称賛、そして憂鬱


 ミーチャとの一件で不戦勝が混じっているとはいえ、都予選優勝は都予選優勝だ。


 世間は僕らの内情などお構いなしに、その結果だけに盛り上がりを見せる。


 天覧比剣本戦出場決定という、富武とみたけ中学校始まって以来の吉報がもたらされたことによって、富武中は教師生徒問わず大盛り上がりとなっていた。


 都予選を終えて最初の登校日、僕ら富武中撃剣部の功績は全校集会で大いに祝われた。


 帝室の御前ごぜんにて剣をお見せする名誉をとうとう我が校の生徒が得たとか、

 どのような結果であってもこの功績は我が校の誉れになることでしょうとか、

 されとて映えある舞台に参加できただけで満足せず出来る限り上を目指して頑張っていただきたいとか、

 皆さんも彼らのようにこの中学生という瑞々しい光陰こういんを惜しまず使って何かに打ち込んでくださいとか……もう教師陣から散々褒めちぎられた。


 さらに生徒らも、撃剣部の代表として奮戦した氷山ひやま部長と峰子みねこにわぁっと称賛を送った。


 部長は曖昧に笑ってやり過ごしていた。


 峰子も今回ばかりは一喝浴びせて突っぱねるという手が通用せず、逃げ回ることしかできない様子。予選優勝だけならともかく、本戦出場だ。尊敬の念の強さが以前とは違った。


 ——え? 僕はどうなのかって?


 面白いことに、僕に集まってくる生徒は、驚くほど少ない。


 たまにおずおず話しかけてこようとしてくる女の子はいるのだが、すぐにそれをやめて立ち去ってしまう。


 なぜかって?


 エカっぺが僕の隣にいつもいるからである。


 ロシア由来の金髪ショートと明るい碧眼が目立つ彼女は、この学校では浮いた存在だ。

 今は目立った嫌がらせとかは見られないが、それでも他の生徒らからははっきり一線を引かれている。

 ……ミーチャとの一件が記憶に新しい今の僕は、その事実を再確認して少し凹んだのだった。


 そんなエカっぺが一緒だと、いくら僕が撃剣部レギュラーでも、周囲はどうしたって二の足を踏んでしまうようだ。おまけにエカっぺまで睨みをきかせてるからなおのこと。


 僕がエカっぺと一緒にいるのは別に不思議なことではない。むしろ峰子や氷山部長と出会うまで、学校ではエカっぺとばっかり一緒だった。


 だけど、天覧比剣本戦行きが決まってから、前にも増してエカっぺは僕と一緒に行動したがるようになった。


 その理由を訊いたら、


「だってムカつくんだもん、あいつら。撃剣ですごい成績出してから目の色変えて近づいてくるしさっ。……あたしは、コウが、コウの良い所いっぱい知ってたもん」


 拗ねた子供みたいにむすっとした顔で、そんなことを言った。


 それを聞いて、僕は嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。


 そして現在——二〇〇二年七月九日、火曜日。お昼休み。


 今日も僕とエカっぺは一緒だった。


 二人きりで体育館に隣接した給水タンクの端っこに座り、その間にエカっぺお手製のお弁当を広げ、僕はそれを御相伴にあずかっていた。


 曇り一つ無い青空では太陽が自己主張しまくっていて、日差しが強烈だった。だけど僕らのいる場所は日陰なので、まあ過ごしやすかった。ご飯くらいなら食べられる。


「んー、美味しいね、このだし巻き玉子! エカっぺってば、また腕上げたでしょ」


「ふふん、まぁねっ」


 舌鼓したつづみを打つ僕に、エカっぺは得意げに胸を張る。


 それぞれお米の詰まった重箱の一段を手に持ち、残った重箱からおかずを取って食べていく。


 食べながら、僕らは話に花を咲かせる。


「そういえばさ、なんで体育館まで来たの? 学校のどこかでも良かったのに」


「えっ? そ、そりゃあ……静かに食べたいからよ。校舎だと野次馬がうるさいし」


「まぁ、確かに。でも、それなら峰子も困ってるだろうし、誘って一緒に——」


「そ、それはだめっ」


 慌てた様子でエカっぺが否定する。


「なんで?」


「えっと、そりゃあ…………そ、そうっ、お弁当よ! あたしとあんたの二人分しか用意してないしっ」


「峰子は自分のお昼くらい自分で用意してるから、大丈夫だと思うよ」


 僕が言うと、むすぅっと拗ねた顔で睨んできた。なぜ。


「……あーもうっ、いいから黙ってあたしの飯食え! このドニブ!」


 エカっぺはヤケになったように重箱のだし巻き玉子を箸でつまみ、僕の口に押し込んでくる。美味しい。


 そんなこんなでご飯は順調に減っていき、やがて完食。


 一緒に手を合わせてごちそうさまと言って空のお弁当をまとめてから、僕らは話をした。


「そういえばさ、知ってる? 昨日の夜、帝国ていこく神武閣しんぶかくにドロボー入ったみたいよ」


 最初に、エカっぺがそんな話題を振ってきた。


 帝国神武閣といえば、九段下くだんしたにある巨大武道場だ。そして、毎年の天覧比剣本戦の会場でもある。


「……あそこって、何か盗むモノあったっけ?」


「知らなーい。まぁ、何も盗まれなかったみたいだけど。盗む前に警備員に見つかって逃げたらしいわよ、犯人」


 あとさ、とエカっぺは即座に話題を変えた。


「今月末にさぁ、アメリカ大統領が国賓こくひんとして来日するらしいわよ」


 エカっぺの振ってきた話題に、僕は目を瞬かせて反応した。「大統領?」


「そ。今年から大統領に就任したっていう、マーリン・バークリー大統領。その人が来るんだってさ」


「そうなんだ」


 まぁ、僕には関係ない話だけど。


「コウ、あんた今「僕には関係ない話だ」って思ったでしょ?」


「よ、よく分かったね」


「まぁね。……言っとくけど、大統領の来日とあんた、


「はい? なんで僕と大統領が関係あるの?」


 確かに僕は、この帝国で英雄視されてる偉大な軍人を剣の師匠とあおいではいるけど、大統領の知り合いまではいない。

 望月先生はいそうだけれど。帝室の方々とも親交が深いみたいだし。


 やや誇らしげに、エカっぺは言った。


「今年の天覧比剣少年部本戦、大統領も見に来るらしいのよ。みかどと同席してね」


「まじでっ?」


「マジよ。大変ねぇ、帝だけじゃなくて、大統領にまで見られながらあんたらは試合をするわけですよ。せいぜい頑張ってちょうだいな。もしかすると、開会式で大統領を直で見られるかもよ」


 なるほど……確かにそれは他人事とは言えないかもしれない。


 帝がご覧になるというだけで緊張モノだが、そこへ大統領も加わるとなると話がまた変わってくる。


 外交の意味合いを持っているだろうから。


 まして、相手はアメリカだ。この帝国の唯一にして最大の同盟相手。


 撃剣試合での僕の醜態ひとつで日米関係が悪くなるなんてことはまずあり得ないだろうが、それでも外交のほんの砂粒程度の一端でも担っているのは確かなのだ。


 確かに、無関係ではないかもしれない。


「ただねぇ……バークリー大統領、妙な噂もあるのよね」


「妙な噂?」


「うん。隠れた白人至上主義者だ、って」


 つまり、白人が一番偉くて凄い、って考え方か……


「バークリーがそう明言したわけじゃないんだけどね、支持者にソッチ系の人が多いのよ。……さらに言うと、日本人を毛嫌いしてる連中とか」


「え、なんで…………帝国とアメリカって、同盟国同士なんじゃないの?」


「国同士が仲良しだからって、そこの国民同士が仲良しとは限らないわよ。まして、アメリカや西洋社会には伝統的に黄禍論おうかろんが根強いし。別段驚くような話じゃないわ」


 黄禍論——日本人や中国人などの黄色人種を侮蔑し、嫌悪し、危険視する思想。

 

「日露戦争で日本が勝った後、アメリカでは日本人と中国人に対する脅威論が喧伝されたわ。日本と中国が手を組んで西洋を征服しに来るんじゃないか、って。

 当時同盟国だったはずのイギリスでも、日本がロシアに勝ったと聞いたら、喜ぶどころかお通夜みたいな雰囲気になってたらしいし。

 パリ講和会議で日本が人種差別撤廃案を国連規約にねじ込むのに反対したのはアメリカとカナダとオーストラリア。

 ヨーロッパが第二次大戦で燃えまくってる間に好景気にわいてた日本を、戦後に西側諸国は「白人の流血と屍を金に変えた」って大バッシングしてたしね。

 ……ね? 実績ありまくりでしょ?」


「そんな……」


「それが現実よ。ずいぶん前にも言ったかもだけど、世界はあんたが思ってるほど平和でも優しくもないのよ」


 エカっぺの言葉はひたすらシニカルで、鋭くて、重かった。……彼女自身、似たような差別をずっと受けてきたからこそ、その言葉には力が宿っている。


 信じたくないけど、認めるより他無い。


 差別というのは、ナニナニ人だけの習性ではない。 

 全ての人間が等しく持ち合わせている呪いなのだ。


 僕はそれを、ミーチャの一件で嫌という程思い知ったはずだ。


「……ねぇ、エカっぺ」


「んー?」


「なんで……みんな仲良くできないんだろうね」


 そう言われたって、エカっぺは困ってしまうし、答えなんか出せないだろう。


 でも僕は、言わずにはいられなかった。


 言わないと、やっていられなかった。


 そのミーチャが今なお引きこもっているというのだから、なおのこと。


「もしかしてコウ……前に話してたミーチャ君のこと気にしてる?」


 声も無く頷く僕。


 そっかー、としみじみ分かったように言って唸るエカっぺ。


 しばらく無言になってから、エカっぺは再び口を開いた。いつもより落ち着いた声と口調で、


「ねぇコウ。あたしはさっき、すごく厳しい事を言ってたわ。そして、あたしはそれを間違ってるとは思わない。でもね……あんただって全然間違ってないの」


「え……」


「みんなと仲良くしたい、なんて、本当はみんな思ってることだと思うわ。だけど、人種とか、思想とか、プライドとか、妬みとか、そういう不純物が人間の心にはいっぱいある。それが邪魔するから、仲良くなれない。だから……あんたのその気持ちは、全然間違ってない。間違ってないのよ」


 エカっぺは僕の頭に手を伸ばし、そっと撫でてくる。


「あんたは、不純物に惑わされず、一番大事なことを優先できてる。それってさ、ある意味すごいことよ?」


「エカっぺ……」


「だからさ、あんたはあんたのままでいいのよ。コウ。……きっと、そのミーチャ君も、あんたのそういう所に惚れたんだと思うから」


 さらさらと僕の頭を撫で続ける彼女を、僕は見上げた。

 ……エカっぺの方が、僕より十センチ近く長身であることを、こういう時に思い知る。


「……なんか僕、エカっぺの弟みたい」


「えー、こんな変態が弟なんてやだー。無闇に部屋入れなそー」


「ひどっ」


 傷ついたフリをする僕に、エカっぺは可笑しそうにクスクス笑う。


「ありがとう、エカっぺ」


「いいって。……あたしには、これくらいしか出来ないから」


 そう言って微笑んだエカっぺは、近くにいるというのに、まるで遠くにいるような感じがした。



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