第6話 エルムステルの街への道中 02

 次の村に来た。ここまでの道中は特に何もなく、平和なものだった。荷馬車はバートが御者をし、ヘクターは歩いて護衛をしていた。ホリーはバートの横に座らせてもらっていた。ホリーは自分も歩くと申し出たのだが、彼女が歩くより御者台に乗せる方が速く移動できると言われ、納得した。実際、旅慣れていない彼女が歩いていたらこの村に着くのはもう少し遅くなっただろう。この日は初めからこの村に宿を取る予定だったから多少遅れても問題はなくても、ホリーにあまり無理をさせず休ませるべきというバートたちの配慮もあった。もっと速く移動する手段もあるのだが、野盗たちに十分な管理もされずにつながれていた荷馬車の馬をあまり無理はさせない方がいいだろうという判断もあった。


 昼過ぎに、この村でも荷馬車の安全が確保できる少し上等な宿を取って、ホリーたちは宿の酒場でくつろいでいた。無理をすればこの日のうちに次の村まで行けるだろうけれど、到着するのは夜も更けてからになるであろうし、そこまで無理する必要は無い。



「あの……バートさんもヘクターさんも、鎧は脱がないんですか?」



 それは昨日から彼女が気になっていたことだ。バートもヘクターも夜ベッドに入る時以外は鎧を着たままだった。ベッドに入る前には鎧を脱いで、丁寧に手入れをしていたが。



「いざという時にも対処できるように、出来るだけ鎧は着たままにしている」


「それにこの鎧には長時間着てても疲れないようにする魔法が付与してあって、こう見えても結構快適なんだ」


「は、はい。でも重くないですか? 特にヘクターさんの鎧は」


「この程度、なんともないさ」


「私の鎧もヘクターの鎧も、軽量化の魔法も付与されていて見た目ほどは重くない。さすがにヘクターの鎧は相応の重さはあるが」



 全ての冒険者が宿でまで鎧を着ているわけではないが、宿でも油断しないのがバートとヘクターの主義だった。さすがに宿で戦いになることはそうそうあるものではないけれど、それでも彼らは油断しなかった。

 武器や防具への魔法の付与やマジックアイテムの作成は、智現魔法ちげんまほうという魔法分野によるものが多い。神聖魔法や精霊魔法のような感覚が重要になる魔法分野と異なり、知識の結晶としての学術的な側面を持つ智現魔法は、魔法を物品に込めるのにも向いている。

 そこに村人が一人酒場に駆け込んで来た。



「エルムステルの街まで行く人はいねえか!? 神官様に急いで来てほしいって伝えてほしいんだ!」



 バートたちや他の客が返事をする前に、酒場の親父がその村人に声をかける。



「どうした? そこの冒険者たちやあっちの商人が街に向かうようだが」


「うちのガキが木から落ちて、骨が折れちまったみたいなんだ! 痛え痛えって泣いてよぉ。冒険者さんたち、神官様に急いで来てくれるように伝えてくれねえか!?」


「待て待て。神官様を呼ぶにも、寄進きしんする金はあるか?」


「ああ! 寄り合いの金を持って来てもらうように頼んである!」


「なら大丈夫だな」



 大抵の村には、治癒魔法を使える神官は滞在していない。村に神殿があるとしても小規模なのが一般的で、管理する神官も神聖魔法を使えないことも多く、小さな集落ならほこらを信徒の総代が神官代理として管理している程度の所も珍しくはない。

 神官に魔法を使ってもらうためには、寄進をするのが一般的だ。金を取るのも、神聖魔法を使うにも魔力が必要でいくらでも使えるわけではなく、神殿に神の奇跡を求めに来る人々に歯止めをかけるためにも仕方が無いことではあった。それに神に仕える神官たちも、生きるためにも神殿を運営するためにも金が必要なのである。

 そして村々には、非常時にまとまった金が必要になった時、それを工面する助け合いの仕組みがある場所も多い。十件程度の家族単位でグループを作り、少額ずつ金を出し合って保管し、金が必要になった者にそれを与えるという仕組みだった。金を預かった者が一部を着服するという事例は時々発生するけれど、そういった者には大抵は懲罰ちょうばつが加えられることになる。


 ホリーが申し出る。



「あの……私がその子を治しましょうか?」


「へ……? 嬢ちゃん、あんた神官様には見えねえけど、神官様なのかい?」


「は、はい」



 村人がホリーを神官だと思わなかったのも無理はない。ホリーは村娘そのものの格好なのだから。

 ホリーには治癒魔法を使って見返りに金を得ようという下心はない。彼女は純粋な善意で申し出ていた。



「頼んでいいかい!?」


「はい。案内してください」


「私たちもついて行こう」


「そうだな。その子の折れた骨を変な対処してたら、そこに治癒魔法を使ったらおかしなことになるかもしれない」


「お、おう。来てくれ!」



 そうしてホリーたちは村の一軒の家に案内される。普通の農民の家だ。部屋に案内されると、一人の男の子が質素なベッドに寝かされて痛みに脂汗を流している。

 バートが男の子の腕に巻かれた布をほどき、当て木も取る。



「痛いが、我慢しろ」


「い゛っ!? いだっ!」



 素人の応急対処では適切な継ぎ方が出来ていなかったようだ。ヘクターが男の子の体を押さえ、バートが腕を適切な位置に直して当て木を当て、布をまき直す。バートもこの程度の怪我は癒やせる治癒魔法を使えるが、ホリーが申し出たのだから彼女に任せようとしていた。



「お嬢さん。治癒魔法を。一回では治癒しきれなければ、複数回使えばいい」


「はい。善神ソル・ゼルムよ。この者の傷を癒やしたまえ」



 バートに指示され、ホリーが男の子の患部に手を当て治癒魔法を使う。わざわざ手を当てなくても離れた位置からでも治癒魔法は効果を発揮するのだが、ホリーはまだそのことを理解していなかった。



「……あれ? 痛くなくなった」


「だ、大丈夫なのか?」


「うん! 全然痛くないよ!」



 治癒魔法はたちどころに効果を現し、男の子は不思議そうな顔をする。父親が心配そうに尋ねても、大丈夫とばかりに怪我をしていた腕をぶんぶん動かす。たった一回の治癒魔法で、男の子の怪我は完全に治っていた。

 バートとヘクターは目配せをする。治癒魔法も他の魔法同様、術者の力量によって効果が左右される。神聖魔法を使えるようになったばかりの者がこれだけの怪我を完全に癒やすには、複数回治癒魔法を行使しなければならないのが当然だ。それなのにホリーはたった一回の治癒魔法で完璧に癒やしてしまった。二人は思う。この少女は本当に聖女なのかもしれないと。



「ありがとう、ありがとう! 嬢ちゃんのおかげでせがれの怪我が治った!」


「ありがとう、お姉ちゃん!」


「ふふ。どういたしまして」



 ホリーは礼を言われるために治癒魔法を使ったわけではないけれど、やはり礼を言われるのはうれしかった。自分が役に立ったと実感できるのだから。

 村人が感謝するのも当然だ。街から神官に来てもらうにもどうしても数日はかかっただろう。その間、大切な子供が痛みに泣いているのを見るのは、親として辛かっただろう。

 そこに別の村人が銀貨を入れた袋を抱えて駆け込んで来た。



「おーい。寄進きしんするための金を持って来たぞー。あれ? 坊主が怪我したとお前のかみさんから聞いたんだけど」


「あれ? あんた、どうしたんだい? あんなに痛がってたのに」


「ああ。この嬢ちゃんが神官様で、せがれを治してくれたんだ!」


「おお! そりゃ運が良かったじゃねえか!」


「まあまあ。こんな若いのに!」


「本当に運が良かったぜ!」



 彼と、一緒に来た男の子の母親も元気な様子の男の子に目を丸くしている。



「嬢ちゃん! この金を受け取ってくれ!」


「……え? い、いえ、私はお金をもらうために治癒魔法を使ったんじゃないですし……」



 村人から銀貨の入った袋を押しつけられて、ホリーは困惑する。神官に治癒魔法を使ってもらうためには寄進きしんが必要なことは彼女もわかっていたが、自分が金を渡される立場になることなど考えたこともなかった。少額ならば彼女も受け取る気になったかもしれないが、袋に入っている銀貨は神官の旅費も含めているのであろうから、彼女からしてみれば結構な大金だった。

 困っているホリーにバートとヘクターが口を出す。



「お嬢さん。受け取っておくといい。お嬢さんが受け取るのを拒否すれば、村人たちにもどうしてもお嬢さんには無料でしてもらったという意識が出てくる。それを他の神官にも押しつけるようになってしまうかもしれない」


「そうなればこの人たちにとっても良くないからな」


「……はい」



 ホリーも渋々納得する。バートたちの言葉は彼女も理解は出来た。



「それにこれは俺からの感謝の気持ちだ! 是非受け取ってくれ!」


「そうだよ。お受け取りよ」


「……はい。ですが、半分でいいです。残りで、この子とそのお友達を誘ってあげて、一緒においしいものでも食べてください」


「嬢ちゃん、いい子だな! それじゃあ寄り合いの連中を集めて宴会でもするか! 嬢ちゃんたちも参加してくれるよな!?」


「は、はい。バートさんとヘクターさんも来てもらえますか?」


「同席しよう」


「俺は酒場で酒でも買ってくるよ。俺のおごりだ」


「お! あんたもいい人だな!」


「じゃああたしは腕を振るうよ!」



 これがホリーに出来る妥協だった。村人と男の子の感謝の気持ちを受け取らないのも気が引けた。ヘクターはその様子を微笑ましそうに見ている。バートは無表情のままだけれど。




 そして夕方になり、村の広場では大勢の村人たちがテーブルを広げ、料理と酒を持ち寄って、まるでお祭りのような様相になっていた。男の子の両親は寄り合いの仲間たちだけで宴会をするつもりだったのだが、娯楽ごらくに飢えていた村人たちもそれを聞きつけて、盛大な騒ぎになっていた。突然のことだったから、準備が必要な特別な料理が用意されたわけではないけれど。

 ヘクターは酒場でワインを十本ほど買って持って来たのだが、この規模では到底足りないと、大きなエール酒のたるを買って来ていた。ヘクターはこの程度の出費は問題ないしみんなで楽しむ方がいいと笑うばかりだ。

 そのヘクターはお祭り好きらしく、村人たちに混ざってよく飲んでよく食べていた。そして時々村の子供たちにまとわりつかれて、肩車をしてやったりしている。


 ホリーはバートと共にいる。バートは酒も飲まず、料理も物静かに食べているだけだった。村人たちもバートは気難しい男だと思ったのか、あまり積極的には声をかけない。



「バートさんはお酒は飲まないんですか? 良ければもらってきますけど」


「酒は思考と動きを鈍らせる。私は飲まない。他人が酒を楽しむのを邪魔する気もないが」



 ホリーの申し出にも、バートの返事はにべもない。



「君も私といてもつまらないだろう。にぎやかな所に混ざるといい」


「い、いえ。大丈夫です。私もあまり騒がしすぎるのはちょっと苦手で……」



 無表情で淡々とした声でも、この男なりにホリーのことは配慮しているのだろう。

 ホリーが騒がしすぎるのは苦手と言ったのも、嘘ではない。だがそれ以上に、この男を一人にしておくべきではないと思った。彼女は今朝の啓示けいじのことが気にかかっていた。



「でも、バートさんも優しいんですね。さっき子供たちの相手をしてあげていましたし」



 村人たちがお祭り騒ぎの準備をしている間、ホリーたちは村の子供たちの相手をしていた。村の女の子たちと一緒に野に咲く小さな花で冠を作ったりと。ホリーの姿に見とれていた年頃の村の少年たちが親に手伝えと小突かれている光景も目にした。ホリーは彼女の村でも少年たちからそのような視線を向けられていたが、彼女はこれまで恋という感情を意識したことはなかった。

 ヘクターはいかつい見た目に似合わず子供好きで、村の子供たちにも人気があった。バートは自分が子供の相手をするのは向いていないという自覚があったから、薪割まきわりを手伝っていた。しかし剣士の格好をしているバートには村の子供たちも興味津々きょうみしんしんで、せがまれて剣舞を披露して喝采かっさいを受けたりもしていた。この男は表情を動かしもしなかったけれど。



「あの子供たちもいずれ強きになびくだけの大人になるのだろう。悪の道に行ってしまう者もいるかもしれない。善の道に行く者も出てくる可能性は否定しないが」


「……」



 ヘクターは言った。バートは極度の人間不信だと。

 善神は言った。バートは人間に絶望していると。

 ホリーも理解せざるを得なかった。この人にとって、ほとんど全ての人間は妖魔同然の本性を持つ悪に見えているのだろうと。善の方向に導こうとするのも無意味だと思っているのだろうと。

 それが悲しかった。この人も決して悪い人間ではない。むしろ行動だけなら善を成そうとしていると言ってもいいのかもしれない。そのバートが全てに絶望しているのが悲しかった。

 だけど彼女には希望もある。善神は言った。この人も本当は人間を信じたいのだろうと。


 ヘクターたちの方では、村人たちがにぎやかに騒いでいる。



「でもよぉ……王様が殺されて、上が帝国になってから悪いことばかりだ。税は上がるしよぉ」


「それは違う」



 酔っ払ってわめく村人に、ヘクターが静かな声で反論する。彼はあれだけ酒を飲んでも、酒に飲まれてはいなかった。



「兄ちゃん。違うってなんでだよ」


「旧王国の時は、旧王国領全土に権威主義と不正がはびこっていたと俺は聞いているぜ。魔王軍の侵攻にも、いつ前線を突破されてもおかしくなかったとも。今は少なくともフィリップ第二皇子殿下がいる旧王国領東部の方は、規律も行き届いていて治安も良かった。魔王軍の侵攻も押しとどめられているしさ。その範囲を外れる旧王国の貴族たちが統治している地域の方が、はっきり言って治安が悪い」


「そういえば……帝国が来る前は、魔王軍が今にも押し寄せて来るんじゃないかって噂だったっけなぁ」


「村を逃げる奴等も何人もいたなぁ……」


「旅の人も、東部の方が妖魔共の被害も少ないって言ってたなぁ……でも税が上がってるのはよぉ……」


「それは仕方ねえだろ。その税でエルムステルの城壁を作ってて、いざという時は俺たちも街に逃げ込めって言われてるんだから」


「でもよぉ…いつになったら城壁は完成するんだよ。結構前から作ってるはずだろ?」


「すぐにできるわけでもないのじゃろう。それに言いたくはないが、王国の頃も今と同じくらいの税は取られていたからのう」



 ホリーはチェスター王国にヴィクトリアス帝国が侵攻した頃はほんの小さな子供だったから、よく覚えていない。

 帝国に併呑へいどんされる前、旧チェスター王国の民衆は魔王軍の恐怖の前に不安を募らせていたのは事実だった。王も領主たちもあまりにも頼りないと。村人たちもそれを思い出していた。



「そうなんですか?」


「私とヘクターが見て来た感想で言うと、旧王国領東部のフィリップ殿下の統治が行き届いている地域では、統治に問題があるようには見えなかった。そして東部では魔王軍の侵攻は押しとどめられている。殿下の統治が行き届いていない地域では、旧王国出身の領主たちが勝手なことをして統治にほころびが出てきているように見える」



 ホリーの質問に、バートも肯定する。ホリーは自分が聖女かもしれないということは信じていなかった。それでも自分はフィリップ第二皇子の元に連れて行かれるということで、気になってはいた。バートたちの言葉からすると、フィリップ第二皇子は立派な人なのかもしれない。

 バートは続ける。



「現状を不満に思っても、実際に行動に移す者は少ない。善のために行う者はさらに少ない。私自身、他人のことを偉そうに言える立派な人間ではないが」



 ホリーはバートがなぜこんなことを言い出したのかわからなかった。



「旧王国の民は幸運だったのだろう。皇帝陛下とフィリップ殿下は民は守るべきものという統治者としての良心を持っているように思える。滅亡間際の王国にはそれはなかった。今も残っている王国の旧臣たちも、統治者としての良心など無く己の欲望を優先する者ばかりだ……余計なことを言った」



 そしてバートは口を閉じる。ホリーには、この人には珍しくその言葉には感情がこもっているように思えた。旧王国に対する郷愁きょうしゅうではなく、侮蔑ぶべつの感情が。だが彼女は気づかなかった。この人が言う余計なことをこぼしてしまう程度には、彼女を見込んでもいいのかもしれないと思い始めていることに。

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