帝都初恋剣戟譚

新免ムニムニ斎筆達

帝都初恋剣戟譚

告白、そして轟沈

 それは、僕にとってまぎれもなく「初恋」だった。












 中学生になって最初の夏休み期間中。東京都千代田区某所にて。


 街路の花壇の花に留まった一匹のオニヤンマを、木陰のベンチでスケッチブックに模写していた時に、その「出会い」は訪れた。


 僕の隣を——非常に美しい女の子が、黒髪をなびかせながら素通りした。


 彼女を一目見た瞬間、僕の胸は大きく高鳴った。


 その高鳴りを引き金にしたように、時間の流れる感覚が鈍化していく。


 大きく引き伸ばされた一瞬の中で、僕はその女の子の具体的特徴を鮮明に把握した。


 全体的に細くもしなやかさのある体つきを、白い上衣と黒い袴という衣装が整然と包んでいる。左腰には木刀を一振りいていた。

 姿勢はとても美しく、背中に一本の棒でも通してあるかのようだ。

 腰まで流れた長い黒髪は、枝毛ひとつ見られず一律で、絹のような光沢を輝かせていた。

 美しい姿勢の頂点に乗った小さな頭。人間離れした整い方をした顔の造作。黒曜石のようなその大きな瞳は、澄んだ深い泉を連想させる。


 何もかもが人並み外れた特徴を持ったその美少女から、僕はずっと目が離せずにいた。


 心なしか、全身が熱い。

 明らかに夏の暑気のせいではない、体の内側からくる熱だった。

 どっどっどっ、と、不自然に心音が速くなっていた。

 その苦しくも甘ったるい動悸を訴える心臓を起点に、甘やかな熱が五体へ伝播でんぱしている。

 息が苦しい。

 しかし、嫌な苦しさではない。

 今すぐあの女の子の前から姿を消し、甲州街道を全力疾走したい衝動に駆られる。けれどそれでいて彼女をずっと見つめていたい。……そんな矛盾した二つの情動が心中を巡る。


 


 それが生まれて初めての恋、すなわち「初恋」であると、僕はすぐに確信した。





 確信と同時に、引き伸ばされた時間の流れが元に戻った。


 「初恋」の少女の歩く速さも元通りとなり、急速に僕の前から離れて行く。


 どっ、どっ、どっ……と、僕の鼓動が早鐘を打つ。


 今度は恋の熱ではなく、焦りでだ。

 

 このまま「初恋」が逃げ、雑踏の中に混じってしまえば、僕は一生彼女に会えなくなる可能性が高い。

 この帝都東京は広くて人も多く、なおかつその流れも活発だからだ。まるで一粒の砂金を砂漠の中で探すがごとし。


 今逃せば、もう後は無い。


 そんな焦りが、僕を突き動かした。




「————あのっ!! 僕っ、秋津光一郎あきつこういちろうっていいます!! あなたのことが好きですっ!! どうか僕と、お付き合いしてくれませんかっ!?」




 言った。言ってしまった。でっかい声で。


 人生最初の一大告白。


 周囲を歩いていた人達は、一斉に僕の方を向いた。


 死ぬほど恥ずかしくなったが、それでも僕は、目前の「初恋」から目をそらすことなく見つめ続けた。


 その「初恋」は、カーテンのように黒髪を柔らかくなびかせ、振り向く。


 静謐な黒い瞳を、白皙はくせきの美貌を、こちらへ向ける。


 みずみずしい桜色の唇が動き、紡ぎ出した彼女の「答え」は——















「あ、あの……すみません……」


「なに」


 僕の困惑した声に、「初恋」の少女はそう応じた。


 鈴の音がなるような可憐な響きだが、感情の含有が薄い声。


 僕は手元のを一瞥してから、おずおず問うた。


「この木刀は、いったいなんなんでしょうか……?」


、武器は必要でしょ?」


 僕と同じく木刀を両手に持った「初恋」は、さも当然のことのように言った。


 いや、だから……


「なんで僕たち、勝負することになってるんですか……?」


 人の往来の絶えない街路の歩道の一箇所に、ぽっかりと開けたスペースがあった。


 そのスペースの中央で、僕と「初恋」の少女は向かい合って立っていた。


 両者の手には木刀。彼女の木刀は自前ので、僕の木刀は衆人環視の中から「使え」と投げ込まれたものだ。


 さらに立会人たちあいにんまで用意している。近くで警邏けいらしていたお巡りさん。彼女が半ば強引に引っ張り込んできたのだ。


 ——そう。まさしく「剣の勝負」という図式が、そこには出来上がっていた。


 彼女はまたも感情の含みが薄い平坦な口調で告げた。


「わたしは——


 ……えぇ。


「名乗るの忘れてた。——わたしの名前は望月螢もちづきほたる


「あ、はい、どうも……僕は秋津光一郎です」


「知ってる。さっき聞いた」


 「初恋」の美少女——望月螢さんはそこまで言うと、手元の木刀を正眼せいがんに構えた。


 はっ、と目を奪われた。


 望月さんの美しさに、ではない。いや、それもあるけど。


 ——「構え」を見て、すぐにと確信した。


 僕のように義務教育で無理やり剣術をやらされた者の構えではない。


 長年にわたり、ちゃんと剣術の師について稽古を積んできた人の構えだ。


 剣術指導のために学校へ派遣されてくる剣術教師と同じような——いや、あるいはそれ以上の熟達を感じる。


 強い。間違いなく。


「さあ、きて」


 鈴音のような声で、そう訴えてくる望月さん。


 彼女の尋常ならざる剣力の片鱗を見たけれど、それでもあの綺麗な女の子へ木刀で打ちかかるのは、まだちょっと気が引ける。


(何言ってんだ僕はっ。望月さんは「勝たないと恋人にしない」って言ってただろうが。なら、この勝負、逃げるわけにはいかない。それは、僕の「初恋」が嘘だったってことになるだろう——!!)


 覚悟を決めた僕は、学校の必修科目で習った『至剣流しけんりゅう』の型の一つで仕掛けた。


 「陰の構え」——右側面に垂直に剣を立てた構え。

 その構えから、学校で教わった通りの動きをそのまま行った。前へ踏み出し、手元の木刀をビュン! と急加速させて斬りかかる。……『石火せっか』という型だ。剣術はあまり得意ではなかったので、お世辞にも上手いとは言えない出来だが。


 独特な手捌てさばきと足捌あしさばきによるエネルギーが切っ尖に集中し、鞭のごとく彼女へ急迫する。


 彼女の間合いに入った瞬間、正眼に構えられた彼女の木刀が稲妻のごとく閃いた。


 かぁんっ!! 


「でぇっ!?」


 あまりにコンパクトな刀の動き。しかしその微少な太刀筋の中には硬く、重く、重厚な爆発力が宿っており、それを食らった僕の手元の木刀はあっけなく横へ弾き飛ばされた。


 手の内側にまでじんわり響く衝撃を引き金に……僕の思考が高速化され、驚愕の限りを訴えてきた。


 まさか今のは『石火』? 

 だけど、威力がとてつもなく重い。

 なおかつ……『石火』を使った。


 至剣流の型は、開始時の構え方がだいたい決まっている。

 たとえば『石火』は「陰の構え」か、その逆向きである「陽の構え」から発すると決まっている。そこから発するのが最も力が剣に乗りやすいからだ。


 だが今、彼女はその法則セオリーを無視して、『石火』の太刀を使ってみせた。

 それでいて、この衝撃。

 型を崩したまま、型の威力をキープする。

 それは、まさしく熟練された名人技だ。

 彼女の実力のほどを強く示唆していた。


 さらに、名人技の『石火』を終えたばかりの彼女の切っ尖は——木刀を弾いた流れそのままに、


「いふぁっ——!?」


 僕は見事に眉間へ突きを食らった。


 鋭さと鈍さの中間くらいの衝撃と痛みが、後頭部からはるか後ろへ突き抜ける感覚。


 ひとりでに倒れていく我が身。

 急速に遠のく意識。

 みるみる暗くなっていく視界。


「さよなら」


 興味を失ったように背を向けた望月さんの姿を目にしたのを最後に、僕の意識は暗闇へと落っこちた。













 ——西暦二〇〇一年、八月二日。夏休み。


 僕の初恋は、始まったその日のうちに終わったのだった。


 ハートブレイクブルース。

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