第92話 平穏

 ユーライが目を覚ましたとき、最初に視界に入ってきたのはクレアの鎖骨だった。


 ベッドの上でクレアと抱き合って眠っていたらしい。服は着ているので、抱き合う以上の意味はないだろう。



(……いや、クレアだけじゃないな。背中にはリピアか)



 ユーライは背中にも温もりと柔らかさを感じる。毎晩一緒に眠っている仲だから、感触や抱きつき方でも相手が誰かはわかる。



(今は朝? ここは……グリモワにある民家かな? あれからどれくらい経った?)



 ユーライがもぞもぞしながらクレアの感触を堪能していると、扉の開く音。



「あ、ユーライ様、目が覚めましたか?」


「ん……その声は、ギルカ?」



 視線をやると、ギルカが笑顔を見せている。火傷はともかく、髪や体毛の回復には時間がかかるだろうと思っていたが、聖女の力で何事もなかったかのように元通りだ。



「ギルカです。逃げ遅れちまいまして、ちっとばかし重傷を負いましたが、もう大丈夫です」


「そっか。良かったぁ……。心配させないでよー。ギルカのせいじゃないけどー」


「すみません」


「まぁ、とにかく無事なら良かった。でも……ギルカの部下、何人か死んじゃったよな……」


「……ええ。おれとしちゃ悔しいことですが、もうユーライ様が色々と終わらせた後だったんで、あとはただ部下の死を悼むだけです」


「……うん。ごめん。私が魔王なせいで」



 二人の女の子に挟まれながらの謝罪というのも、ふざけた話である。


 ただ……この二人、たぶんもう起きている。がっちり体を掴まれて、ユーライは動けない。



「気にしないでください。

 人は、唐突に、そして理不尽に死ぬこともあります。新しい希望を持った矢先に、それを踏みにじられることもあります。あいつらもそれくらいわかっています。自分たちも、そんな死を他人に押しつけたこともあります。

 あいつらも、やれやれついに自分たちの番が来たなぁって軽く受け止めてますよ」


「……そっか。私も、切り替えていこうかな」


「そうしてください」


「ん。……ちなみに、ここってグリモワだよね? 私、何日寝てた?」


「ここはグリモワです。そして、ユーライ様は三日間眠りっぱなしでした。そこの二人に、いいように抱き枕にされてましたよ」


「……そう」


「もう少し休まれますか?」


「そうだな。この二人が満足するくらいまでは」


「それ、たぶんさらに三日間くらいベッドから離れられませんよ?」


「おいおい」


「まぁ、ゆっくりしてください。急いで何かをする必要もありません。それでは」


「ん。また後で」



 ギルカが去る。


 すると、クレアが口を開く。



「ユーライ。無事で良かった」


「ん。でもむしろ、私からするとクレアたちが無事で良かったよ。あの大天使、魔力だけは高かったから」


「あたしたちは無事。ユーライを置いて逃げるしかなかったのは、悔しかったけど」


「相性の問題だから」


「うん。わかってる」


「次、また何かあったら、一緒に戦ってよ」


「それは、命令?」


「命令、だな。つーか、このやりとり、毎回必要?」


「……わからない。始めの頃は、ユーライのために自分の意志で動くことに抵抗があった。だから、命令なら動くことにした。

 今は、初心を忘れたくないから尋ねる。本当にすべきことなのか、考える時間を作る。ユーライが道を踏み外しそうになれば、あたしがちゃんと正せるように」


「……そっか。それなら、続けていこうか」


「うん」



 クレアが側にいてくれることを、ユーライはありがたく思う。


 どれだけ強大な力を持とうと、クレアがいてくれれば、今後も大丈夫だろうとも思う。



「ねぇ、ユーライ、傷は痛まない?」



 今度は、リピアが話しかけてきた。



「ん。大丈夫。治してくれたのはリピアだよな? ありがとう」


「治したのはあちし。結構酷い傷だった。なかなか治らないし……。人間だったら普通に死んでるような傷で、あちし、びっくりしちゃった」


「ごめん。ま、私はそうそう死なないから、大丈夫」


「うん。でも、無茶しないで。あちし、ユーライがいなくなったら嫌だよ」


「ん。大丈夫。どこにも行かない」


「約束」


「うん。約束だ」



 二人は、それからしばらくユーライから離れなかった。


 ユーライはそれを心地よく思いながら、もう少しだけ眠った。


 そして、夕方。



「……ユーライの異世界生活、随分ただれてない? クレア、リピア、フィーアはもうユーライにべったり。ギルカはまだ一線引いてる風だけど……」



 ユーライは民家の一室で、リフィリスと二人きりで話している。



ただれてるとか言うなよ。仲良しな女の子がたくさんできただけ」


「仲良すぎでしょ。特にクレアとリピアとはどういう関係なの? 恋人なの?」


「違うよ。恋愛的なことは何もしてない。毎晩一緒に寝てるけど、せいぜいただ抱き合うだけだよ」


「……爛れてる」


「やらしいことなんて何もしてないって」


「あやしい」


「本当に何もしてないって。……たぶん」


「そうだとしても、私が教会に捕まって隔離生活してるときに、ユーライは女の子侍らせてウハウハ生活してたんだね。ずるい」


「変な言い方するなよ。こっちはこっちで大変なんだぞ? 拷問受けたり、剣で刺されたり、万の軍勢を差し向けられたり」


「うぇ、そんな感じだったの? そういう苦労は、私にはなかったかな」


「だろ? どっちがいいとか、簡単には言えないよ」


「そだね……。ただ、ユーライはもう、こっちの生活に馴染んでるんだね」


「まぁ、そうかな」


「ちょっと退屈じゃない? マンガもゲームもネットもない。娯楽少なすぎ」


「娯楽は確かに少ないな。でも、大事にしたい人もできたし、私はここの生活も好きだよ」


「……やっぱり、そっちの方がいい生活してる気がする。私、こっちで大切な人なんてできたことない。

 教会の連中は、もちろん私個人を愛してはくれてなかった。必要なのは祝福の子で、勇者。

 こっちの両親だって、私はそんなに好きじゃない。私が特殊な子だってわかって、教会の連中が家にやってきたとき、親は大金で私を売った。

 まぁ、裕福な家じゃなかったから、子供一人売って一生安泰なお金が手に入れば、売るのかもしれない。それがこっちの世界の倫理観なのかもしれない。けど、私はやっぱり裏切られた気持ちになったよ」


「……普通の子供なら、相当歪んだだろうな」


「本当にそう。まっとうな心を保った私、偉いと思う」


「確かに偉い。ま、大切な人はこれから作ればいい。また色んな出会いはある」


「……ユーライに会えたのは、良かったと思う。でも、もう取り巻きがたくさんいるからなぁ……。私だけの特別、みたいにはならないよね……」


「それは、うん」


「っていうか、ユーライって同性愛者? 男には興味ない感じ?」


「まぁ、そんな感じ」


「ふぅん……。私は異性愛者だから、私が可愛いからって変な期待しないでね?」


「してないよ。可愛いとは思うけど」



 リフィリスが得意げに微笑む。人形のように整った美貌は確かに魅力的。


 だが、ユーライにとって大切な人は、世界一美しいから大切なのではない。


 リフィリスは可愛いなと思うけれど、それだけだ。



「……決めた。私、魔王より楽しい異世界生活送ってやる。友達も仲間もたくさん作って、ちゃんと恋もして。幸せになる」


「うん。応援する」


「……聖都ではたくさんの人が死んじゃったけど、あんなの私のせいじゃないし。私だって被害者だし。いちいち気に病んでやらない」



 そう宣言するリフィリスは、実際にはとても気に病んでいる様子だった。


 まっとうな精神を持っていれば、万を超える人間が身近で死ねば、気にしないでいられるわけもない。



「リフィリスは何も悪くない。私もそう思う。死んだ人の分まで精一杯生きようとかも、考える必要はない。周りが勝手に騒いで勝手に死んだだけだって、図々しくいればいいさ」


「……うん。そうだね」



 それから、ユーライはリフィリスと色々な話をして、その途中、勇者としての衝動を抑えるための処置もほどこした。


 リフィリスもユーライと対立する意志はなかったので、素直に受け入れた。


 二人は一晩中でも話し続けられたのだけれど、途中でクレアとリピアがやってきた。



「幼女に悪いことしてないよね?」


「小さい子に変なこと教えちゃダメだよ?」



 なんの心配をしているのだか、とユーライは呆れた。誰かに執着しすぎると、冷静な判断力を失うということだろう。バカバカしいが、可愛らしい反応ではあった。


 そして、夜はまたクレアとリピアに挟まれて過ごし。


 何か忘れているような……? と思いつつ、ユーライは翌朝を迎え。



「……わたくしへのご褒美のキスは、いつになったらくださるのですか?」



 フィーアに拗ねた様子で詰め寄られて、ユーライは少し焦った。


 クレアとリピアが不穏な気配を出し、軽く揉めることになったけれど。


 誰も死なない平穏な時間に、ユーライはとても満足していた。

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