事件翌日、そして空席


 その後、通りがかった自転車乗りのお巡りさんに声をかけたことで、日本刀男はあっという間に御用となった。


 さらに他の警官もぞろぞろと集まってきて、静かだったその通り道が一気に物々しい雰囲気に包まれていったことに緊張しながらも、僕は駆けつけた警官達の質問に答えていった。


 知っていること、承知していることを条件反射で機械的に答えていった感じなので、何を聞かれたのかはあんまり覚えていない。怪我は無いか、くらいしか覚えていない。


 そう、怪我は無かった。


 卜部うらべさんの髪留めが真っ二つに斬られたくらいだ。全くの無傷。


 僕は、卜部さんへ目を向けた。

 何か質問したくてもうまくできず困っている警官達に囲まれた、卜部さんへ。


 ——彼女は、ただただ生気の乏しい顔で、体育座りをしているだけだった。


 その手には、真っ二つに斬り割られた、大きなラメ入りビーズの髪留めが握られていた。







 それから翌日。四月十七日。水曜日。


「——コウっ!? あんた大丈夫なのっ!? どこも怪我してない!?」


 鞄と防具入れと竹刀袋の重さを右肩に背負いながら朝の二年一組の教室へ入るなり、いち早く到着していたエカっぺが血相を抱えて近づいてきた。


 まばらにいた他の級友らも、みんな僕へ目を向けてきた。大声を出したエカっぺではなく、僕へ。


 それらの反応を見て確信した。……なるほど。もう昨日の事件は知れ渡っているようだ。まあこの辺で起きた事件なわけだし、それもそうか。


「大丈夫だよエカっぺ。どこも怪我してない」


 エカっぺの綺麗なブルーアイズをまっすぐ見つめ、嘘偽り無く答えた。


 それでも彼女の表情は晴れない。不安げな顔と声で、


「ほんと? 嘘じゃない?」


「嘘じゃない。……まあ、ちょっとヤバかったけど」


 そう口にしてから、一言余計だった、と後悔した。


 エカっぺが僕のほっぺたを両手でむぎゅっと挟んできた。ブチャイクな顔にされる。


「ばかっ……無茶して! なんで逃げなかったのよっ!?」


 泣きそうな顔をしたエカっぺを見ながら、思った。……どうやら僕が通り魔を返り討ちにしたという情報も、知れ渡っているようだ。でなければ当事者ではないエカっぺの口から「逃げなかった」なんて言葉が出てくるわけがない。


「いや、逃げたかったんだけど、逃げられなかったっていうか……」


「なんでよっ?」


「まぁ、状況的に難しかったんで……」


 僕はそう曖昧に濁した。……もしも「卜部さんが立てなくなってたので、守るために」なんて言えば、エカっぺは卜部さんをひどく責めると思ったから。それは嫌だった。そんなエカっぺは見たくないし、卜部さんも可哀想だ。


 エカっぺの潤んだ青眼に映る僕のブチャイク顔が、ぷるんっと元に戻った。彼女の白い両手は、僕の左手をぎゅっと包み込んでいた。


「……お願いだから、あんまり無茶はしないで。あんたに何かあったら、あたし……」


 半泣き顔のまま、エカっぺが尻すぼんだ声ですがるように言ってくる。


 僕はそんな彼女を安心させるために、努めて優しく告げた。


「心配かけてごめんね、エカっぺ。僕は、大丈夫だから……」


 エカっぺは泣き笑いみたいな顔で「うんっ……」と頷いてくれた。


「それと……そろそろ座りたいなぁ。防具とか重いから」


「あぁっ、ごめんねコウ」


 慌てて道を開けるエカっぺを通り過ぎ、自分の席へ到着。机の横に防具入れと竹刀を置き、鞄を机の上に置いて座った。


 それから、僕は「ある一点」へ目を向けた。


 空席となっている、卜部さんの机だった。




 ——その空席は、今日一日中ずっと、埋まることはなかった。









 本当なら今日も撃剣部の稽古へと行きたかったが、それ以上に卜部さんのことが心配だった。


 なので、今日は稽古をお休みさせていただき、放課後は卜部さんの様子を見に行くことにした。


 氷山ひやま部長もそれを了承してくれて、なおかつ卜部さんの住まいの場所も教えてくれた。


 そうして訪れたその場所は、少し古い、二階建てのアパートだった。


 ぽつぽつと塗装の剥げが見られる鉄骨階段で二階に登り、部長に教えられた部屋のドアの前で立つ。


 ドア横の表札には「卜部」とあった。


 ごくっ、と喉を鳴らす僕。


 心配になって来たとはいっても……正直、緊張する。

 

 ご存知の通り、卜部さんの僕に対する印象は悪い。訪ねても追い返される可能性大だ。


 防具入れと竹刀袋を担ぐ右肩とは逆の左手には、差し入れのお菓子がいっぱい入った紙袋。……これで多少、態度を軟化させてくれると嬉しいんだけど。


 深呼吸ののち、意を決して呼び鈴を鳴らす。


 きん、こーん、という音がドアの向こうに響くとともに、控えめな足音がドアへと近づいてきて……


『————何の用、秋津あきつ光一郎こういちろう


 ドアの向こうから、卜部さんの声が聞こえてきた。……ドアの覗き穴から、外にいる僕を見たのだろう。


 その声は低めで、ひどく不機嫌そうだった。しかしそれ以上に、気力を失っているような、そんなダレた響きがあった。


 僕はびくびくした態度で、


「え、ええっと……お、お見舞いに来ました……」


『というか、どうしてあなた私の家知ってるの』


「ぶ、部長が教えてくれたんだ」


 ちっ。


 ドア越しでも分かる舌打ちの音に、僕は身をすくませる。


 やばい。早速帰りたくなってきた……


 ええい負けるかと僕は気合を入れ直し、左手の紙袋を掲げた。


「あ、あの、これ差し入れ。お菓子…………おいしん棒とか、カントリーカァチャンとか、いっぱいあるから……どうぞ?」


『要らない。そもそも私、どこも怪我とかしてない。それなのにお見舞いなんておかしいでしょ』


「おかしくないよ。卜部さん、とっても怖い思いしたじゃんか。元気が無いのだって怪我と一緒だよ」


『……余計なお世話よ。とっとと帰って』


 うぅ……取り付く島がない。容赦の無い物言いに僕は小さくなる。


「せめてお菓子だけでも受け取ってよぉ……美味しいよ。カントリーカァチャン、みんな大好きじゃん?」


 すがりつく気持ちでそう訴えると、内側から鍵の開く音がして、ドアが開いた。中からシンプルなジャージに身を包んだ卜部さんが出てきた。……その髪はポニーテールではなく下されたミディアムで、愛らしさのある顔立ちには心身の疲労が浮かんでいて険しさがあった。


 ぱしん。


 それは、卜部さんが僕の紙袋を乱暴に払い除けた音だった。


 紙袋が落ち、中のお菓子が散乱するのと同時に、彼女は思いっきり吐き出すように言い募った。


「————いいかげんにしてよ!! 本当になんなの、あなたは!?」


 どういう反応をしたら良いか分からず、僕は凍りついた。


「強いくせに!! 私をあんなにあっさり倒して、撃剣部でも早速部長から有望視されて、おまけに刀持った通り魔に木刀で立ち向かって倒して、っ…………それなのに、全然自信なさげで、今だって格下の私にオドオド接して!! あなたみてると、私は自分が惨めに思えてくるのよっ!!」 


 喰らいつくような勢いで怒号をぶつけてくる卜部さんに、僕はどうにか言葉を返せた。


「う、卜部さんは、格下でもないし、惨めでもないと思うよっ?」


「はぁ!? 格下でも惨めでもない!? ……はははっ! 昨日までの私を見てもなおそんなことが言えるなんて、その目は節穴なのかしら!?」


 卜部さんは自嘲気味に悲嘆した。


「あなたに一回も勝てなかったのはまだしも、あんな、あんなお粗末な剣の腕の通り魔にっ……真剣を持ってたってだけの理由で、立ち向かえなかったどころか、みっともなく腰を抜かしてたのよっ!! 私は!! その上、嫌いなあなたに助けてもらって!! 必死に戦ってるあなたを腰を抜かしたまま眺めてることしかできなくて!! …………ねぇ? これのどこが惨めじゃないの? 剣士として、今の私よりも惨めな人間を見たことがあるの? 教えてよ、ねぇ?」


 ……僕には、言葉が見つからなかった。


 彼女がこんなに落ち込んでいるのは、やっぱり昨日の事件のせいであることは間違いではなかった。


 しかし、彼女はその時の記憶に怯えているのではない。のだ。


 刀を向けられた記憶に恐怖しているのではなく、恐怖していたことで何も出来なかった自分の腑甲斐無さに、ひどく落胆しているのだ。剣士としてプライドの高そうな卜部さんならなおさらそういう気持ちになるだろう。


 そして、それがわかったところで、今の僕にはかける言葉が無い。


 僕は、だから。


 ひとしきり叫んで、気力を使い果たしたのか、卜部さんは消沈していた。


「……助けてくれたことには感謝するわ。でも、もう帰って。お願いだから…………ほうっておいて……」


 蚊の鳴くような弱々しい訴えに、僕は頷く他無かった。




 †




 木曜日も、卜部さんは学校に来なかった。



 部員達も心配になったようで、氷山部長を含む部員達は卜部さんの家へお見舞いに行った。……もちろん僕は辞退したが。


 僕に厳しい卜部さんでも、部長や部の仲間には多少の笑みを見せてくれたようで、差し入れのお菓子も素直に受け取ってくれたようだ。


 しかし、金曜日も、卜部さんの空席が埋まることはなかった。


 どうにかしてあげたい、と僕は思っていた。


 同情心だけではない。


 僕が卜部さんと同じで、あの通り魔事件の当事者だからだ。


 ……彼女があんなふうになってしまった原因の一端を担ってしまったのが、僕だから。


 だけど、僕は、卜部さんの心を癒す術を持ち合わせていない。


 僕と卜部さんの間には、長く苦楽を共にした思い出も、相思の恋情も無い。


 「剣の繋がり」しか無い。








 だけど、「剣の繋がり」がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る