愕然、そして立志


「——でも!! これで諦めるのは流石に早いと思いませんか!? エカっぺ!!」


 翌日。八月三日。昼。


 駄菓子屋のベンチで隣に座る親友に対し、僕は真上で輝く太陽くらい熱く語った。


「彼女は確かに「自分を倒した人としか交際しない」と言いました! だけど「挑戦するのは一度きり」なんて一言も言っていません! これはズバリ! まだチャンスがあるということを意味する!! そうは思いませんか、エカっぺ!!」


「知るか」


 悪友は、僕の熱弁をにべもなく両断した。


 肩に届くくらいのショートな金髪と、蛍石フローライトみたいに澄んだ青い瞳が特徴的な女の子だった。


 僕と同じ十三歳だが、彼女の背丈は僕より頭ひとつ分くらい高く、なおかつスタイルも大人びている。

 Tシャツとショートジーンズから伸びる肌は、わずかな火照りも視認できるくらいに白い。外へ出る頻度が低いからとかいうレベルの白さではない、肌の白さ。


 同じ中学に通うクラスメイトにして悪友——エカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤いとう


 僕が「エカっぺ」と呼んで親しむ彼女は、気が強そうでありつつも愛嬌のある顔を、呆れた表情にして言った。


「ていうかコウさぁ、あんたが惚れたっていうその女の子、望月螢もちづきほたるさんでしょ? 。……やめとけやめとけ。あんな化け物、あんたじゃ逆立ちしたって敵いっこないわよ。大人しくハートブレイクブルースしとけー」


 諦めろと告げるその言い方に、僕は唇を尖らせるが、同時にその言い回しに引っかかりを覚えた。


「……「あの」? 望月螢さんって、そんなにすごい人なの?」


「すごいなんてもんじゃないわよ。わずか十一歳で『至剣流しけんりゅう』を免許皆伝してるのよ? 人外よ、人外」


 驚天動地とはこのことだ。エカっぺの言葉を聞き、僕はひっくり返りそうになった。


 ——大正時代から義務教育の必修科目となり、今や日本人にもっとも馴染み深い剣術となった『至剣流』。


 豊富に存在する型を全て高水準に練り上げ、その末に『至剣しけん』という必殺剣技を発現させることで、至剣流は免許皆伝となる。……そして、そこまでの道程は、決して短くも平坦でも無い。長年の修練が不可欠だ。


 そんな至剣流の免許を、わずか十一歳で皆伝?


「……それ、本当の話?」


「クソマジよ。帝国図書館行って新聞探してみ。記事になってるから」


 …………確かに、それは人外と呼んでも、不適当ではないかも。ああでも、あんな綺麗な人を、人外っていうのはなぁ。じゃあ、神様かな?


 エカっぺは手元のカップアイスをミニスプーンで掬い、はむっと口に咥える。アイスの切れ端のなくなったスプーンを唇から抜き出し、それを教鞭のように前へ振って彼女は続けた。


「まぁ、そんな感じで有名な人だけどさぁ、普通じゃないのは武芸の腕だけじゃあない。あんたも知ってる通り、彼女の「見た目」もかなりの別嬪ときたもんだ。十四になった辺りからかなぁ? 望月さんに求愛したり、求婚したりする奴が掃いて捨てるほど湧いたわけ。んで、その全員を掃いて捨てるように蹴散らしていったの。ね、コウ」


「つまり……剣の勝負で?」


「そ。『わたしは、自分を打ち負かした人としか、交際も結婚もしないから』……そう公言して、数多の男女を剣でぶちのめしたわ。その中には、名のある剣術名人も少なくなかったそうよ。みんな例外なく瞬殺。現在進行形で無敗街道まっしぐらよ」


 エカっぺがそらんじた望月さんのフレーズは、昨日僕が聞いたソレと一言一句違わなかった。それだけ有名な公言だということだろう。


「す、すごいなぁ……」


 ……ん? 男? ああいや、ここは別に気にしなくていいか。も世の中にはいるっていうし。


 エカっぺはもう一口アイスを食べると、ため息をつき、やや気の重そうな声で解説を再開。


「それに彼女、家柄もちょっと特殊なのよ」


「家柄? 大金持ちとか?」


「そういうんじゃないの。……コウ、あんた「望月」って苗字に聞き覚えない?」


「望月? えっと……僕の知り合いにいたかなぁ、望月って人」


「あんたの知り合いじゃないわよ。いるでしょ? 日本一有名な「望月」がさ」


 僕は少し思考し、意外と早く答えを見つけた。


 いた。確かに日本一有名で、かつ「英雄」と呼ばれている「望月」の人が。


「——望月源悟郎もちづきげんごろう


「ご名答。十年前、ソ連の北方侵攻からこの国を守った、帝国軍の英雄の一人。元陸軍大将、望月源悟郎。——望月螢さんはね、その望月大将の義理の娘なのよ。そして、剣の師でもあるわ」


「うっそ!?」


 またしても驚きの極致に達する僕。


「って、義理の娘? 本当の娘じゃないの?」


「そう、義理。……流石にその辺りの事情は知らないわ」


 そう言って、エカっぺはカップの中に残ったアイスを全て掻き込み、自販機近くのゴミ箱へ入れた。自販機には『帝国男児よ、剣を学べ!! サムライたれ!! 至剣流宗家認可道場◯◯支部』というボロボロの勧誘ビラが貼られていた。


「——あたしの知る限りの望月さん情報はこれくらいね。どう? 分かったっしょ? あんたにとっては高嶺の花どころか、富士のテッペンの花よ。とっとと諦めて、身近な出会いを探したら?」


 極めて現実的な事を告げてくるエカっぺ。


 ……うん。確かに間違ってない。


 望月さんはわずか十一歳で免許皆伝するような天才少女で、ものすごく強くて、おまけに英雄と呼ばれる陸軍大将の娘ときた。


 比べて僕はどうだろう。

 武芸や運動より本とか読書が好きな文化系で、至剣流の型も『石火せっか』一つしか覚えていない。

 特技は七歳の頃にハマりだした模写。

 ケンカは強いとはいえない。

 一応先祖は武士だったそうだが、今はこの千代田区に店舗を構える老舗しにせ古書店こしょてんの息子だ。


 月とスッポン、ってやつではないだろうか。


 それくらい僕にだって分かっている。


 でも——


「簡単に、諦めたくないんだ。一目惚れで、初恋……だったんだ。心からの」


 理屈とは別に、僕の感情が「諦めたくない」と言っている。


 諦める方が利口でも、その利口になることを僕の心が拒んでいる。


 儚げで可憐なかんばせ、花弁のような唇、澄んだ泉のような黒瞳こくどう、絹帯のように柔らかく流れる黒髪、柳のように柔らかくも芯のある佇まい——


 その全てを、この腕の中に納めたい。


 五感いっぱいに、彼女の事を感じたい。


 富士のテッペンの花みたいな存在。でも、富士だって、登ることはできる。


 登る前から、登れないと決めつけたくはなかった。


 登りたい。その山を。


 今日、エカっぺを呼び出したのは、望月さんという「富士のテッペンの花」を目指す準備のためだ。


 僕はベンチに立て掛けておいた二本の木刀のうち一本を差し出す。……二本とも、僕が持ってきたものだ。


「その手伝いを、君にして欲しいんだ、エカっぺ。——


 真っ向から彼女の青い眼を見つめ、お願いをした。


 エカっぺはベンチの背もたれに両腕を乗せてどっかり座り込むと、そっぽを向いて、ため息を一度ついてから問うてきた。


「……なんであたしなの」


「エカっぺ、剣術上手いじゃん。撃剣げっけんもクラスで一番強かったでしょ?」


「……あんたも知ってるでしょ。至剣流の教伝資格は、宗家から目録もくろくをもらわないと与えられないのよ。あたしは目録どころか切紙きりがみすらもらってないんだけど」


「大丈夫。から。学校で習った至剣流の形を、生徒同士でするだけだから」


「理屈こねくり回すわね……」


 僕は手を合わせて、さらに強く頼み込んだ。


「お願い。エカっぺしかいないんだ。頼める人。僕がエカっぺ以外で学校に親しい人がいないの、知ってるでしょ?」


 エカっぺの白い耳が、こころなしか、赤く染まった。


 そのまましばらく沈黙してから、


「……………………いいよ」


「ほんとに!? やったぁ!! ありがとうエカっぺ!! おねがいします!!」


 勢いよく頭を下げる僕。


 エカっぺは顔を向けないまま木刀をひったくると、勢いよく立ち上がった。


「ほらっ! 近くに公園あるから、そこでやるわよ! 早く立った立った!」


 すたすたと早歩きする彼女を、僕はもう一振りの木刀を持って追いかけたのだった。





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 今作は、「現実の日本とは違う歴史を歩んだ現代日本」が舞台となっております。

 詳しくはこれからのちのち。

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