第5話 エルムステルの街への道中 01

 ホリーたちは野盗たちのいた場所を離れ、街道沿いの次の村の宿に泊まっている。商人の荷馬車も利用する宿だ。宿泊料は少々高めだが荷物の見張りもしてくれ、荷物の安全も確保できるため、商人たちにはこのような宿が重宝されていた。



「あの……私までこんないい宿に泊まらせてもらっていいんでしょうか……?」


「構わない。君の安全を確保しなければならない」


「俺たちにとってはこの程度の出費は問題ないしな」



 一般庶民が街の神殿をもうでる時などはもっと宿泊料の安い宿を使うのが一般的で、旅費を無駄遣いするわけにはいかなかったホリーもこれまではそういった安い宿を使っていた。だがバートたちは依頼されて商人の荷馬車を取り返し、その荷物の安全も確保しなければならないということで、この宿に泊まっていた。ホリーの宿代もバートたちが出してくれたのは彼女は恐縮している。この宿は体を清めるためには安宿のような行水して布で体を拭うだけのスペースが用意されているのではなく、風呂まである庶民にとってはそう気軽には泊まれない宿だったのだから。



「お客さんたち、この料理はサービスだ。野盗共を退治してくれた礼だ」


「そうか」


「ああ、ありがとう」



 バートたちは荷馬車の行方を確認するため行きにこの宿で聞き込みをしていたから、宿の主人は野盗が退治されたことに安心し、感謝している。街道が危険だと知れ渡ってしまえば、領主が兵士を派遣して野盗たちが退治されるまでは街道を行き交う人々は減るだろうし、そうなれば宿の収入も減ってしまうのだから。それもあってバートたちは食事代はサービスされて特別な品も出されたし、ホリーもその恩恵にあずかっていた。


 食事も終えて彼女らは部屋に戻る。



「お嬢さん。私たちと同室なのはすまない。本当は男女別にするべきなのだろうが」


「お嬢さんの安全を確保しないといけないからな」


「いえ。大丈夫です」



 ホリーはバートたちと同室だ。聖女かもしれない存在であるホリーに万が一のことがあってはならないと。冒険者は男女の区別をあまり気にしない者も多く、少人数ならば男女同室で宿泊費を少しでも抑えようとするグループは、特に駆け出しの冒険者には珍しくない。



「お嬢さんが着替える時は私たちは部屋から出よう」


「ああ。お嬢さんも男に肌を見られたくはないだろうからな」


「あ、ありがとうございます……」



 それでもホリーが旅装から母が荷物に入れておいてくれた寝間着に着替える時は、野盗たちに下卑げびた感情を向けられた後に男に肌を見られるのは抵抗があるだろうと、バートとヘクターは部屋の外に出てくれた。それはホリーにとってはとてもありがたい心遣いだった。バートたちのことは信じたいと思っても、彼女はあの獣欲に満ちた男たちの表情を当分は忘れられそうになかった。


 ホリーは寝る前に善神ソル・ゼルムに祈りを捧げてベッドに入ったのだが、あんな体験をしたばかりでなかなか寝付けなかった。



「お嬢さん。もう大丈夫だ。安心して寝ればいい」


「ああ。私たちと一緒ということに緊張しているのかもしれないが」


「あ、ありがとうございます」



 その彼女に人の良いヘクターが心配の声をかけてくれて、バートも無感情であっても気遣いの言葉をかけてくれた。そうしているうちに彼女も疲れが出たのか、いつの間にか眠りに落ちていた。


 そしてホリーは夢の中にある。神殿のような空間、ホリーの目の前には一人の青年に見える男が立っていた。いや、人という表現は正しくないだろう。男は明らかに人にはあらざる神聖な雰囲気を放っていた。ホリーはあまりのおそれ多さに膝をつき、祈りをささげる体勢になる。彼女は以前にもこの存在を夢の中で見たことがあった。

 存在が言葉を発する。



「かの者は、我が友に似ている」



 それはホリーに語りかけているのか、それとも独り言なのか、彼女にはわからなかった。だがなぜか、存在の言うかの者とはバートことだとわかった。



「私は我が友と対立し、戦った。だが私は友を憎むことは出来なかった。それは友も同様であったであろう」



 ホリーは恐怖した。もしかしたら自分もバートと対立するかもしれないと。それはバートと敵対したら自分は死ぬしかないという恐怖ではない。バートは不思議な人だが、決して悪い人ではない。彼は自分を助けてくれたし、配慮してくれている。その彼と戦うことなど考えたくなかった。



「我が信徒よ。出来得ることならば、かの者の心を救ってやってくれ。かの者は人間に絶望している。全てに不信感を抱いている。それなのに、義務感だけでかの者は善行をしている。我が友のように、かの者も本当は人間を信じたいのだろう」



 ホリーは理解した。存在の言葉は独り言ではなく、自分に対して語りかけているのだと。存在は彼女がまだわかっていないバートの本質を見抜いているのだろうと。

 絶望。その言葉で、ホリーはヘクターがバートは極度の人間不信だと言っていた理由がわかったような気がした。バートが本当は人間を信じたいと聞いて、彼の矛盾する人となりもに落ちた。



「我が信徒よ。善の意味を考えよ」



 ホリーは目の前の存在が何者なのかわかっていた。善神ソル・ゼルム。彼女に神聖魔法の力を与えた偉大なる神だ。

 神は全てを見ているとされている。それが本当に全てを見ているのか、それとも信徒の見聞きしたことが神に伝わっているのか、それは神学者たちにとっても議論の対象である。

 善神が友と呼ぶ存在が何者なのか、そして善の意味を考えろという言葉の意味は、彼女にはわからなかった。


 ホリーは目を覚ます。先程の光景は夢だったのだ。普通の夢は起きた時には淡雪のように記憶から抜けていくことが多いのだが、先程の夢ははっきりと覚えていた。彼女は理解していた。あれは善神ソル・ゼルムの自分に対する啓示けいじだったのだ。自分はバートの心を救わねばならぬのだ。自分ごときが立派な冒険者であるバートの心を救えるのか、そもそもどうすれば彼の心を救えるのかわからないと、不安ではあったけれど。



「お嬢さん、起きたかい?」


「疲れているのだろう。まだ眠いならもう少し寝ていても構わない」


「あ……はい。大丈夫です」



 ホリーが起きたのは、いつもより遅めの時間だった。やはり彼女も疲れていたのだろう。先に起きていたヘクターとバートが声をかけてくれた。彼らの気遣いが彼女には快かった。この人たちはとてもいい人なのだろう。少し恥ずかしかったけれど。

 善神の啓示けいじに、バートのことは心配だった。でも直接それをバートに言ってどうにかなるものではないだろうということは、人生経験の少ない彼女にもおぼろげではあってもわかっていた。



「では、君が着替えている間は私たちは部屋から出ていよう。着替え終わったら声をかけてくれ」


「慌てる必要は無いからな」


「あ、ありがとうございます」



 そのバートたちの気遣いは、ホリーにとってはありがたい。村娘だった彼女は羞恥心しゅうちしんはそう強く意識してこなかったが、あんなことがあったばかりで男性に肌を見られるのは抵抗があった。バートもヘクターも、大人にはもう少し届いていない小娘の自分にそんな感情を向ける下劣な人間ではないだろうとは思っていたが、それでも抵抗はあった。


 そしてホリーは旅装に着替え、バートとヘクターと共に宿の一部である酒場で朝食の席にある。朝食も安宿とは違って少し上質なものだった。

 朝食を一通り食べ終わって、ホリーは尋ねる。



「あの……善の意味って、なんだと思いますか?」


「ふむ……」


「それは……深いな」



 善神の啓示けいじの意味は彼女には理解できず、バートたちの考えを聞いてみたかった。



「私は公正であることだと思う。自分自身に対しても他者に対しても公正であり、他者に対しても慈悲深く接するならば、それはすなわち善となるのだろう」


「俺はそこまで小難しいことは考えられねえなぁ。いいことをして悪いことはしない。それが善だと俺は思う」


「なるほど……」



 ホリーはバートの言葉もヘクターの言葉も理があると思えた。バートの小難しい理屈を単純化するとヘクターの言葉になるのだろうと彼女は思った。



「お嬢さんはなんでこんなことを聞いたのかい?」


「善神ソル・ゼルム様からの啓示けいじで、善の意味を考えよと言われたんです」


「それは神官として考えなければならないだろうな」



 ホリーの言葉に、バートもヘクターもあっさりと納得する。神官にとって神の啓示は絶対だ。神の啓示に背くことを続けた神官が神聖魔法の力を失うという事例もまれにある。

 ホリーが受けた啓示がただ一回ではないことを知れば、バートたちは彼女が聖女だと確信を深めたかもしれない。だがホリーは神官も複数回神の啓示を受けることはまずないということを知らなかったから、バートたちにもそれを言わなかった。

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