世界を変える剣


 七月十五日、月曜日——東京都新宿区にて。


 高層ビルが林立する街中を、トーシャは一人歩いていた。

 今の装いは「木崎圭介きざきけいすけ」が好んで着ているような簡素な服ではなく、半袖ワイシャツとスラックスを綺麗に着こなした上品な装いだった。その目にはサングラス。

 じりじりと夏の日差しが差し込む中でも汗ひとつかかず、整然とした所作を崩さない。


 やがて目的地に到着したトーシャは、ずれたサングラスを整える。


 見るからにハイクラスと分かる、見上げるほどの高層ビル。

 余計な着飾りをしていない白亜の様相は、豪奢でありつつもギラギラした安っぽい感じがしない。どこかの国の大使館を思わせる。


 ここはホテルである。

 時々エントランスから出てくる人間の装いや所作から分かる通り、高級ホテルだった。

 一晩泊まるだけで一般人の月給の半分近くが消し飛ぶほどの。


 そんな施設へ、トーシャは気負いをいっさい見せずに入っていく。


 エントランスをくぐって、空調のよく効いた広大なロビーへ入り、窓口を素通りしてエレベータールームへ向かう。

 ……トーシャはすでにこのホテルの一室にチェックイン済みだ。「アーノルド・ミヤタニ」という架空の日系アメリカ人として、偽造パスポートを使って。


 七階まで昇り、タイルカーペットが余さず敷かれた長い廊下を歩き続けてたどり着いたのは、722号室。


 鍵を取り出し、開錠し、奥へ足を踏み入れる。


 暗めのアースカラーで統一された、横に広い空間だった。

 奥一面に広がる露台の窓と、それをさえぎる薄いカーテン。そのカーテンによって和らげられた正午の日差しが、部屋の端々に配置されているベッドや家具の姿を照らしている。


 そして、部屋の中央にいる人物と、それが持つ刀の冷たい輝きも。


「——感心なこったねぇ、鴨井村正かもいむらまさ


 ボロボロな稽古着を纏い、剣の稽古を一人積んでいる村正であった。


 皮肉と苦笑の響きを持ったトーシャの指摘に、村正はじろりと一睨みし、そしてため息をついた。


「……落ち着かんのだ。こうでもしていないと」


「いい加減慣れろって。これまでほぼ路上生活だったから反動で戸惑うのは分かるけどよ」


「そもそもこんな無駄に豪勢な宿を取る必要などあるのか? もっと安宿でも構わんだろう」


「こういう高級ホテルの方が顧客の情報管理が厳しいし、守秘義務もしっかり守られてんだよ。企業の重役もホイホイ泊まるわけだから、そこのところしっかりしてないと客も枕高くして眠れねぇしな。だから身を隠すには丁度いいのさ」


 ふん、と無愛想に鼻を鳴らし、納刀する村正。


「それで……今日は何の用だ? そんなくだらぬ話をしに来たわけではなかろう。とっとと言え」


「はいはい。わぁってるって」


 ぞんざいに応じつつトーシャはベッドに座り、単刀直入に切り出した。


「今回、お前の『呪剣じゅけん』で斬って欲しいのは————だ」


「何っ?」


 意外そうな反応を見せる村正。


 トーシャは詳しく説明する。


「今年の八月一日から開始される、天覧比剣少年部。お前にはこの会場である帝国ていこく神武閣しんぶかくへ潜り込み、大勢いる観客を片っ端から『呪剣』で斬りつけてもらう。それによって、観客どもを暴徒化させるんだ」


「少年部だと? ガキ共のチャンバラ遊びなど襲って何になるというんだ?」


「おいおい、「天覧」って言葉の意味を考えてみろよ」


 村正はすぐに思い至ったようで、静かに答えを出した。


「なるほど……。俺の『呪剣』の力で凶暴化した、膨大な観客どもに」


正解だ」


「半分?」


「ああ。みかどを殺れれば万々歳だが、今回の本当の狙いはそこじゃねぇ。——国賓こくひんとして来日し、帝と一緒に天覧比剣少年部を観る予定となっているマーリン・バークリーの野郎だ」


「誰だそれは」


 そんな村正の問いに、トーシャは呆れと疲れの混じった声で答えた。


「……お前なぁ、もう少し剣以外にも関心向けた方がいいぞ。マーリン・バークリーは、今年に新しく就任したアメリカ大統領だよ。お前の『呪剣』で暴徒化させた大量の観客を使い、大統領か、あるいはそいつを守るシークレットサービスを殺害ないし負傷させる。そうすることで、日米関係に亀裂を生み出し、軍事同盟を切り離すキッカケを作る。孫子でいう「離間りかんの計」ってやつだ。……この作戦に、バークリーはまたとない「起爆剤」となる」


「起爆剤だと?」


 トーシャは含みを持った微笑を浮かべ、続きを言った。


「フォーマルな場じゃおくびにも出さねぇが、バークリーの野郎は筋金入りの人種差別主義者レイシストだよ。それも俺やお前みてぇな黄色人種を忌み嫌う類のな。

 黄禍論おうかろんはヤンキー共にとって肥満と並ぶ国民病だ。サンフランシスコ学童隔離事件、ジョンソン・リード法、人種差別撤廃案への反対……挙げてけばキリがねぇ。あいつらはほぼ本能的に、東洋人を劣等人種だと思い込んでやがるのさ。だから「教化」の名の下に侵略し、逆に相手に強くなられたら自分達が「教化」されるとヒスりやがる。サムおじさんのケツの穴の小せぇこった」


 悪意と嫌味たっぷりにせせら笑うトーシャ。


「そして十一年前に起こった日ソ戦争。ソ連という超大国に対し、日本は国際法に則った紳士的戦いぶりで見事に打ち勝った。これに対し、国際法という秩序を同じくする西側諸国は大いに喜んだか? ——否だ。ジョンブル共は日露戦後と同じようにお通夜みてぇな雰囲気になったし、ドイツ人の多くは東西再統一を自分達だけの力で成したと思ってやがる。そしてヤンキー共の間では黄禍論が再燃しだした。再びその戦闘力の高さを世界に知らしめた侍の国が、同盟関係という形で油断させて後ろから斬りかかかってくるんじゃねぇか、とな。

 バークリーはそういうビビリな白人や、うだつが上がらず人種にしがみつくしか能のぇホワイトトラッシュ共を、人種差別的に聞こえない絶妙な言葉加減で煽り、盤石な支持を得たのさ。——ここまで言えば分かるだろ? 「起爆剤」って言葉の意味が」


 アメリカは大統領制を採用した国家だ。

 大統領は議会にではなく、国民に対して責任を持つ。

 その分、国民の意見に動きが左右されやすい。

 つまり国民さえ冷静さを失えば、国は容易く暴走する。


 大統領が来るとあって、今回の天覧比剣少年部には海外の報道も訪れる。

 海外に繋がったカメラの目の前で、『呪剣』によって暴徒化した観客の醜態を見せつければ、「日本人は対等な同盟を結ぶに値しない野蛮人である」と印象づけられる。

 そこでさらに、現アメリカ大統領であり、マジョリティの白人層から熱烈な支持を持つバークリー、もしくはそのシークレットサービスにだけでも被害が及べば……


「お前の『呪剣』は、文字通り、だろうよ」


 日米の同盟関係が打ち切られずとも、ソレに至るための大きな亀裂に繋がることは間違いない。

 そしてそれは日本に大きな損をもたらし、現ロシアに大きな得をもたらすだろう。

 隣国である中国は、日本との関係悪化こそしていないものの、島嶼を巡る領土問題を抱えている。

 現在ロシアが進めている対中外交の次第では、日本を太平洋における孤立無援の状態にすることも十分に可能だ。つまり、戦前と同じ武装中立状態に戻せる。

 「中立」とは「誰の敵でもない」という意味と「」という二つの意味を秘めている。

 そのスタンスを貫くには、今の日本にはリソースが足りない。

 

「そうか」


 村正はそう軽く納得を見せた。


 その様子に、トーシャは少しばかり面食らった。


「おいおい、お前さ、義務教育時代に勅語ちょくごとか読んだんだろ? 天壌てんじょう無窮むきゅう皇運こううん扶翼ふよくすべし、とかさ。もう少し愛国心とか郷土愛とか持ってないわけ? これから祖国を陥れようとしてんだぜ?」


「——俺にあるのは、剣のみだ」


 村正は迷いなく、そう断じた。


 そう。一ミリの迷いも無く。


 自分には、故郷など無いと。


 あるのは、手元の剣のみであると。


 どんな売国奴であっても、自分に母国語と文化を与えた祖国を裏切ることに、大なり小なり後ろめたさを感じるものだ。


 だが、こいつからは、ソレが感じられない。


 恐ろしいほどに。


 ——トーシャは、それを蔑むと同時に、哀れに思った。

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