家守
さら坊
いくぜ、ヤモちゃん
目を開けた途端、耳にせせらぎの音が響いた。今日は川の近くにでも来ているのだろうか。
透明な窓のようなものから外を眺めると、朝日が水面に反射して目に差し込んだ。僕は少し目を細め、目が光に慣れるのを待つ。
しばらくすると視界には緑の世界が広がり、所々には名残ともみえるコンクリートの灰色が覗かせている。その景色を真っ二つに割るように川が流れていた。
「おはよう、ヤモちゃん」
日課の挨拶を済ませると、僕はいつものように壁を優しく撫でた。手には苔のふわりとした感触と、樹木特有の柔らかさを孕んだ硬さが伝わってきた。
今日も調子が良さそうでなによりだ。
僕が生きているこの時代。家は生きていた。それは比喩的な表現ではなく、生命として生きているのだ。
かといってそれぞれに意思や感情があるのか、と問われると、それは未だ解明されていないらしい。
かつての生物学者が言うには、「生きているとは、"循環"していることをいう」のだそうだ。この時代に存在する物体は、ほとんどこれに該当していた。
僕たち人類は、この循環システムを利用して、生きていた。
少し前の人類は、遺伝子操作という画期的な発明をした。それは、既存の生命を人類の都合の良いように改造できる、まさしく夢の技術だった。
初めは食用の植物などで有名になり、建築用の木材にもその技術は応用された。そうして人類は、数多の植物や動物の遺伝子を操作し、生きやすさを作り出していった。
今では植物が地面から水を吸い出す性質を利用し、それを過剰に設定することでその植物から水を取り出すことを可能とした。
生物が血小板などを用いて傷を修復できることを利用し、壁の傷がすぐ塞がるようになった。
植物が太陽光を求めて葉を伸ばす性質を利用し、植物を自走可能とすることで、大きな植物が住宅兼一種の移動手段となったりもした。
それらが集結したのが、僕の家だ。
僕は樹の洞穴のような場所に住んでいた。
昔の人たちが聞けば、なんだか住みづらそうな印象を持たれるのかもしれない。それはきっと時代が違うからこその感覚なのだろう。
僕の家は大きいとも小さいともいえない一本の樹だった。それでも横には広く、樹の上部は歪に膨らみ、人間も住めるような大きさに変形していた。家族三人が暮らせるように、器用に部屋分けまでされている。
外に出ると、その大きな膨らみから地面までをつなぐ木製の階段が降りていた。
どれもこれも、樹木に人間の要望が顕れた結果だった。
樹から湧き出る水で顔を洗い、枝に掛かる服を身にまとう。
着ていたパジャマは、部屋の隅にある不自然な窪みに放り投げた。ここに投げておけば、数時間後には微生物らによって汚れのみが分解される。その後勝手に植物の吸収機能によって水分が吸収され、簡易的な脱水までしてくれる。
洗い終わった衣服からは懐かしさを感じさせるような優しい匂いがした。
昨日近所の気のいいおじちゃんに貰ったパンをかじりながら、僕は商いの準備をした。
ほつれかかっている風呂敷に床に散らばっている人形を詰める。
これらは全て、家から削り出した木材を僕が加工して作ったものだった。
「髪型よし、顔も洗った、服もよし、人形も完璧―――うん、おっけい」
玄関でいつもの確認を済ませ、再び家の中をふり返り挨拶を告げた。
「いくぜ、ヤモちゃん」
僕は慣れた足取りで階段をすっ飛ばし、地面に着地した。いっても五段程度のことだったので、いちいち降りるのが面倒で毎日飛び降りている。
人形が傷ついていないかを確認した後、家の真ん前に風呂敷を大きく広げる。風呂敷の中からコロコロと人形が転がり出た。
土下座しているようになってしまっている人形たちをきちんと起こしてやり、綺麗に並べてみせた。サイズや見栄えに合わせて細かく調整する。
人形達が全員自分に背を向けていることを確認し、露出した根っこに腰掛け、僕は大きな声で町ゆく人に呼びかける。
「さあさあ、上質な木の人形はいらんかねー、木造の家の雰囲気にぴったりだよう」
さっきまでフラフラと歩いていた人たちの目が一瞬、こちらに向く。
そして再び地面や向いている方向に視線を戻す。
この商いを始めてから、嫌というほど見た光景だった。
「おうおう、これはケンちゃんじゃないか、久しいなあ」
唯一目をこちらに向けたままだった人影が僕に話しかけた。
「こりゃあ源さん、何日ぶりかなあ。前にあのデカぶつの近くで会ったきりだよなあ」
「ああそうだ、思い出した。俺たちみたいなのが再会できるなんて、そうあるもんじゃあない。お祝いに一つ、買ってくよ」
源さんはニッと笑うと、前屈みになって人形を眺めた。
「ほんとかい! 大は千円、中は千五百円、小は二千円だよ」
「あーそうだ、なんで小さい方が高いんだって、言い合いになったこともあったな」
「小さい方が作るのが難しいんだって、源さん何度言ってもわかってくれないんだもん」
そう言うと「悪かった、悪かった」とニコニコしながらしゃがみこみ、指を差して人形を選んだ。
選んだのは小の人形だった。
「俺はケンちゃんの作る人形が好きだったんだ。純動物がモデルなんだっけか。なんだか綺麗な気がしてな。今でも飾ってあるぜ、玄関を彩ってくれてる」
純動物とは、この世界で遺伝子操作を受けていない動物のことだった。
僕は源さんからお金を受け取りながら頷いていた。気を緩めると涙がこみ上がってくる気がした。
「ありがとう、そう言って貰えるのが一番嬉しいよ。でもすごいなあ、小が売れたのなんて、いつぶりか」
「いいんだいいんだ、さっきも言ったろう? こんな再会中々ないって」
そう言う源さんの表情は、すこし悲しそうにみえた。
源さんのいうとおり、移動する家に住む僕らがもう一度会えることなんて、滅多にあることじゃなかった。
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