招待券、そして二度目の女学院


 葦野女学院は、帝都で一番の女学校だ。


 いわゆるお嬢様学校と呼ばれる学校で、通っている生徒はほとんどが政治家や官僚の娘、企業の令嬢などである。皇女もいるとのこと。


 そんな学校であるため、学祭の類も参加者を選別できるチケット制であるのは、納得のいく話である。

 誘拐を防ぐためだ。

 特に帝室の誰かが攫われて人質に取られたのでは、ヘタをすると国益に関わる。……実際、日ソ戦の最中に皇女を攫って人質に取ろうとした親ソ派がいたらしい。未遂で終わったが。


 そういう事情から、ヨシ女の学祭である『創設祭』に参加できる立場の人というのは、とても限られている。

 上流階級の子女の知り合いもまた上流階級であると相場が決まっている。

 

 ——なので、僕のような庶民オブ庶民がヨシ女の創設祭に参加できるというのは、とても得難い経験なのだ。


 そんな得難い機会をくれたことに加え、なんと女中服姿まで披露してくれるというほたるさんの計らいには、感謝の言葉も無いくらいだ。


 誘ってくれた螢さんの顔に泥を塗らないように、僕も普段の庶民庶民した装いではなく、しっかりとした衣服を着ていきたいと考えた。

 とはいえ、背広の類などは持っていないので……結局富武とみたけ中学の学ランに落ち着いた。僕が持っている服の中で一番それらしい服装はこれしかなかった。それから、この間新しく作ったお手製の木刀をベルトの左腰に差す。


 そうして創設祭の一日目が始まる五月十一日、土曜日の早朝——望月家の運転手さんである後藤ごとうさんの車の到着を自宅前で待った。


 やがて訪れた黒塗りの自動車には、すでに螢さんから招待券をもらったメンツが揃っていた。


 望月先生、エカっぺ、香坂こうさかさん——そして卜部うらべさん。


 招待チケットの枚数は、ヨシ女の生徒一人につき五枚だ。

 螢さんも五枚のチケットがあって、それを僕、先生、エカっぺ、香坂さんに渡した。

 最後の一枚を後藤さんに渡そうとしたが、「自分は足が悪いので」と丁重に断られたそう。

 そうして余った最後の一枚は、僕に渡された。

 「好きな相手を誘って」とは螢さんの弁だ。


 僕は学校では嫌われ者なので、エカっぺ以外に友達と呼べる人がほとんどいない。なので誘う相手も自然と限られた。

 

 『秋津書肆ウチ』のお得意様のミーチャに渡そうかとも考えたが、よく考えたらミーチャの家の場所がよく分からないし、彼がウチに来る日も不定期だ。彼の来店を待っている間に創設祭が始まるかもしれない。


 そういうわけで、氷山ひやま部長と卜部さんが最終候補となった。


 氷山部長は最初から僕に友好的だったし、卜部さんもすっかりトゲの取れた態度で僕に接してくれるようになった。両者ともに僕に多少は心を許してくれているはずだと思ったので、誘う相手としては申し分無かった。


 さて。するとここでまた新たな問題が発生する。

 、である。


 氷山部長もまた上流階級とかではない庶民であると自称していたし、ヨシ女の友達もいないとのこと。ヨシ女の創設祭にも多少は興味があるらしい。


 しかし部長は「稽古があるからね」と、招待券を卜部さんに譲った。


 こうして、創設祭行きの最後の一人は卜部さんに決まったのである。


 …………余談だけど、チケットを卜部さんに渡した後、部長がニヤニヤしながら彼女に何やら耳打ちしていたのが少し気になった。それを聞かされた卜部さんは凄く真っ赤になって、僕の方をチラチラ見ていた。


 まあ、何にせよ、僕ら五人は創設祭に参加すべく、ヨシ女へと車でひとっ飛び。

 

 去年の九月にも見た長ったらしい坂道をぐんぐん登っていき、やがて豪壮な校門を潜った。

 ゴシック様式の門扉は開放されており、その横にある大きな校名の標札の前には「葦野女学院 創設祭」という立て看板があった。


 広大な駐車場を所狭しとするくらいの車がすでに停まっていた。その中でどうにか空きを見つけてそこへ駐車。そして降りる。


 五人で歩いて、駐車場の奥にある、赤い煉瓦が敷き詰められた広場へと足を踏み入れた。……今日は、去年行けなかった先まで行けるんだなぁ。楽しみだ。


 広場から伸びる、煉瓦敷きの一本道を進む。その先にはまた門扉があり、そこから先には手前の広場を大きく超える規模の広大な空間があるようだ。その中に建つ、校舎を含む様々な学校施設が、ぼんやりとその姿の片鱗を見せている。


 校舎や施設の集まるその空間に入る前の門扉では、学校職員らしき大人数名が来場者の招待券を確認していた。五人とも無事に通過。奥へ進む。


 時刻は朝の九時ちょっと。しかしすでに広大な敷地内にはそれなりの数の人がいた。


 いつもならば、視界に収まりきらないほどにまで広がるヨシ女の敷地と、そこに建つ豪壮な校舎や施設に感嘆を示すところであるが、今の僕にはそんなものより遥かに優先すべき事柄があった。


「——それで望月先生っ、螢さんの教室はどこにありますかっ? 『英国風女中喫茶』はっ?」


 僕は望月先生の方へ振り返って、そう急かすように問うた。


 早く行きたい。螢さんの女中服姿が見たい。僕はとにかく落ち着かなかった。


「高等部の校舎の四階にある。そう慌てるでないよコウ坊」


 苦笑混じりにそう告げた望月先生は、見るに奇妙な格好をしていた。

 濃紺色の羽織と袴、鍔広帽つばひろぼう、そしてレンズの大きなサングラス。

 まるで映画に出てくる極道の親分のような風貌だ。本人のガタイの良さがまたその迫力を助長させていた。


 そんな先生の奇妙な風貌を再確認して、僕はいくらか落ち着きを取り戻した。


「…………先生、しつこいようですが、本当にその格好で行くおつもりで?」


「う、うむ……何度も言うが、


 そう。この格好の原因はそこにある。


 望月もちづき源悟郎げんごろうは、今や誰もが知っている帝国の英雄だ。

 そんな人が来ていると分かれば、確実に騒ぎになって人が集まりかねない。そうなっては創設祭を楽しむどころではなくなる。

 そういう理由から、あの極道みたいな変装をしているというわけだ。


「あの……余計に目立ちませんか、それ」


 エカっぺのもっともな答えに、望月先生が「うむぅ……」と困ったように鍔広帽を深く被った。


 そんなエカっぺの格好は、黒いTシャツに萌葱色もえぎいろのワイドパンツという、春らしい非常に軽快な格好だ。長身でスタイルも良い彼女にはよく似合っている。


「コウもさ、なんでよりにもよって制服なのよ? 学校でもないのに」


「い、いや……恥ずかしくないような格好をと思って……螢さんの招待だし」


「フツーにすりゃいーでしょうが」


 うっ、と唸ったのは僕と望月先生である。


 そんな僕達似た者師弟を、卜部さんは今なお戸惑った顔で見つめていた。


「……卜部さん? どうしたの」


「ああ、いえ…………その、未だに信じられなくて。まさか、光一郎こういちろうの師匠が、もち——むぐっ?」


「卜部さんストップ。騒ぎになっちゃうから」 


 僕は卜部さんの口を塞いだ。


 こくこくと承知した仕草を見せたので、僕は手を離す。


 改めて卜部さんの姿を見た。


 ボトルグリーンのブラウスに、足首が見える程度の長さのレモン色のフレアスカート。上下ともに生地が柔らかいため、優しい春風に合わせて優しくはためく。特にフレアスカートが揺れる様は、まるで咲いた花のようである。


 少女らしい可愛らしさの卜部さんを、大人っぽく演出しているように感じた。


 僕の視線に、卜部さんは居心地悪そうに身じろぎした。


「……な、なによ? 人のことジッと見て」


「いや、その服似合ってるなぁ、って思って。綺麗だよ、今日の卜部さん」


「は、はぁっ? いきなり……何言っているのよっ? そんな、心にも無いことを……」


「本当にそう思ってるよ。なんていうのかな、余計に飾った服じゃなくて、控えめな服装にすることで、かえって大人っぽく見えるっていうか、「可愛い」から「綺麗」に進化してるっていうか——うん?」


 横から肩をポンポンと叩かれた。


 振り向くと、そこにはニコニコ笑っているエカっぺ。……その笑みからは、奇妙な圧力を感じた。


「ねぇコウ? あたしに何か言うことはない?」


 エカっぺはそう言うと、その場でくるりと踊るように一回りして、腰に片手を当ててモデルっぽく立ち姿勢を整えてみせた。そして、何か期待するようにこちらを見ていた。


 僕は少し考え、それらしい回答を見つけて口に出した。


「……えっと、今日のエカっぺ、可愛いよ。その服似合ってるし」


「ありがと、コーウっ♪ ふふふ」


 満足そうに笑うと、エカっぺはちろりと卜部さんに視線を移した。……その眼には、反撃に成功したような、そんな得意げな感情が見えた。


 卜部さんは瞳を少し細め、エカっぺに睨み返す。


 ……なんだろう。理由は無いが、あの二人の近くから即刻離れたい気分。


「お前よぉ……いつか刀で刺されないようにな」


 そう言って僕の肩に手を置いたのは、香坂さんだった。呆れかえったような、諦めたような、そんな微笑を浮かべていた。


 彼の姿は、なんというか、めちゃくちゃ気軽な感じだった。灰色の甚兵衛じんべえ羽織はおりに、二枚歯の下駄。かなり軽々しい格好だが、型破りな性質と雰囲気を持った香坂さんには最適な格好といえた。


「刺されるって、誰にです?」


「……さぁな。刺される時になりゃ分かんだろ。せいぜい殺されんように気ぃつけろや」


 なんだそりゃ……


 香坂さんはこう見えて、最高学府である帝都大学の付属高校に通う、まごうことなきエリートだ。それも学年主席だという。彼の言うことは時々難解で僕には分かりかねる。


 彼は少し前までは『雑草連合ざっそうれんごう』なる不良集団を率いて喧嘩三昧の日々を送っていたが、望月先生の弟子となる条件としてそのグループを解散させた。現在では学業のかたわら望月先生から二天一流を教わっている。


「それよりも、早く行きましょう! 『英国風女中喫茶』へ行きましょう!」


「だからよ小僧、落ち着け。慌てなくたって、女中喫茶もお嬢も逃げたりしねぇっての」


「螢さんが女中服を着ているんですよっ? きっと一瞬でも早くその姿を拝見したいという人達が長蛇の列を成していてもなんら不思議じゃありません! もういくさは始まっているんです! さぁ! 行きましょう!」


 僕は鼻息を荒くしながら、再び先頭へ出た。


 肩掛け鞄には、愛用のスケッチブックと鉛筆が入っていた。


 今日は気合を入れて描くぞ。螢さんの女中服姿。僕が今まで描いた中で最高傑作を目指すのだ。

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