お疲れ、そして疑問

 そして翌日。


 九月二十四日。月曜日。朝。


「最近疲れてるわよねぇ。あんた」


 一年三組教室にて、自分の机でぐでーってなってるところを、エカっぺに呆れ気味に声をかけられる。


「うーん。最近忙しいからさぁ……」


 稽古日の翌日には、必ずこうやって疲労が残るのだ。まだ体が慣れきっていない証拠だ。


 望んで始めた稽古ではあるけど、それでも疲れるものは疲れる。


 望月先生は「そのうち慣れる」と言っているが、はてさて、それはいつになるのやら。


「……ふぅ————ん。楽しそうねぇ。望月さんのところで稽古できてさ」


 エカっぺの声が、何やら面白くなさそうな響きを得た。


 顔を伏せた状態から少し視線を上げると、本当に面白くなさそうな顔をした顔が見えた。


「ど、どしたのエカっぺ」


「べっつに」


 プイッと顔を背けるエカっぺ。


 えっと……なんか、機嫌悪い? なんでだろう?


 ——もしかして。


「ねぇエカっぺ。また何かあった?」


 少し緊張みを帯びた僕の呼びかけに、エカっぺは振り返ってきょとんとした。


「は? 何かって何よ?」


「また嫌がらせとかされてないのか、って意味だよ」


「……別にされてないわよ。相変わらず時々周りが露助露助うるせーけど、その他に実害らしきものはないわよ」


「ほんとぉ? 嘘ついてない?」


「ついてないってば」


 なんでもないような顔と声でそう繰り返す。


 エカっぺはそう言うけど……この子は「先輩ぶっ飛ばし事件」の時も僕に嘘ついてたからなぁ。


 なので僕は真顔でエカっぺの青い眼を見つめ、念を押した。


「もしも何かあったら、遠慮無く相談していいからね。僕は何があっても君の味方だから」


 エカっぺの青い瞳が大きく見開かれ、その頬が赤く染ま——ったように見えた瞬間、彼女は勢いよく顔を背けた。


「……だいじょぶ、だから。ありがと、コウ」


 おとなしく、小さな声で、そう告げてくれた。


 ……まぁ、今は信じておこう。


「——あーっもうっ! それよりっ! どうなのよっ? 稽古の方はっ? 少しは上達したわけっ?」


 そこでエカっぺは、何かを必死に振り払うような口調でそうまくし立ててきた。


 話題の方向性を強引に逸らすような返し方だが、もともとの会話のテーマはそこにあったことを思い出し、僕は質問に答えた。


「なんというかね……基礎オブ基礎、って感じかな。至剣流の基本的な部分を重点的にしつこく練習させられてるんだよ。上達は……まだまだ、かな。特に『四宝剣しほうけん』とか」


「『四宝剣』?」


 その単語に、ずっとそっぽを向いていたエカっぺが向き直った。


「知らない? たくさんある至剣流の型の根幹をなしてる、四つの型のことだよ」


「……いや、知らないわ。四つの型? どんな型よ?」


 僕は指を一本ずつ折って数えた。


「『石火せっか』『旋風つむじ』『波濤はとう』『綿中針めんちゅうしん』……この四つだよ。これを数年間徹底的に練り上げることで、その他全ての型の習熟度を丸ごと底上げするんだって。その他の型は、全部『四宝剣』の体捌きとか呼吸とかを基礎理論として成り立ってるから、『四宝剣』が上手いほど他の型の上達も格段に速くなるんだってさ」


 僕は教わったことをそのままうそぶいた。……僕自身の『四宝剣』の不出来さを棚に上げて。


 だが、エカっぺは何か納得がいかないような顔をして、己のおとがいに指を当てていた。


「…………ごめん、やっぱ聞いたことない」


「えっと……確かエカっぺも、至剣流は学校でしか習ったことないんだよね? 多分『四宝剣』って単語は、道場に通ってる人にしか教えられないんじゃないかな……?」


「まあね……一時期は至剣流の道場通おうと思ってあちこち探し回ってたけど、どいつもこいつもあたしのツラとフルネーム晒した瞬間態度変えて、やれ「今は満員」だ、やれ「道場の広さが足りない」だと理屈をつけてあたしを入門させたがらなかったのよ。そんなクソ道場に入門するなんてこっちから願い下げだと思ったから、道場に入るのはやめたわ」


 エカっぺの語り口に、僕は事情を察して同情した。


「代わりに意趣返しとして、門前払いしやがった道場の稽古をこっそり覗いてやったのよ。だから至剣流の道場組がどういう稽古をすんのかは、ある程度は知ってる」


「あ、あはは……」


 得意げに変化したエカっぺの口調に、僕は苦笑する。


「だからこそ、確信を持って言えるわ。——『四宝剣』なんて教え方をしてる道場は、どこにも無かったわ」


 僕は目を丸くした。


「えっと……それってつまり、望月先生が考えた造語ってことかな?」


「もしそうだとしたら、望月大将は「掟破り」をやらかしてることになるわよ」


「掟破り?」


「そ。至剣流は「家元制」……つまり宗家が伝承と免状の授与を統括管理する中央集権的な伝承体制なの。たとえ免許皆伝者であっても、宗家とは平等じゃない。宗家の許可無しに勝手に伝承を変えるなんて言語道断。そしてを考えると、宗家が伝承を改変することに賛成するはずはないわ」


 至剣流が家元制になった理由。


 それは——『至剣』の保護。


 至剣流開祖の嘉戸かど至剣斎しけんさい美達よしたつは、現在の至剣流の教伝内容を変えたら、『至剣』という必殺奥義の開眼は出来なくなると考えた。だからこそ少しも変えないように、嘉戸宗家が伝承を厳格に管理する「家元制」にしたのだ。


「もし、その「掟破り」っていうのを行ったらどうなるの?」


「破門。んで、二度と至剣流っていう流派の敷居を跨げなくなるわ。免状の類も全部没収。あとは鹿島大明神が雷を落とす……って、これは宗教的な脅し文句だわね」


 厳しいな……


「ま、至剣流の事情なんてあたしには関係ないけど。あたしを門前払いしやがった至剣流なんか」


「じゃあ、他の剣術を習ったりは?」


「うーん、この辺には至剣流以外の道場はないわね。てかそもそも、帝都にある道場は至剣流だらけなのよ。他の県でも、至剣流の繁栄華やかな反面衰退してる剣術流派が多いこと多いこと。……まぁ、『玄堀村くろほりむら』みたいに、一つの村の住民の大多数が、至剣流じゃない一流派を学んでるような面白い場所もあるけどね」


「『玄堀村』?」


 聞き慣れぬ単語に、僕が首をかしげると、エカっぺが解説してくれた。


「北海道沿岸にある村よ。明治初期に仙台藩士が移住して、村民にいろんな知識を伝えたの。特に藩士の体得していた武芸「柳生心眼流」は多くの村人に学ばれて、いわゆる「一村一流」と呼べる隆盛を見せて、それは今でも続いている。人口の四分の三が心眼流の修行者なの。そして——十年前のソ連による北海道北部侵攻ででもあるわ」


 エカっぺの語り口が、少し真剣みが増した。


「豊富な武具と備蓄食料、水源地、ゲリラ戦に適した山岳地帯、古典とはいえ軍学に通じた武士の末裔の存在、そして何より武勇に優れた村民の奮闘——それらを武器に、ソ連兵の侵攻と果敢に戦ったわ。手持ちの武具はマタギの猟銃が最先端で、あとは刀とか火縄銃みたいな前時代的な武器ばかり。それでも、その時代遅れな武器を有効に活用できる戦術を用いたり、または敵から武器を奪い取って戦ったり、色々な工夫を重ねて、軍の反転攻勢が始まるまでの間必死に村を守ったわ。犠牲者も出たけれど、それでも他の村のようには免れた。その勇敢さを讃える声は今でも根強いわ」


「へぇー……ってか、前から思ってたけど、エカっぺって十年前の戦争に詳しいんだね」


「ま、こんな身の上だからね。自分が嫌がらせされる原因になった出来事には嫌でも詳しくなるってもんよ」


 自分の金髪碧眼で色白な顔を指差しながら、エカっぺはだるそうに言った。


 少し話の方向がずれ始めていると思い、僕は軌道修正をはかった。


「結局のところ、なんなんだろうね……『四宝剣』って」


「だから知らないってば。ていうか……それってさ、そんなに重要なことなのかしら?」


「え?」


「あんたから見て、今の師匠は信頼できると思った?」


 その問いに、僕はすかさず首を縦に振った。


 彼は確かに免許皆伝者だが、それを鼻にかけたりはしていなかった。


 それどころか、自分の弟子に負けるかもしれないとまで言った。


 そして、そんな弟子を育て上げたのは、他ならぬ望月先生だ。


 何より……あの人は真摯に僕に教えてくれている。


 そう思ったからだ。


「結局、師匠を選ぶ基準はそこしかないわけよ。師匠だけじゃない、いろんな関係性がそうよ。他人の心を読むなんて出来やしないんだから、その人の行動や言動、態度とかを手がかりに、信じる人間を選別するしかないわけよ。…………あんたが、あたしの事を「信じる」って言ってくれたように、ね」


 言って、エカっぺは微笑する。昔のいい思い出を思い出したように、ほのかに嬉しそうに。


 それを聞いて、僕は胸をいっぱいにして、全て納得した。


 そうだ。大切なのはそこじゃないか。


 僕は確かに、「免許皆伝者から教えを受けられる!」と張り切ってはいた。


 最初こそ、それしか思っていなかった。


 けれど、望月先生と会い、実際に話し、この人についていきたいと思った。


 それで十分だったのだ。


「……ありがとう、エカっぺ」


「ん」


 エカっぺは頷く。


 僕はなんと基本的なことを忘れていたのだろう。


 彼女はそれを思い出させてくれた。


 やっぱり、友達というのはいいものだ。たとえ一人だけでも。


「僕、エカっぺに会えて、本当によかったよ」


「……あんたはまた、そーいうことを言う」


 僕の悪友はふいっと顔を背け、横顔をそのショートな金髪の裏に隠した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る