三題噺「ポーカー」「終末」「カッター」

白長依留

三題噺「ポーカー」「終末」「カッター」

「先輩、今日も残業っすか?」

「ああ、この仕事を今日中に片付ければ、明日から動きやすくなるからな」

「働きすぎっすよ。体壊しますよ。ねえ? 部長もそう思いますよね」


 話題を振られた部長が、後輩の首根っこを掴んで連れて行く。わけも分からず引き摺られていく後輩がわめいているが、部長は「少しは気を遣え」と少し固めの語気でたしなめる。


 部長の行動も言動も、長瀨源造の耳に届いている。それでも源造は全てを忘れるように仕事に没頭していく。




 日付が変わる間近。週末ということもあっていつもより残業をした源造は、クタクタになりながら自宅のドアを開けた。

 街灯の乏しい田舎の道を歩いてきた源造にとって、ドアをあけた瞬間飛び込んで来た光は、疲れた目に突き刺さるようだ。


「あれ……電気付けっぱなしだったか?」


 毎日毎日、家で食べて風呂に入って寝るだけのルーチンになっていた。源造にとって家は安らぐ場所ではなくなっていた。


「あ、お帰りなさいゲンちゃん!」


 パタパタという足音と共に、一人の女性がカッターナイフを片手に奥の部屋から顔を覗かせる。


「もう、私の荷物が全部段ボールにまとめられちゃってるからさ、色々探すのに苦労したよ。ゲンちゃんって、ほんっとまめだよね。あ、夕ご飯作ってあるんだけど、もう食べちゃった? 連絡しようにも手段がなかったからさ、とりあえずカレーつくっちゃった」

「雪江?」

「そうですよー。ゲンちゃんの愛妻の雪江ちゃんですよー。もう忘れちゃった?」


 玄関で立ち尽くしたままだった源造の手から、カバンが滑り落ちる。亡くしたものが、失ったはずのものが目の前にあったからだ。


「なんで……いるんだ? おかしいだろ」

「うん、おかしいね」

「質問に答えろよ。答えになってないだろ」

「色々言いたい事は分かるけどさ、まずはご飯にしない? 私は久しぶりにお腹減っててさ。ゲンちゃんは?」


 真面目で堅物な源造を振り回す雪江。相性が悪そうに見えて、互いに互いのあり方が心地よかった。自然と二人は手を取り合い、一つの家庭を築いていた。

 だからこそ、その喪失感は源造を苛んでいた。だからこそ、目の前の出来事を受け入れられずとも流されていた。


「ごちそうさま。久しぶりにしては、なかなか上手にできたかな」

「カレーなんて、まずく作る方が難しいだろ」

「あー、今でもそんなこというの? 言い換えれば美味しく作るにはそれなりの工夫がいるってことなんだよ」


 二人で流しに並んで食器を洗う。雪江が汚れを流し、源造が布巾で水気を拭っていく。何度も何度も、当たり前のように行ってきたことだった。


「そろそろ質問に答えてくれないか」


 食後のコーヒーを飲みながら、源造が椅子から腰を浮かせて雪江に詰め寄る。


「わかったから、わかったから。少しリラックスでもしながら話そうよ。私がお堅いの苦手なの知ってるでしょ。あ、でもお堅いゲンちゃんは別だよ」


 何も変わらない。変わっていない。失ったものが、まるで新品で帰って来たかのような眩しさをもっていた。だからこそ、源造はこみ上げる嬉しさ以上に形にならない不安を感じていた。


 シャッシャッっと雪江がトランプを切り、互いに手札を五枚とる。

 雪江が好きだったポーカー。喧嘩や意見が食い違ったときに、仲直りやどうするか決めるためによくやっていた。


「むー、ゲンちゃんの勝ちか。ツーペアでいけると思ったんだけどな」

「いい加減、質問に答えてくれよ」

「そうだよね、気になるよね。なんかさ、私も久しぶりにゲンちゃんに会えてさ、上手く頭が回らないんだよね。だからさ、このままポーカーしながらでいい?」


 源造は答えの代わりにカードを切り、手札を配る。


「それじゃさ、世界に終末がおとずれて、天国と地獄の存在が観測されたことまではいい?」


 およそ十年前……世界に終末が訪れた。戦争でも環境破壊でもなく、突然終末は現れたのだ。

 ある一定以上の年齢に達すると、原因不明で死亡する。

 当時は新種のウイルスだの細菌兵器だの、人間の遺伝子が壊れただの色々な憶測が流れた。


「終末になって、少し経って観測された天国と地獄。そしてその二つの世界からの使者。最初は誰も信じなかったけど、今では常識になってるでしょ」


 この世界の平均寿命が延びたせいで、天国と地獄との生命のバランスが崩れた。そのバランスを取るために、二つの世界が強制的な手段をとったのだった。


「笑っちゃったけどさ、私に天国の使者がセールスにきたんだよね。生命保険の……ゲンちゃん、私の生命保険の受け取り手続き、ちゃんとしなかったでしょ」


 じとっとした目で源造を見つめる雪江。

 源造からしてみれば、愛する妻を若くして病気で失い、自暴自棄になりかけていたのだ。生命保険と言われても記憶に引っかかることはなかった。


「余裕が、なかったんだよ。というか、今でも余裕が無い。死んだおまえがなんでここにいるのか、理解と感情が追いつかない」

「だよねー、私も最初は同じだったから分かるよ。ゲンちゃんが私が入っていた生命保険を現金で受け取らなかったから、こうなったんだよ?」


 天国の使者から勧められた生命保険は、寿命を掛け金にするものだと雪江は言う。寿命はとても価値のあるものとして、大きなリターンを得られものだった。

 天国としては少しでもこの世界から多くの魂を引き抜くための手段の一つだった。

 生命保険の受け取りにサインをすれば源造は多くの保険金を受け取れていたはずだった。けれど、源造は悲しみから抜け出せず、受け取り処理をしなかった。


「その結果がこれなのか?」

「そうだね。掛け金の寿命分、死んだ後に時間をもらえたってこと。いやーまいったよ。気がついたら素っ裸で部屋に転がってるし、私の荷物は全部段ボールの山の中だし――なにより、スマホが解約されててゲンちゃんに連絡したくても、れんらく、でき、なかった、し」


 雪江の瞳から涙が零れる。源造はトランプを投げ捨てると、雪江の側に寄り強く、強く抱きしめた。


 ――。


「二度目の出会いと二度目のさよなら。なんか、現実離れしてるよね」

「もう、会えないのか?」

「そうだね。でも、ゲンちゃんの元気な顔が見れて、嬉しかったな。さっきは死んだような顔してたけど、うん、今はいつものゲンちゃんだ」

「行かないで欲しい……」

「駄目」

「耐えられそうにない」

「耐えて」

「だったら、向こうでまた会えるって約束してくれよ」

「ゲンちゃんが今まで以上に幸せになってくれたらね……出来る?」


 雪江は源造に思いつく限りの条件をまくしたてる。新しい奥さんを見つける事。子供は二人以上。終末世界の寿命まで生きること。ちゃんと雪江と同じ天国に来ることなどなど……。


「雪江以外にかわりはいない」

「バカアホトンマの頑固野郎! 幸せになれっていったでしょ」

「幸せになる。だけど俺には雪江だけだ。譲歩しろ」

「ほんと……堅物」




「部長、先輩変わったっすね。残業は相変わらずっすけど」

「お前はデリカシーって言葉を覚えてろ。それと、今日中の仕事は終わったのか」

「え、えへへ」

「さっさとやれ!」

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三題噺「ポーカー」「終末」「カッター」 白長依留 @debalgal

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