一日の厳選

楠木和

一日の厳選

 何かを比喩している訳ではなく、文字どうりの意味で、紛れもなく僕の身に起こっていること。

 毎日、目覚めると、年齢も職業も見た目も名前も変わっている。ある時は『軍人の青年』またある時は『年寄りの社長』など、望んでもいないのに、毎日違った職業、立場の人間になり一日を過ごす。しかも、厄介なことに、自分が変わるのと同時に、目覚める部屋、国、地域などの場所も毎日変わる。そのため例えば、治安が悪い地域で目覚めてしまうこともある。しかし対処法はある。それは、。寝ることさえ出来れば次に目覚めた時には新しい自分、そして新しい場所だ。これを、幸せな一日を過ごせそうな時が来るまで繰り返す。言ってしまえば、一日の厳選だ。



 そして今日、雪化粧をした街の中、まばらに降る白い結晶を体に浴びながら、僕と彼女は言葉を交わしていた。

「ありがとう。今日楽しかった!」

 満面の笑みを浮かべながらそう言うのは、高校の同級生で僕の彼女だ。今日は彼女と映画を見たり、買い物をしたり、夜食をしたり最高で幸せな時間を過ごした。彼女も満足そうで何よりだ。しかし、そんな幸せな時間にも終わりは来る。

「じゃあ、また明日!」

 小さく手を振りながら彼女は言う。今日は土曜日、目覚めた部屋にあったカレンダー表には、明日の日曜日にも彼女と出掛ける予定であることが書き込まれていた。だけど、僕は明日には別人となり、別の場所で目覚める。つまり今後、僕が彼女と会って話すことや、今日のような幸せな時間を過ごせる時は、二度とないだろう。

「うん……また明日」

 僕は何とか、言葉を絞り出す。僕の言葉を聞いた彼女は最後にもう一度手を振ってから、背を向け、帰り道を歩いていく。段々と離れていく彼女の姿、小さくなっていくその背中から、僕は目が離せなかった。

 もっと彼女と過ごしたい。この幸せな一日を手放したくない。そんな気持ちが募るが、どうにも出来ない。時間は残酷にも過ぎていく。人間である以上、いずれ睡魔はやってくる。そして、その日の深夜、僕は眠りについた。彼女のことを想いながら。



 次の日、長い夢から目覚めたかのような感覚に襲われながら目を開けると、視界いっぱいに白い天井が広がっていた。ベットも同じくらい真っ白だ。僕は基本、目覚めたらまず情報収集から始める。僕の名前や職業、今日のスケジュール、ここがどこなのかを知るためだ。早速起き上がろうとした瞬間だった。

「うっ……」

 体に痛みが走る。僕は反射的に体を倒し、もとの仰向けの状態になると痛みは収まった。突然の痛みに困惑していると、腕に少し違和感を感じた。先ほどの痛みが怖かったので体は動かさず、頭だけを向けると、何か液体状のものが入った袋から白いチューブが伸び、僕の腕に繋がっていた。「点滴……?」それらの情報から僕はそうとしか思えなかった。

「悠太。悠太」

「え?」

 突然誰かの名前を呼ぶ女性の声がベットの傍から聞こえ、その方向に目を向けた直後、その女性から僕は抱擁をされた。困惑する僕をよそに、女性は、親のように温かい抱擁を続けながら、すすり泣いている。それから数分その状態が続いたのちに、女性は抱擁をやめ、涙を拭いながら僕から体を離した。そして、その時に初めて、僕が横になっているベットを囲うかのように、女性を含めた数人が立っていることに気が付いた。その中の一人、白衣を纏い、医師のような姿の男性が話し始めた。

「お目覚めのところ申し訳ないですが、大事なお話をしても良いでしょうか……。内容はかなり衝撃的なものです」

 衝撃的な内容と聞いて僕は聞くのに躊躇ったが、話を聞かないと何の情報も集められないと思い、話をしてもらうことにした。

「……では、話させていただきます。単刀直入に言わせていただくと、あなた、悠太さんは、交通事故に遭いました。手術をすぐに行ったこともあり、一命は取り留めましたが、脳を含め体は大きなダメージを受け、ここまでの一年以上寝たきりの状態でした。そして今日――――」

 交通事故にあった……。それ以降の医師の言葉は全く耳に入らなかった。茫然としていた直後だった。脳に莫大なが突然と入ってきた。処理できないほどの情報。同時に強烈な頭痛に襲われる。

「……ううぅ」

 様々な情景が次々と頭に浮かんでくるが、交通事故の記憶が特に鮮明に蘇る。こっちへ異常なスピードで向かってくる車。直後、体を強い衝撃が襲い、僕から流れる赤い血、朦朧もうろうとする意識、そしてあの時の恐怖、痛み、苦しみまで。

 耐え難い苦しみに僕はベットの上でもがく。この苦しみから逃れる方法――それは一つしかなかった。眠って別の自分になり別の場所で目覚めること。この状況で寝れるかどうか、は考えていなかった。何としてでも寝ないといけない。僕にあったのはその思いだけだった。

 目を閉じる。すると意外にも痛みや苦しみを感じなくなり、むしろを感じてきた。必死に何かを叫んでいる医師などの声が聞こえるが、関係ない。明日になれば、寝ることさえ出来れば、楽になれるんだ。今日の僕のことなんかどうでもいい。

 少しずつ遠くなっていく意識の中で、僕は最後に願う。

『次は幸せな日を過ごせますように』


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一日の厳選 楠木和 @kusunokii

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