”タスケテ・クダサイ”

冷門 風之助 

ACT1

 その日、俺はご機嫌だった。

 久しぶりの地方出張。厄介な仕事ヤマだったが、何とかそいつを片付け、しかも依頼人から思いのほか感謝され、契約以上に法外なギャラを手にした。


 え?幾らかって?

 具体的な金額は止しておこう。

 まあこの先、一とひとつき、否、事によると二たふたつきは暢気にしていても困らぬほどの額とだけ言っておこうか。

”感謝”に”高額なギャランティ”

 もう十年近くはこの仕事かぎょうで飯を喰っているが、これほどの額は滅多にお目にかかれるもんじゃない。


 何度も頬をつねってみたが、夢じゃないことは明らかになった。

 いつもなら地方に出張した時は、とっとと東京に帰り、風呂にでも入って浴びるほどの酒を呑んだくれるところだが、幸いここしばらくは他に依頼もない。

 おまけに懐には稼いだばかりのぱりぱりの大枚・・・・暫くぶりに自分を甘やかしたって、罰は当たるまい。

 ここは俺が昔から馴染みの店が幾軒かある名古屋と来ている。

 最低でも一週間は腰を落ち着けて遊び歩き、呑み歩いてみよう。


 しかし、そう思ったのが間違いの元だった。

 人間、慣れないことはするもんじゃないな。

 大金が手に入ったって、日常を変えちゃならないもんだ。

 まさかそれがとんでもない事件に首を突っ込むことになろうとは、浮かれ切った俺は、思ってもみなかった。


 二軒目の店を出た。

 いい加減に酔っぱらっている。

 空を見上げると、狭苦しいビルの隙間から星が幾つも見えた。

 名古屋みたいなせせこましい街で(あ、これはあくまで俺の個人的感想だ)、こんなに良い陽気は滅多にお目にかかれるもんじゃない。


 俺が宿を取った高級ホテルは、栄の中心部にあり、歩けばたっぷり30分、いや、したたかに酔った今の俺では、1時間がところはかかるかもしれない。

 ままよ。大胆という奴だ。

 俺は久しぶりに口笛を吹きながら夜の歩道を歩き始めた。


 その時である。

 すぐ横の車道を一台の車が走り抜けていった。

 40キロ制限の標識が出ている道を、明らかに60は出ていた。

 ブルーのワゴン、それだけは分かった。

 顔を上げると、歩道側のウインドに、一人の女性が顔を押し付けて何か叫んでいた。

 幾ら夜だって、はばかりながら裸眼視力2.0である。

 動体視力だって伊達じゃない。

 車は俺を追い越して数メートル行った交差点で赤信号に捕まり急停車した。

 

 タイミング良しと観たのか、ドアが急に開き、そこから先ほどの女性が転がり出た。

 すると、運転席と助手席から、ダークスーツ姿の男が降りて来て、女性に抱き着き、車の中に戻そうとする。

 だが、女性は明らかにそれを振りほどこうともがいているいる様子だった。

『おい、何をしているんだい?』

 俺は彼らに近づいて声をかけた。

 向こうは俺の方を訝し気に見ながら、暴れる彼女を抑えにかかっている。

『いや、別に何でもありません。彼女はちょっとした病気でして、自宅に連れ帰ろうとしていたところなんですが、急に暴れ出したので・・・・』

 助手席から降りたダークスーツが説明をしたが、あまり歯切れが宜しくないようだ。

 女はもう20は遥かに過ぎているように見える。

 ごく平凡な顔立ちに、ブルーのワンピース姿、ダークスーツは病気だと言ったが、俺の目には少しも病的には見えないし、服装も乱れてはいない。

 ”御面倒をおかけしました。”

 二人はそう言って女性を車の中に押し込めようとしたが、もう一度彼女はそれを振りほどき、俺の胸に縋りつき、何か言葉にならない声を発した。

『すみませんね。さあ、これ以上ご迷惑を掛けちゃいけない。行きましょう』

 二人の男はたしなめるようにして、女を俺から引き剥がし、無理矢理(俺にはそう感じた)

 車に押し込め、青になった信号をそのままスピードを上げて消えていった。


 俺は職業柄、一応車のナンバーの末尾四ケタを記憶し、また歩き出そうとした。

 だが、その時、俺は胸の内ポケットに何やら触るものを感じた。

 手を突っ込み、引っ張り出してみる。

 手帳の切れ端のような紙片だった。

 そこには少しばかり乱れてはいたが、しっかりした筆圧で、こう書かれてあった。

”タスケテ・クダサイ。ヨウコ”

 

 



 

 

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