石像

仁城 琳

石像

私には新しい趣味がある。と、言っても今日が初めてなのだが。その趣味とはハイキングだ。元々ウォーキングやランニングは趣味であり、マラソン大会に参加することもある。そして、先日同僚にキャンプに誘われ、山の良さに気がついた。普段は街中を歩いたり走ったりしているが、緑に囲まれて景色を眺めるのも良いものだ。

「山も良いものだなぁ。自然に囲まれているというのは良い気分だ。」

「そうだろう。俺はキャンプが好きだが、お前もハイキングなんてしてみたらどうだ。季節によって景色も変わるし、ゴミゴミした街中を歩くよりも気持ちがいいだろう。」

「ゴミゴミなんて失敬だな。街中も悪くないぞ…。しかし確かに自然は良いな。空気も美味しい。」

季節によって景色が変わる、か。なかなかに素敵だ。

「ハイキング、始めてみようかなぁ。」

「いいね。たまには一緒に山に行こう。」

「そうだな。おかげで新しい趣味が出来そうだ。ありがとう。」

その日はキャンプを楽しみ、翌日にはハイキングのための道具を買いに行った。形から入るタイプだと笑われるかもしれないが、四季折々に変わる景色。美味い空気。もしかしたら動物にも会えるかもしれない。私の頭の中はハイキングへの期待でいっぱいだった。

そして今日、私は初めてのハイキングに来ている。歩くという行動は同じだが街中をウォーキングするのとは違う楽しさがある。私は緑の香りの澄んだ空気を思いっきり吸い込み、遠くから聞こえる鳥の声を楽しみながら足を進める。

ふと、ある物に目が止まる。これはなんだ。

「石像、か。」

それは人の形をした石像だった。苔むしているが、表情までしっかりと掘られた精巧な石像だ。しかし何故こんな所に石像が?

「すごい出来だ。この辺りには有名なアーティストでもいるのか。」

私は石像をまじまじと見た。本当にリアルだ。今にも動き出しそうだ。こんなに精巧な石像を作るなんて素晴らしい腕の持ち主に違いない。一通り石像を見た後、その場を立ち去った。

暫く歩き進めた時だった。また石像がある。さっきとは違い数体の石像がある。立っている物、座っている物。ポーズも様々だ。

「山中の様々な場所に置いているのだろうか。」

これらも全て精巧で、やはり苔むしているものの、顔も服や持ち物もかなり細かく作り込まれている。更に奥に進む。進むにつれて石像が増えている。

「この先にアトリエでもあるのか?」

男女、年齢、身長、服装、様々な石像。本当にどれ一つとして同じ物はないようだ。

「凄いこだわりだ。」

ここで私は一つの共通点を見つけた。

「みんな怯えた様な表情をしている…?」

これだけあるのに笑顔の石像はない。皆、負の感情を持っているような…。私は急に薄ら寒さを覚えた。

「趣味が悪いな。」

まぁなにかテーマでもあるのだろう。しかしそれに気付いてからどうしても石像の表情が気になる。苔むしていても分かる、悲壮な表情。気味悪さを感じながらも私はどんどん進んでしまう。見たくないのに石像を一体一体まじまじと見てしまう。この先へ、この先へと誘われるように足が動く。石像はどんどん増える。私は引き返したいと思っているのに何故か進んでしまう。おかしい。不気味だ。石像は私が進む先から逃げる様に配置されている。何故だ。この先に何がある。帰りたい。足は止まらない。叫び声が聞こえる程にリアルな石像と目が合う。思わず喉からヒュッと音が鳴る。その時だった。正面に大木。ゴツゴツとした表面を凝視すると、夥しい人の顔、顔、顔、顔、顔顔顔顔顔顔顔顔顔。

「うわぁぁあ!!」

悲鳴を上げる。必死に大木に背を向ける。やっと身体が自由に動いた。逃げなくては、早くこの場から離れなくては。私は走り出した。そこで気付いた。自分の手の甲に深緑の汚れが付いている。ゴシゴシと擦る。取れない。これは汚れじゃない。苔だ。私の手の甲に苔が生えている。

「ひっ、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。」

必死に擦るが苔は取れない。それどころか擦っていた逆の手にまで苔が生えている。私はパニックになりながら走る。ここから離れれば、この山から出れば助かる。私は必死に走る。石像が向いている方向に必死に走る。そうか、これは石像なんかじゃない。人だ。人だった者だ。

「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」

叫びながら私は走る。最初に見た石像を追い越した。出られる。この山から逃げ切れる。

「やった!これで…?」

そこで私は足が動きづらい事に気付いた。もう少しなのに。足が動かない。もう少しで逃げられるのに。腕も動かない。もう少しで山から出られるのに。うわぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあ!!声を出したいが口すら動かない。


珍しいな、あいつが遅刻なんて。しかも会社に連絡も入れていないようだ。

「昨日の休みにハイキングに行くと言っていたから感想を聞きたかったんだがな。」


空気が美味しい。ザワザワとなる木々の音と鳥の声を聞きながら、ゆっくりと空気を吸う。

「三人で来れて嬉しいなぁ。しばらくは一人で山に来ていたがこうして家族揃って来られるなんて。」

「この子も大きくなったもの。私も久しぶりにあなたと、この子も一緒にハイキングに来れて嬉しいわ。」

「お父さんもお母さんも山が大好きなんだね!僕も一緒に来れてうれしい!あ、あそこに鳥がいるよ!」

同じようにハイキングが趣味という事で出会い、結婚した私たち。結婚後も二人でハイキングをしていたが子供が生まれてからはさすがにこの子一人を置いていくことは出来ず、どちらかが子供の面倒を見て、その間にもう片方がハイキングに行く、という形で趣味を楽しんでいたがこの子も大きくなった。初めて来る山だが、このくらいの山なら子供でもハイキングを楽しめるだろう。妻と二人でのハイキングも楽しかったが、子供と一緒に来れるなんてなんて幸せなんだろう。今日のハイキングは最高の思い出になりそうだ。

「お父さん、お父さん。」

「ん。どうした。」

「あれ、なに?」

息子が怯えた顔で指を指す先には苔むした石像。近付いて見てみる。

「すごいな。ものすごくリアルだ。」

今にも走り出しそうなポーズ。今にも叫び出しそうな表情。苔むしているがはっきりと分かる。

「芸術家でもいるのかしら。すごい作品ね。でもどうしてこんなに山の中にあるのかしら。」

「どうしてだろうな。それにしても素晴らしい作品だ。ほら、こっちに来て見てごらん。」

息子は大きく首を横に振って近付こうとしない。

「なんだか変だよ…。僕、怖い。」

「ふふ、とてもリアルだものね。少し怖いかも。」

「はは、そうだなぁ。確かにリアルすぎるかもしれない。」

「お母さん、お父さん、僕帰りたい…。」

息子にもハイキングを好きになってもらいたい。無理強いするのも良くないかとも思ったが、ハイキングは始まったばかり。このままでは息子の記憶にはハイキングではなく、山で奇妙な石像を見た、という方が強く残ってしまうだろう。

「せっかく来たんだからもう少し歩こう。な。」

息子は少し渋ったが、妻のハイキングはすごく楽しいのよ、という言葉でハイキングを続けることを決めたようだ。

「お前もハイキングを好きになってくれたら、お父さんは嬉しいぞ。」

今日のこの一日がこの子にとって良い思い出になるように。私はそう願った。

「あら、また石像。この山のどこかにアトリエでもあるのかしら。」


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石像 仁城 琳 @2jyourin

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