日記帳で異世界交流

 一瞬目を離した隙に逃げられた。二日酔いだったはずなのにどうしてあんなに素早く逃げられるのだろうと兄の背中が消えた方向を見つめながら考える。


 本当に目を離したのは一瞬なのだ。朝起きると兄がリビングのソファの上で眠っていたので容赦なく叩き起すと、顔色を悪くしながらぼんやりと椅子に座り直した。どうしてそこまでして酒を飲みたいのか。

「ねえ兄さん、あの日記帳のことだけど」

「ん……? おー……」

 気分が悪いのと眠いのとで言葉の意味を理解できているのかは分からないが、とりあえず二日酔いに効くらしいトマトジュースを渡しておく。

「あれ、本当に何? 兄さんの言う通り誰かと会話ができた。それも、おそらくこの世界とは別の世界に住む人と。しかも私と似た経緯で日記帳を渡されたときた。……兄さん、何か知ってるんでしょ」

 意識がぼんやりしているうちに問い詰めて吐かせようと思い畳み掛ける。

「……あー…………天花、棚からパン取って……」

「はいはい……」

 朝食用のパンを棚から出して兄の方を向くと、そこには先程まであったはずの兄の姿がなかった。兄がいないことを認識したと同時にガチャンと玄関の扉が閉まる音がした。


 そんな感じで玄関の扉を開けると結構遠くに兄の背中が見えた。体力のない私では今から走ったとて間に合わないだろう。呆気に取られながらもそう判断し、ダイニングへ戻る。テーブルに置いたトマトジュースはちゃっかり持ち去られていて、そういえば兄は二日酔いであったことを思い出した。兄が運動を大の得意としているのは知っているが、二日酔いであんなに走るとは、よほど聞かれたくなかったのだろうか。

 兄は朝出かけると夜遅くまで帰ってこない。どこで何をしているのかは知らないが、外出代は自分で稼いでいるらしいので特に不満はない。

 何も分からなかったという落胆と、何か隠しているなという確信が心の中で入り交じり思わず苦虫を噛み潰したような顔になった。

 このことはレオンに報告しなければ。今日、夕食後あたりに日記帳に書き込むことにしよう。そんな計画を立てながら、兄に言われて取り出したパンに齧り付いた。



『という感じで問い詰められませんでした。すみません……』

『いや、俺も兄さんに聞けてないわけだしそう謝らなくてもいいのだが。というか何故敬語……?』

 レオンは優しい。兄なら「我が妹なる者が何をしている! ……まあいい、ここは俺様が庇ってやろう、精進するのだぞ!」とか言われそうである。今回のターゲットはその兄であるのだが。

『その、ここで話す時間を決めた方がいいと思うんだ』

 確かに今日は何も決めていなかったので書き込んでいいのかやめた方がいいのか悩んでなかなか決断できなかった。もしかしたらレオンも似たようなことを考えていたのかもしれない。

『そうだね、その方が便利だし。いつぐらいにする?』

『今ぐらい、二十時頃はどうだろうか』

 二十時なら学校の課題があっても終わっているし遅すぎない、ちょうどいいだろう。

『よし、じゃあ二十時頃で。そういえば時間の表し方とかは同じなんだね』

 ふと思いついたことをそのまま書き込むと、一分ほど何も返ってこなくなった後、急いだような文字で返事が返ってきた。

『そういえばそうみたいだな。その方が分かりやすいから助かるが』

 レオンの住む世界は魔法があるということが私達の住む世界との大きな差異だが、共通点もあるらしい。他にはどんな違いがあるのだろうか。

『ねえ、レオン』

『なんだ?』

『報告や相談がない日はこうやって異世界交流的なことをしない? もっとレオンの住む世界のことを知りたいと思ったの』

 少し前から思っていたことを恐る恐る書き込む。断られたらどうしよう。そんな不安が心の中を何度も廻る。ああ、私の悪いところだ。そんな自分が嫌になる。

『丁度今、同じことを言おうと思っていた。貴女がいいのなら、改めてよろしく』

 その文を目にしてほっとする。断りづらいから話を合わせているだけという可能性からは目を逸らし、早く返事しなければ、と急いで書き込む。

『こちらこそ、改めてよろしく』

『と言っても、いや書いてもか? 異世界交流と銘打つと逆に何から話せばいいか分からなくなるな』

 確かに、そう言い切ると急に話題が広くなって話を進めにくい。

『じゃあ、お互い兄がいることだし兄のことから話す?』

『それはいいな、じゃあまずは俺から話してもいいか?』

『了解。兄さん以外の人とこうやって雑談するの、久しぶりかも』

『思えば俺も、身内以外とこうやって話すのは久しぶりだ』

 こうして私とレオンの異世界交流は始まった。

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