きそうな顔で自分の手を取ってこちらを見つめていた。
ひらひらとした薄桃色の服の袖から伸びた自分の手は、驚くほど白く、枯れ木のように細かった。
「玉琳! 逝かないでくれ、玉琳!」
嗚咽を堪えるようにして男は訴える。
自分の身体はそれに何か答えようとするが、口を動かしても息が漏れるだけで声にならない。つぅと涙が頬を伝うのを感じた。
『申し訳ありません、龍明さま』
頭の中にふとそんな言葉が浮かぶ。可憐な女性の声だった。
『私に健康な身体があれば、貴方のそばにずっといられたのに』
いまにも命の火がきえそうになっているのを懸命に意識を保って、目の前の男の姿を瞼にやきつけようとしているかのようだった。それをこの世を去るはなむけとするかのように。
『なぜ私の身体はこんなにも病弱なのでしょう。お命を狙われることの多い貴方のことが、心配でなりません。本当は貴方を守ってさしあげたかった。そんな力がほしかった』
全力で口角を上げて微笑もうとした。しかし、もはやそんな力は微塵も残っていなかったのだろう。重力に抗えなくなった瞼が閉じる。再び闇が訪れた。
これでもう眠れる。もう二度と目覚めることもない永遠の眠り……のはずだった。
庸介は、ぱちりと目を開いた。あたりは相変わらず闇に包まれていたが、意識ははっきりしている。
そして、なんだか身体が妙に窮屈だ。手を振り上げようとして、すぐに何かにぶつかった。
「痛っ!! なんだこれ?」
今度は両手を慎重に身体は沿わせるようにして顔のあたりまでもってくる。どうやら目の前に大きな壁のようなものが立ちふさがっていた。いや、触れてみたら左右にも壁がある。
(というかこれ、細長い箱みたいなものの中に閉じ込められてんのか?)
しかも、箱の中には自分の身体の他にも緩衝材のような柔らかいものが大量に詰められていて邪魔くさい。
(この匂い、花か)
カサカサと手に当たる緩衝材のようなものは、どうやら花弁のようだった。
なぜこんなところに閉じ込められているのか、さっぱりわからない。
(あれ? 俺、どうしたんだっけ……。たしか、訓練中に急に胸が痛くなって……)
その先のことは何も覚えてはいなかった。
とにかく、この箱から出ないことには状況がつかめない。
(落ち着け。パニックになるな。ひとつひとつ対処していけば大丈夫だ)
深呼吸しようとしたら、おもいっきり花の香りを吸い込んで咳き込みそうになってしまった。でもそのおかげで、少し頭の中が冷静になれた。
目の前の壁に両手をついて力を入れると、思いのほかあっさりと壁は外れる。蓋のような構造らしい。
その蓋をそっと持ち上げる。何とか横にずらすと、部屋の天井が見えた。天井には、三人の天女が舞う絵が描かれている。まったく見覚えのない絵だった。
(本当に、どこなんだ。ここ)
箱の淵に手をついて身体を起こすが、その際、蓋に思いきり足を当ててしまった。
蓋が床に落ちて、パーンと大きな音を立てる。
そのとき初めて気づいたのだが、庸介が入れられている箱は、台のようなものに乗ってるいるようだった。蓋がなくなったおかげで楽に身体を起こせるようになる。上半身を起こして辺りを見回した。
「……棺桶だよな、これ」
客観的に状況を見てみて、出た結論が棺桶だった。
長方形の棺桶が祭壇のようなものの前に置かれており、その中に蓋をした状態で寝かされていたわけだ。ご丁寧に棺桶の中には真っ白な花が自分の身体とともに詰められていた。
しかも、いつ着替えたのかわからないが、ひらひらとした艶やかな白い服を身にまとっている。ゆったりとした着心地でなんだか落ち着かない。
棺桶が置かれていたのは十畳ほどの広さの部屋で、天井に照明の類はなく、代わりに部屋の四隅に燭台が置かれ、太い蝋燭の火が朧げに室内を照らしていた。
「どこだ、ここ。あれ? 声が……」
妙に自分の声を甲高く感じて喉元に手を当てたとき、キィという音が聞こえた。
音のする方へ顔を向けると、両開き扉を片方だけ開けて少女が顔を覗かせていた。小柄で、黒髪を二つくくりにしている。そして、なぜか見慣れない服を着ていた。着物に似てはいたが、上下に別れた造りをしていた。
「あ、すみません。ここって」
手をそちらに伸ばし、どこですか?と聞く前に、こちらを見つめていた少女が「きゃぁあああああああ!!!」という甲高い悲鳴をあげた。
顔はものすごく恐ろしいものを見たように引きつっている。あまりの声量と恐慌した様子に庸介自身も驚いてびくりとした。
少女は次いで、
「だ、だれか! だれか来てください! 玉琳様が! 玉琳様が、生き返ってらっしゃいましたぁ!!!」
と叫びながら、扉をそのままにどこかへと走って行ってしまった。ばたばたと廊下を走る足音が遠ざかる。
「……あ。あれ……」
庸介はあげた手を降ろすこともできず呆然とするばかりだった。
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