識別名・ラバーズ🖤
ほんのり明るい間接照明。ツインサイズのベッドの端に腰掛け、男は座っていた。
隣には先程、一夜を過ごした女が横たわり、手にはタバコをつけたライターを握っている。
男の背中には古い火傷跡が残り、今現在も痛々しい様相である。
「ねぇ、その傷。いつからついているの?」
女が問うた。
「私達が知り合った時には、もう付いてたの?」
「ああ。」
「へぇ、いつから?」
「聞きたいか。」
「まあ、そうね。あなたのことなら何でも。」
「そうか。」
「うん。」
女のその言葉を深く噛み締めるように、男は下を向く。そして、唇が震え、言葉が漏れ出してくる。
「………俺は、俺は死にたかったんだ。」
男は思い出す。過去の過ちと今現在の罪を。
男は昔から出来が悪く、学校内でも腫れ物扱い。中学の時はいじめられたりもした。勉強もダメ。運動もダメ。人付き合いもまるで出来ない。それなのに顔は多少いい物だから、異性間のトラブルに幾度となく巻き込まれる始末である。
家でも彼の居場所はなく、両親の離婚の末に母に引き取られたが、母は離婚後に出来た彼氏に夢中で、男の事など、どうでも良い。むしろ、どこかでのたれ死んでくれと言わんばかりであった。
そんな彼の唯一の心の拠り所となっていたのが、家の近くにある廃屋だった。
彼は授業が終わるや否や、学校を飛び出し、家には帰らず、夜遅くまで、その廃屋でゴロゴロと遊んでいたのだ。
「ああ、ここさえあれば他に欲しいものはないんだ。母さんが俺に興味が無くなろうとも、学校でいじめられようとも、ここさえあれば、それでいいんだ。」
男は常日頃から口癖のように、自分に言い聞かせるように、そう言っていたのである。
ある日の事だ。今日も今日とて、学校から走って廃屋に来ると、そこには怪我をした猫がいた。
猫は男を見て、ふらつきながら逃げようとするが、足に負った怪我で直ぐに座り込んでしまう。
「お前、大丈夫か?今、薬買ってきてやるから!そこで待ってろよ!」
男はボロボロの猫を見て、自分と似た物を感じたのか、無性に猫を助けたくなった。
猫もそれを知ってか知らずか、小さな声で鳴いた。
男は荷物を廃屋に置き、晩御飯代の500円を握りしめ、最寄りの薬局へ走った。今まででないくらい全力で走った。
傷薬の値段は470円だった。
今度は傷薬を握りしめて、廃屋へまた全力で戻る。
そこには、先程廃屋を駆け出した時と同じ場所に座り込んだ猫の姿があった。
「お前、じっとしてろよ。お前のためなんだからな。」
男は自身の服を破り、傷薬を染み込ませ、猫の足に巻いた。巻こうとするたび、暴れ、引っ掻かれたが、それでも最終的に猫も理解したのか、大人しく処置をさせてくれた。
その日から、猫はよく廃屋に来るようになった。
よく晩御飯に魚肉ソーセージを買ってきて、2人で食べた。
初めて、友達が出来たのだ。
男はこの上なく嬉しかった。腹がいつもより空いていようと、些細な事に感じられたのだ。
男と猫は共にゴロゴロと廃屋で過ごし、猫の傷はどんどんと良くなっていった。
だが、そんな男の幸せな生活も長くは続かなかった。
男がいつも通り、夜更けに家に帰ろうとした所、中年の女に呼び止められたのだ。
「ちょっと!君!ここ、入っちゃダメな所だよ?!知らないの?!それにこんな遅くまで!まあ、最近の子は節操がないから、いけないわ!君、家の電話番号分かる?親御さんに迎えに来てもらうから。」
そんな事を言っていた気がする。
男は逃げた。幸せな空間に誰も入れたくなくて、自分で気持ちを切り替えずに、現実に戻されたくなくて、男は逃げ出した。
その日はそのまま、家に帰り、風呂に入って寝た。その頃にはもう、中年女性の事は忘れそうになっていた。
だけど、事は動き初めていた。
今まで、放って置かれていた廃屋が取り壊される事になったのだ。
学校で教師がそんな事を言っていたから間違いない。
理由としては、老朽化していて、子供が入って遊ぶと危険だから。野良猫の温床になっているから。というものだった。
「あのババア!よくもやってくれたな!」と心の中で、怒鳴り散らかすが取り壊しの日程は当たり前だが、変わらない。
刻一刻と取り壊しの開始日時が迫ってくるのだ。
男はどうしても、阻止したかった。あの廃屋が彼の唯一のオアシスだから!彼の居場所なんて、他にどこにもないのだから!だけど子供一人が何をしたって「ふざけるな」と叱られるのがオチだ。
「ここが無くなるんだったら、生きてる意味ねぇや。」
無意識に口から出た、その言葉は彼の本心だった。
「じゃあさ。もう死にたいな。せっかくなら、ここがある内に、ここで死にたい。」
男はそう思い、行動に移す。
家から大量に灯油をもってきて、そのまま廃屋に撒く。特有の匂いが鼻を刺すが気にしない。
自分も頭から浴びる。手にはお母さんの彼氏が置いていったライターを握りしめた。
カチッ。
次の瞬間、辺りは火の海に包まれる。熱い、息ができない。喉が焼ける。
男は身体が熱せられる度、助けてという言葉を噛み殺した。
「助けを求めて、誰かが助けてくれるんだったら、とうに助かっているはずだ。もう終わりにするべきなんだ。」
火の海の中、男はボソリと呟いた。
しかし、その直後、近くで「ニャァァァ!」と声が聞こえる。
まさか、猫がまだ、ここに残っていたのか?俺に会うために来てくれたのか?
俺はどうでもいい、せめて猫だけでも助けてやりたい。
男は燃え上がる廃屋の中を探し回り、肌を焦げ付かせながらも、なんとか猫を見つける。
見つけた時点で力無くグッタリとしていた。直ぐに治療をしなければ、危ないだろうことが、直感的に分かった。
男は猫を抱き抱え、出口に走った。
先程まで、口にするつもりもなかった「誰か助けてくれ!」という言葉も簡単に口から出た。
「おい!廃屋の中にまだ誰かいるぞ!」
「助けてやろう!」
「救急車を呼べ!」
そんな声が聞こえた。
男は何とか救助されたところで、意識が途絶えた。
次に男が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
全身が痛み、動こうとすると脊椎から、危険信号のような激痛が走った。
「ああ、俺、生き残っちまったな。」
退院後、廃屋があった場所にいくと、もうすでに跡形も無くなっていた。猫も助からなかったということを聞いた。
男の大事な物だけが、燃え朽ちて、男は生き残ってしまったのだった。
その日から、男は火に囚われるようになってしまった。
死にたい。けれども、自分一人ではなく、大切な物と共に死にたい。その思いで何度も放火心中をしようとした。
何度も何度も、計画し、燃やし、その度に生き残ってしまった。
故に彼の背中には、大きな火傷跡が残っているのだ。
「別に面白くもない、暗い話だったろ。」
話し終えた男の目は、少し悲しそうだった。
「ううん。そんな事ないよ。」
「そうか。ありがとな。」
「うん。」
カチッ。
『本日未明、中央高速道路脇のラブホテルで火災が発生しました。火元はまだ特定出来ておらず、死傷者の数もまだ分かっていないとの事です。』
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