第31話 宿にて 01

 夕方、バートたちは政務も終えてこの街での宿として使っている冒険者の店に戻っている。ここは冒険者の店の訓練場だ。ホリーも普通の服から鎧姿になっている。必ずしも訓練で鎧をまとう必要はなく、ただの動きやすくて丈夫な服でもいいのだが、これはホリーが鎧の脱着を速やかに行えるようにする訓練という意味もある。



「そうだ。お嬢さん。盾をうまく使うんだ」


「はい!」



 今はヘクターがホリーの相手をしてやっている。ホリーもヘクターも練習用の刃を潰した剣を手にしている。こうしてホリーに訓練をつけてやることが、彼らの日課なのである。




 そして夜。冒険者の店にある酒場は、明かりをともすマジックアイテムのおかげで夜とは思えないほど明るい。ここ数日恒例になっているが、酒場ではヘクターが冒険者たちと木のジョッキを合わせている。今日はそこにリンジーたちも加わっていた。彼女たちは別の冒険者の店を拠点にしているのだが、シャルリーヌに誘われたのである。



「ヘクター! あたしもあんたたちと一緒に行くよ!」


「お主らと共に行くのも楽しそうじゃしな」


「僕もホリーのことは心配だしね」


「おいおい。なんのことだ? バートは何か聞いてるのか?」



 ヘクターはやぶから棒に言われて面食らっている。そこにシャルリーヌが口を出す。



「それは私から言うわ。私があなたたちについて行こうと、バートに言ったのよ。ホリーのこともそうだけど、あなたたちのことも心配だし。それでリンジーたちも一緒に行かないかと誘ったのよ」


「シャルリーヌたちがお嬢さんを守ってくれるのならば私も安心出来る。お嬢さんにとっても気軽に相談出来る女性が近くにいる方がいいだろう」


「私もシャルリーヌさんたちが一緒だと心強いです」


「なるほど……確かに。リンジー。ニクラス。ベネディクト。シャルリーヌ。よろしく頼むぜ」


「任せておきな!」


「よろしく頼むぞ」


「君たちと一緒だと飽きなさそうだしね」


「よろしくね」



 ヘクターもあっさりと納得する。ヘクターとバートは強い。だが二人だけでホリーを守り切れると断言は出来ない。早々そんな事態になることはないはずだけれど、ヘクターもバートも油断はしない主義だった。そしてヘクターもリンジーたちのことは信じていいと思っていた。



「それなら俺も行くぜ!」


「私もよ!」


「お、俺も!」


「おい、お前ら! 全員街を後にする気か!?」



 その会話を聞いていた冒険者たちも次々に名乗りを上げて、店の主人が悲鳴を上げる。



「あー……みんなの気持ちはありがたいんだけど、そんな大人数で行くわけにはいかねえし……」


「君たちはこの街に残ってほしい。この地域の治安維持にも重要な働きをする冒険者たちがいなくなってしまうと、人々は困るだろう」


「あー……そういえばそうだなぁ……」


「街のみんなも村とかのみんなも、冒険者がごっそりいなくなれば困るよなぁ……」


「そうね……私もついて行きたいけど……」



 ヘクターは困っているが、バートは淡々と理由を述べて冒険者たちに再考を頼む。その言葉に、勢いで同行を申し出ていた冒険者たちもこの地域の人々を見捨てるわけにはいかないことに気づく。店の主人はバートに感謝の視線を向けている。



「まあでも、俺とバートも当面はこの街にいないといけないし、しばらくはよろしく頼むぜ!」


「うむ。まずは飲み比べじゃな」


「さあ、今日は飲むよ!」


「僕は酔い潰れないうちに離脱させてもらうけどね」



 ヘクターの言葉に、店の中が盛り上がる。そうして酒盛りが再開される。ある者たちはジョッキをぶつけ、ある者たちは肩を組み歌う。店を喧噪けんそうが包んだ。



「ふふ。みんな元気ね」


「ああ」


「皆さん、お酒を飲み過ぎないといいんですけど……」



 シャルリーヌとバートとホリーはその光景を眺める。酒盛りには巻き込まれないようにしながら。だが彼らもこんな光景は嫌いではなかった。まだ大人になっていないホリーはもちろん、バートも酒は飲まないが。シャルリーヌは酒を飲むものの、たしなむ程度だ。




 そして酒盛りも早めに切り上げて、ホリーたちは部屋に戻っている。この部屋も冒険者の店らしく明かりのマジックアイテムが設置してあって中は明るいが、合い言葉を言うと消灯出来る。そのようなものがない宿ではせいぜいランプの薄暗い明かりがある程度だから、鎧の手入れなどで十分な明かりが必要な時はバートが明かりの魔法を使うのだが。

 今もホリーとバートとヘクターは同室だ。ホリーが着替える時はバートとヘクターは部屋を出るのは従来通りだ。バートとヘクターが着替える時はホリーは部屋の外に出ない。村娘だったホリーには、男の人の裸が恥ずかしいという感覚はそれほどない。さすがに間近で見るのは少々恥ずかしいから、見ないように後ろは向くが。

 今の彼らの部屋は通常通りではない光景になっている。



「リンジー。さすがに恥ずかしいんだけどさ」


「何言ってるんだい。あんたがニクラスとの飲み比べに負けたんじゃないか」


「うぅ……そうなんだけどなぁ……」



 リンジーはヘクターのベッドの上で、ヘクターに膝枕をしてやっている。酒に強いヘクターはもう酔いはだいぶ覚めて恥ずかしそうにしているが、リンジーはそのヘクターの反応に上機嫌だ。彼女もヘクターが自分を女性として意識していることがうれしいのだろう。シャルリーヌによると、今のリンジーは酔っているからあそこまで大胆になれるのだろうとのことだが。さすがにヘクターとバートたちも今は鎧は脱いで部屋着でいる。

 今はリンジーとシャルリーヌもこの部屋にいるのだ。彼女たちとニクラスとベネディクトは、今日はこの冒険者の店に男女別で部屋を確保している。もちろんリンジーとシャルリーヌはヘクターたちとは別室だ。

 その彼女たちがこの部屋にいるのは理由がある。ヘクターがドワーフのニクラスと飲み比べをして、その際にリンジーが横から口を挟んで賭けをしたのだ。ヘクターが負けたら、リンジーがヘクターに、シャルリーヌとホリーがバートに膝枕をしてやると。ヘクターが勝ったらリンジーが今日のこの店での冒険者たちの飲み代をおごると。それで見事にヘクターは敗北したのだ。ニクラスたちもリンジーたちの想いを応援しているのである。冒険者たちにとってもどちらが勝っても見物みものであり、勝負は大盛り上がりであった。



「でも、バートは無防備に寝ちゃってるわね」


「バートさんも忙しいですから、こうして気持ちよく休んでくれるとうれしいです」



 バートはホリーに膝枕されて、いつの間にか寝てしまった。そのバートを見て時折彼の頭をなでるホリーは、まだ大人にもなっていないのに慈母じぼのようにさえ見える。彼女は自分がこの男に恋をしているのかそうではないのかわからないが、自分に膝枕をされて安らかに眠っているバートを見るのがうれしかった。

 バートは膝枕をされる前は理由を付けて断ろうとしたし、ホリーもためらったのだが、シャルリーヌに押し切られてしまったのである。先にホリーで、次はシャルリーヌだと。バートも理屈で押し通すのは無理そうだと、少し膝枕してもらえばシャルリーヌも満足するだろうと諦めた。ホリーもシャルリーヌの勢いに流されてしまった。だが予想もしていなかったことに、ホリーに膝枕されたままバートは眠ってしまった。

 シャルリーヌもホリーをまねてバートの頭をなでる。バートは目を覚まさずに安らかに眠っている。ホリーも穏やかに微笑んでバートの寝顔を見ていた。



「ふふ。本当に無防備ね」



 シャルリーヌも穏やかに眠るバートを見て、起こすのはやめて今日はこのまま眠らせてあげようと思い始めている。自分は後日でもいいと。強力な魔法剣士であるバートがここまで無防備な姿を見せてくれているのは、この男は自分たちを信じてくれているのであろうという喜びもあった。



「ええ。こんなバートさんを見るのは初めてです」



 ホリーは自分が少し大胆なことをしているのかもしれないという自覚はある。自分が立派な人であるバートにこんなことをしていいのかという思いもある。だが、バートが自分の膝で安らかに眠っているのを見ると、そんな思いも吹き飛んだ。そして思う。自分はこの人に恋をしているのかもしれない。



「私がバートに膝枕するのは、また後日にしようかしらね」


「ええ。今日はこのまま眠らせてあげたいです」



 シャルリーヌは思う。バートに膝枕してやっているホリーが少しうらやましい。自分もまた後日でいいからそうしてやりたい。この男となら、そんな関係になってもいいかもしれない。エルフの流儀で数年間かけて見定めるのは、人間のバート相手では時間をかけすぎだろうか。だがそれだけ待てばホリーも大人になるし、この男には自分とホリー二人まとめて幸せにする甲斐性かいしょうを期待してもいいだろうか。この男の絶望と不信に捕らわれた心を溶かすのにも時間がかかるであろうし。

 そんなうわついた考えをしてしまう自分は、やはり酒に酔っているのだろうか。そして自分はこの男に恋をしているのだろうか。自分には恋の経験はなく、よくわからない。だが自分はこの男がかなり気になっているのは事実であろう。エルフと人間という寿命が違いすぎる種族の間の愛は、いずれ避けようのない別れが訪れる運命にあることは理解しているけれど。

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