拘束、そして制服
僕はあの事件以来、木刀をベルトの左腰に差して外出している。
いつ戦いが起こっても良いように。
しかし制服のベルトは木刀を差すようにはできていないため、走る時は必然的に片手で押さえておく必要がある。
右手に鞄、左手に木刀を持ちながら、僕は最寄駅へと駆け込む。駅員さんに「
電車でその駅まで行き、駅を出たら、ちょうど目の前を通りがかっていた人に「葦野女学院はどこですか?」と尋ね、大まかな経路を教えてもらった。
しかしそれからすぐにお巡りさんに声をかけられる。僕が中学生だと勘付き、この時間帯に学校へ行っていないことを不審がったのだ。なので慌てて逃走。しばらくの間追いかけっこが続き、一時間くらいでようやくまいた。
……本当ならわざわざ仮病を使って早退したくはなかったが、放課後になってからヨシ女に駆けつけても、
確実に学校にいるであろう時間帯に姿を現す必要があった。
とはいえ、授業中の時間に乗り込むのは気が引ける。
なので、放課後を狙うこととした。
ヨシ女はお金持ちや政治家、官僚の娘、さらには皇族の娘までも通っているらしい。そういうすごい学校だ。ゆえに、放課後になるまで校門が解放されているとは思えなかったのだ。
望月さんとの再戦に備え、僕は柔軟で体をほぐしたり、型のおさらいをしたりして時間を潰し、頃合いと思うやヨシ女へと向かった。
空の一部が茜色に染まり始めた時間帯、僕は目的地へと向かった……のだが。
「さ、坂道なっが……!」
どこまでも続く曲がりくねった坂道に、僕は思わず泣き言をぼやいた。
幅の広い車道の端の歩道を、えっちらおっちら登り続ける僕。小学校一年生の頃の遠足で嫌々登らされた山のことを思い出す。
ヨシ女はこの坂道の先にあるそうだ。
なんでも、ヨシ女の生徒はほぼ全員車通学であるとのこと。この登り坂の車道は、そのままヨシ女の校内へと伸びていて、校門から学校敷地内の大駐車場へと出入りするのだそう。
お金持ちは苦労嫌いなんだなぁ……と思う僕だが、すぐに合理的理由があることに気づく。
ヨシ女に通う生徒はみな「イイトコ」の家柄だ。そんな生徒を徒歩で下校などさせようものなら、よからぬ企みを持った輩が近づいて来かねない。だからこそ車通学なのだろう。
……もしかして、僕、これから虎穴に入ろうとしてる?
今更ながら臆病風にふかれる僕だが、その気持ちを振り払う。この程度で気後れしていてどうする。僕はあの望月
坂道を登る両足に勢いと力が宿る。
ずんっずんっと一気に登っていき、あっという間に坂道の終わりまで辿り着いた。
「はーっ、はーっ、はーっ……」
とはいえ、少し頑張ってしまったので、息切れ。
呼吸を整えてから、僕はじっくりとその校門を見た。
「うわぁ……」
愕然とする僕。
まるで西洋の宮殿を彷彿とさせる、豪壮な門構えだった。ゴシック調っぽい模様をした巨大な門扉と、それらを両側から支える彫刻入りの太い柱。その柱の片方には、いかめしい書体で「葦野女学院」と彫られたデカい標札。
僕がたどってきた広い車道が、開かれた巨大な門扉の内側へと続いている。その中から、いかにも高級ですよって感じの黒塗りの車が出てきて坂道を降りていく。
聞いたことがある。ああいう車は見た目がリッチなだけじゃなくて、銃弾を防げるくらい頑丈な装甲とガラスを備えていると。中にいるやんごとなき人達を守るために。
豪壮たる正門といい、立派な車といい、僕という存在がひどく場違いに思えてくる。
なんだろう……こんなきれいでものすごいところ、僕みたいなきったない野良犬が入って良いのかな……
って、おい僕。気を確かに持て。自分の矮小さを実感して自虐モードになるんじゃあない。
僕は剣士としてここに来たのだ。もっと堂々とするのだ。
「ふんがっ」
強引に気合いを入れ直し、僕は重い足を動かした。
路肩をたどって、校門から中へ入る。
入ってすぐに、視界いっぱいを広大な敷地が占めた。
横幅がものすごく広く、かつ奥行きもかなり向こうまである巨大駐車場。そこにうごめく高級車の数々。大型デパートでだってこんな風景は拝めない。
巨大駐車場のさらに奥には、赤煉瓦敷きの広場。そこからさらに真っ直ぐ奥にはうっすら門扉が見える。その門扉の向こう側にある校舎の威容が、ぼんやりと蜃気楼のように浮かんで見えた。
またも
邪魔にならぬよう、巨大駐車場の端をなぞって奥を目指す。
そうしてしばらく歩くと、駐車場の一番奥の段差に辿り着いた。その段差から先には高級感あふれる赤煉瓦敷きの敷地が奥へとずっと続いており、まるでメルヘンの国に来たみたいだ。
赤煉瓦の敷地をさらに奥へ進もうとした時だった。
「——ちょっと、君」
後ろから右腕を誰かに掴まれる。強引さを感じさせる強い力で。
思わず振り向くと、いかにも警備担当といった服装と大柄な体格の男性だった。その体格通りの太い声で、
「ここで一体何してる」
「え、いや、僕は……」
「見た感じ、中学生だな。何しに来た? ここへ許可無く入ることは禁止されているぞ」
「そ、そうなんですか……」
みるみるうちに血流がサーッと下降していくのを実感する僕。
やばい。これは……逃げた方が良さげだ。
僕は警備員のあさっての方向へ目を向け、ことさらに驚いた。
「あ! UFO!」
「なにっ?」
「隙ありっ!」
「ぬぁっ!? こ、こらお前! 待てぇっ!」
一瞬の気の緩みを狙って拘束を解き、逃げ出す僕。それを追いかけ始める警備員。
僕はフルパワーでダッシュするが、追ってくる警備員との差が全然開けない!
ちくしょう、僕のアホ! 浅慮!
ちょっと考えればわかることじゃないか! イイトコの家の人ばかりが通う学校なら、敷地内の警備も厳重だってことくらい!
恋は盲目とは言うけれど、我ながらアホ過ぎる!
「おい! その子供を捕まえてくれ!」
追ってくる警備員がどこかへそう呼びかける。すると、近くに立っていた同じ制服の警備員が即座に反応し、僕の前へ立ち塞がった。
「げぇっ!?」
前門の虎、後門の狼。前後の退路を塞がれる。
現在の僕から見て右側は、背の高い塀と
だが警備員も、僕がそう逃げることを分かっていたはずだ。ダッシュした僕を、まるで両サイドからV字の真ん中を目指すような形で挟み撃ちしようとしてくる。
僕は全速力を出すが、無駄だった。
「ふぎゅ!?」
まるでアメフトみたいに双方からタックルを喰らい、僕はうつ伏せに倒れた。
「うわー、離してー!!」
「このっ、おとなしくしろっ!」
「学生証を出せ! 学校側に抗議してやる!」
僕は虫みたいにジタバタするが、屈強な男二人に力で敵うはずもなく、ほのかな熱気を帯びたアスファルトに縫い留められる。
「僕は怪しいものじゃありません! ただ、勝負をしたい人がいるだけなんですー!!」
必死に叫ぶが、拘束する力が緩む気配は全く無い。
どうすればいいのかとパニックになりかけていた時、一台の黒塗りの車が僕らの少し先で停車した。……僕らが行く手を塞いでいたからだ。
車の後部座席のドアが、ゆっくりと開く。ドアの下の輪郭から一対の脚が伸び、地を踏む。茶色いローファーと黒いソックスを履いた、白く細い脚。
ドアの裏から歩み出てきたその人物を見た瞬間、僕は目を大きく見開いた。
「あ……!!」
人形じみた無機質な端正さを誇る、色白な美貌。
澄んだ深い泉のごとく
絹帯みたいに流麗に流れる、長い黒髪。
ヨシ女の制服である
まぎれもなく、麗しく愛しい探し人、望月螢さんだった。
——せ、制服姿もめちゃくちゃ可愛い……!!
今すぐ鞄から鉛筆とスケブを取り出して模写したい。それで僕の部屋に飾りたい。神棚を作ってそこに置きたい。毎朝祈りを捧げたい。合掌。エイメン。国歌斉唱。
制服姿の望月さんという超弩級の爆弾を前に思考が壊れかけている僕をよそに、望月さんはひと月前と違わぬ、銀の鈴の音みたいな可憐な声で尋ねてきた。
「——あの、なにかあったんですか?」
対し、警備員は困ったような声で望月さんに告げる。
「不審者ですよ。駐車場周辺をうろついていたんです」
不審者という言い草に聞き捨てならないものを感じた僕は(いや、確かにそうかもだけど)、慌てて言った。
「ち、ちがいます!! 僕はただ、あなたと勝負がしたかっただけなんです!! 望月螢さん!!」
名前を呼ばれた望月さんは、僕の顔を見下ろしてきた。
その綺麗な黒い瞳に真っ直ぐ見つめられてドキドキする僕。やばい、めっちゃ綺麗な目。僕の顔がくっきり映ってる。君の瞳に乾杯。
望月さんは目を何度かぱちぱちさせると、表情を変えず、しかし心当たりがあるような口調で、
「……あなたは、どこかで…………えっと……」
「
「………………あ。そうだった。わたし、あなたをぶっとばしたんだった」
「はいぃ!!」
思い出してもらえただけでも、空を飛べそうなくらい嬉しかった。
望月さんはふたたび目をぱちぱちさせると、こちらへ歩み寄ってくる。……足音がしない。
「あ、危ないですよっ? あまり近づいては——」
「だいじょうぶです」
警戒を促してくる警備員に、望月さんはそう抑揚なく告げる。
僕の側まで来ると、彼女はちょこんとしゃがみ込み、その感情のうかがい知れない瞳で僕をじぃっと見つめてきた。
幸い、ヨシ女の制服はスカートが長めな上、両足をそろえた状態でしゃがんだのでスカートの中は見えなかったが、その真っ白な膝小僧だけでも僕にとっては刺激的だった。頬がちょっと熱くなる。
「もしかして……まだ、あきらめてなかったりする?」
抑揚に乏しい声でつむがれたその問いの意味を即座に察した僕は、一切の迷いなく返した。
「はい!! 僕は今でも、あなたが好きです!! だから、また僕と勝負してくれませんかっ!?」
唖然とする警備員二名。
望月さんは目を数度しばたたかせると、
「——いいよ」
そう答えてくれたのだった。
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「あ、UFO!」で騙される名門女学院の警備員ェ……
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