プール、そして待望の水着《下》
男女ともに全員着替え終わってからは、各々好きなメンツに分かれて遊び始めた。
僕は螢さんと一緒に遊びたいと思い誘おうとしたが、いつのまにか螢さんの姿は忽然といなくなっていた。
探そうと思ったその時、両腕をガッチリと掴まれた。エカっぺと
捕えられた宇宙人みたいに半ば強制的に連行された僕が訪れたのは、屋外プールのウォータースライダーであった。
トグロを巻いた蛇二匹がくっついたような形状。
まず上部のトグロ型の滑り台を上から下までぐるぐる滑ってから、斜め下へまっすぐ滑るコースに入り、そしてその果てからまたもう一つのトグロ滑り台を旋回しながら下降し、広いプールへと吐き出されるというコースである。
結構高い位置から始まるので若干怖かったが、男らしく先陣切りなさいよとエカっぺからお尻を蹴られるようにして渋々一番槍の名誉を買って出ることとなり、ダブルトグロスライダーの流れに我が身を委ねた。
「ぎゃぁ————す!」
ものすごい勢いで旋回を何度も強いられ、僕の心もぐるぐるに恐慌した。
まるでドラム式洗濯機にかき混ぜられるような猛烈な遠心力を二回ほど味わった後、広いプールへ放り出された。じゃぼんと水に沈んだ拍子に、鼻に水が入った。
続いて、峰子が滑り降りてきた。彼女は僕みたいにみっともなく声を上げることもなく、「なかなか面白かったわね」と淡々と感想を述べた。
「きゃぁぁ————ん!」
最後にエカっぺ。彼女も叫んだが、歓喜のソレであった。滑り降りた拍子にプールへ身を沈めた。
なんか浮かんでくるのが遅いな思った瞬間、
「うわ!?」
僕の目の前の水面から、ざぱぁん、と水しぶきを上げてエカっぺが現れた。
「ぬふふふふ、足元への注意が甘いわよコウ。あたしが今その気だったら、あんたの海パン脱がす事だって簡単だったんだからね」
エカっぺはまなじりの下がった笑みをわざとらしく浮かべ、両手指をタコみたいにわきわきさせる。
「僕の海パン脱がしても需要なんか無いよぉ……」
「じゃあ脱いでみせて? ホントに無いか確かめるから」
「やだよぉ」
あははは、とエカっぺは楽しそうに笑い出す。
「いやー、それにしても面白かった! まるで龍のクソになった気分。もっかいやりたいわ」
「例えが下品よ」
峰子の指摘を聞いて、エカっぺはまたもからから笑い声を出した。
「どうする二人とも? もっかい滑る?」
「そうね、もう一度くらい滑ってみようかしら。多分それで飽きそうだけど」
「僕はいいです……ここで二人を見てます」
だらしないわねぇ、とハモらせたビキニ女子二人は再びウォータースライダーの上部へ向かう。
仕方ないので、僕はエカっぺが持参してその辺に浮かべておいたスイカ柄のビーチボールを捕まえ、ソレと戯れていることに。
球技の類は嫌いではないが、得意な方ではなかった。ボールが思い通りに動いてくれないからだ。目前にあるゴールポストめがけて真っ直ぐ蹴ったつもりが、斜め左に飛んで行ったりしてしまう。
昔は、僕に才能が無いからだと思っていたが(実際無いだろうけど)、望月先生のもとで本格的に剣術に打ち込むうちに、要はボールに加える力の質と向きの問題なのではないかと感じるようになった。
剣術は、日本刀という武器だけでは成立しない。その最高峰の刃と寸分違わず一致した力を生み出す体捌きや手の内をもって、初めて最高峰の斬れ味を発揮する。
同じように、各種球技には、ボールまたはそれを打つ道具を操るのに最も適した体の使い方があるはずだ。球技が上手な人は、基礎体力の高さに加え、それを見つけるのに長けた人だろう。
僕だって基礎体力なら、これまでの稽古でかなり鍛えられたはずだ。
剣だって、どういう力をどういう風に加えればどうなるのか、といったことが理解できるようになってきた。
あとは、ボールを思った方向に打つなり投げるなりするコツを掴めれば、シュートもドリブルも上手くなるんじゃなかろうか。
二人がこのダブルトグロスライダーに飽きたら、このビーチボールで遊ぶ提案をしようと思ったその時、じゃぼん! とまた一人スライダーから吐き出された。一瞬しか見てなかったが、峰子だと分かった。
顔を上げて「もう飽きたわ」と言うのを予想した僕だったが、彼女はなかなか水面から上がってこない。
まさか峰子も僕の海パンを脱がそうという悪戯に乗り出したか、と一瞬思ったが、
「……ん?」
僕の目の前に、水色の布切れみたいなものが漂っているのを見つけ、思わず掬い上げる。
なんだこれ。ドーム状に膨らみを作った三角の布切れから、紐が伸びている……
殺気を感じて前を見ると、そこには水面から頭だけ出した峰子。
その顔はリンゴみたいに真っ赤っかで、羞恥と怒りの混じった涙目で僕を睨んでいた。
「峰子? どうしたの?」
僕が問いかけると、峰子は消え入りそうな声で、
「……返して。それ」
「え? これって峰子の?」
僕はその謎の布切れを高く掲げて聞き返す。
キッ、とさらに睨みを強めてきた峰子に、僕はたじろぐ。そんなに大事なモノなのか。
(……ん? 待てよ、この形状、ほのかに宿った温もり、もしかして——!)
僕は全てを察した。
だが、それは一瞬遅かった。
峰子は羞恥のまま、悲鳴のごとく叫んだ。
「私のブラさっさと返しなさいよばかぁ————っ!!」
その叫びは、室外プール全体にやまびこのように響き渡った。
僕らのいるプール周辺が、時を凍らせたように静まり返る。
しばらくその静寂が続いた後、
「…………君、ちょっと話を聞きたいんだが」
体格の良い監視員のお兄さんが、怖い笑顔を浮かべて僕の肩を掴んでいた。すごい力で。
「
説得に時間を要した。
強制退館ないし手錠は免れたものの、峰子は僕と口をきいてくれなくなり、さらにエカっぺからもジトーッとした視線をずっと頂戴する羽目になったので、僕は二人から逃げるように立ち去った。
いいもん、いいもん。僕は螢さんと一緒に遊ぶんだから。
というわけで、螢さんを探しているのだが、なかなか見つからない。
屋外プールをしらみつぶしに探ったが、見当たらないので、屋内プールへと移動した。
天井の高い大空間の三分の二を占める、だだっ広いプール。そこにも人は多かったが、屋外ほどのお客さんはいない。
僕はプールサイドを沿って、螢さんの所在を確かめた。
そして——見つけた。
「……なにしてるんですか?」
プールサイドから、僕は思わずそう尋ねた。
「泳いでる」
そう簡潔に答えた螢さんは、両腕を持ち上げた仰向けの体勢で水面に浮いていた。……螢さんの腋が見える。綺麗な腋だ。生八ツ橋みたいなもちもち感も見て取れた。さすがは京都の銘菓である。
「いや、泳いでるというより、浮いて……」
「これも立派な泳ぎ。昔、お
「踏水術?」
「熊本藩で生まれた古い泳法。甲冑を纏った状態で水中を移動したり、水に浸かった状態で剣や火縄銃を使ったりする方法とかが伝わっている。……ちなみに小堀流では、こうやって浮かびながら文字を書く芸を披露したりする」
螢さんはそれを再現するように、仰向けのまま両腕を持ち上げて、字を書く真似をして見せる。
「望月先生の故郷が熊本ってことは……望月先生もその泳法が出来るんですか?」
「皆伝はしていないけど、わたしより上手。多分、ホノルル旅行でもいっぱい泳ぐ」
それを聞いて、僕は思い出す。
望月先生は、今月の二十七日に、ホノルルへ渡航してしまうのだ。
戦友にして盟友であるこのお二人と久しぶりに会って遊ぶのだとか。
三人とも、もう良いお歳のはずだ。いつ亡くなってもおかしくないため、集まれる時に集まった方がいいだろう。
とはいえ、七月末に行ってしまうということは、八月一日に始まる天覧比剣本戦を見に来れないということだ。自分の師匠に晴れ舞台を見てもらえないというのは……まぁ、ちょっと残念ではある。
「よかったら、その泳法、僕に少し教えていただけませんか?」
「無理」
「そ、そうですか……」
あっさり断られて、少し凹む僕。
「わたしは小堀流を皆伝していない。だから教えることはできない。生兵法を教えることはその人を生かすどころか危険にさらしかねないし、この技術を創始した開祖にも申し訳が無い」
「……小堀流も、やっぱり
「ん。武術の流派は、ほぼ全て完全相伝制と思っていい」
完全相伝制……免許皆伝をすれば、次代への教伝も技術の改変も許されるという伝承形態。
つまり免状を受け取った時点で、家元制度でいうところの「宗家」と同じ権利を得るということだ。
ちなみに家元制度は「宗家」が頂点に立ち、伝承改変や免状授与の権利を独占するという中央集権的な伝承形態だ。
宗家以外の免許皆伝者には、他人へ教える権利以外与えられない。
現在、この帝国で最も隆盛を誇る剣術である至剣流が、この家元制度を採用している。
「茶道とか華道とか
「武術は、侍の文化だから」
「侍の文化、ですか」
ん、と軽く唸って肯定する螢さん。……頭で頷くと、沈んでしまうからかもしれない。おそらく、ああして浮かび続けるのには何かコツが要るのだ。
「昔の伝承形態は、完全相伝制が主流だった。剣術は言うに及ばず、
家元制度という伝承形態が芸事の主流となったのは江戸時代に入ってから。泰平の世が続き、裕福な町人が増えた。そういう人達は、身分上の職務以外の「輝ける舞台」を欲した。「異世界」と言ってもいい。そしてその「異世界」という役割を担ったのが、家元制度を採用した巨大芸能流派だった。茶道の
「異世界……ですか?」
イマイチその目的が理解できない僕に、螢さんはさらに説明してくれた。
「江戸時代は、侍がヒエラルキーの頂点に立つ身分社会だった。だからこそ、そんな窮屈な身分社会から切り離された「異世界」を、庶民は望んだ。それを担ったのが家元制度の巨大芸能流派。——将軍家ではなく「宗家」が君臨し、その他大勢の門人が「芸」という基準のもとで平等な「異世界」」
逆に、と区切りを作って螢さんは続けた。
「武術や兵法の流派は、この家元制度流行のムーブメントには乗らず、完全相伝制を続けた。町人の修行者もいたけれど、やはり武術というのは武士階級が修行者層の多くを担っていた「侍の文化」だった。侍は身分社会の頂点。だから町人のように「異世界」を望んだりする気持ちは薄かった。だから家元制度を採用するような武芸流派は、
なるほど、それは確かに「侍の文化だから」という表現が的確だろう。
浅山一伝流とかはよく分からないが、至剣流が家元制度を採用しているのには明確な理由が存在する。
「修行の果てに『至剣』を開眼させることができる」という流派の権能を保持するためだ。
そのためには、伝承を改変させずにそのままの形で残しておく必要がある。
だからこそ、「宗家」が改変を阻止する家元制度が採用されたのだ。
だが、その家元制度すら、嘉戸宗家は形骸化させてしまった。
昔ながらの形と伝承形態を守っているのは、もはや僕と螢さんが身を置く『望月派至剣流』のみである。
……そこまで考えてから、僕は思わず笑ってしまった。
「コウ君?」
「ああ、いいえ。……僕達、プールに来てまで、何の話をしてるんだろうなぁって」
剣から離れて息抜きするためのプール遊びなのに、結局武芸の話をしているのだから。
僕もプールに浸かる。結構深い。
その拍子に水面に生じた細波の動きに従い、浮遊している螢さんの体もふわふわと上下する。
「教えてくれないなら、僕が勝手に見様見真似でやってみます。それなら、螢さんが教えたことにならないでしょ?」
「……そうだけど。でも、いいの? わたしと一緒にいても、退屈だと思う」
「いいんです。螢さんと一緒だったら、僕は何だって楽しいから」
屈託無く笑う僕に、螢さんは言った。
「…………ありがとう」
気温のせいか少し頬を赤くし、小さな声で。
こんな感じで、僕らは楽しいプール遊びを過ごした。
ちなみにエカっぺと峰子はあの後、僕に関する悪口で盛り上がっていたらしい。
それによって峰子のビキニブラ引っぺがし事件(誤解)は男子諸兄にも伝わり、「てめー何しちゃってんだおい」「勇者だなお前。よりにもよって卜部のを」「んで、どうよ? 何カップか判ったか?」とか色々言われた。
女子部員からも「フケツ」「変態」「見損なった」「近寄らないでよ、妊娠する」といった辛辣なお言葉を頂戴した。
峰子は今なお無言で僕を避けまくっているし。
とりあえず誤解が解けるまで多少時間がかかりそうだった。
僕への風評被害が追加されて終わったプール遊びだったが、僕は少しも不満ではなかった。
——螢さんの水着姿、良かったなぁ。
その艶姿は今なお記憶に鮮明に焼き付いており、少し思い出すだけでも血流が活性化して、顔と体が熱くなってくる。
……その日の夜、僕はその熱を発散しきるのに、大変苦労したのだった。
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今回の連投はここまで。
また書き溜めます。
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