第37話 気遣う婚約者


「え!? ダメだった!?」


 とりあえずニックを我が家に招待して冷静になるように諭した。


「ええ……何もみんな騎士になろうとしているわけではないから、そんな腕立て二千回なんてさせちゃダメよ。疲れて他の授業に身が入らなくなるでしょう?」

「えー、そうかなあ? 二千回ぐらい簡単じゃない?」

「即退学希望者が続出すると思うわよ」

「え……そんなに……? 本当に?」


 私の言葉が本当かどうか確かめるために、ニックがルイスとエリックのほうを見ると、二人とも深く頷いた。


「俺ならお前の授業は毎回仮病を使う」

「僕も」

「うそ、本当にそうなんだ……」


 ニックが少しショックを受けていた。

 私はそんな彼の肩をポンと叩く。


「大丈夫よ。平均的な運動メニューとかも教えてあげるから」

「フィオナ嬢」


 ニックが感動したようにこちらを見る。


「だから筋肉ダルマの自分が正しいなんて思っちゃダメよ。絶対」

「あ、はい」


 にこりとしながら目を笑わせずに言ったら、ニックは静かに頷いた。


「あと、国王陛下に私のこと言ったのね」

「えっへへ! 偉いだろ!」


 ニックが胸を張る。


「フィオナ嬢がどんなにすごく俺の筋肉を作り出してくれたのか、それはもう細かく説明したんだ! フィオナ嬢の世間での評価もこれで上がるだろ?」


 バチン! とニックがウィンクしたが、こんなに憎らしいウィンクは生まれて初めてだ。


「誰がそんなこと頼んだのよ誰が」

「え? ……ダメだった?」


 私の様子に気付いたニックが少し身体を縮こまらせた。しかし筋肉ダルマだからこれでも存在感がありすぎる。もっと申し訳なさそうにしなさいよね、この筋肉!


「お前のせいで身体の弱いフィオナが重労働することになったじゃないか。人の迷惑を考えられないのか」


 ルイスの言葉がニックに突き刺さったようで、ニックは「ううう……」と呻いた。


「すみません。何も考えてませんでした……」

「人の話は勝手にしない。それを今後は頭に入れて」

「はい……」


 しょんぼりするニックに、ちょっと言い過ぎたかと思い、私はアンネを手の動きで呼んだ。

 アンネが箱を持ってやってくる。


「それは……?」


 アンネがパカリと箱を開けた。

 箱の中身を見た瞬間、ニックは瞳を輝かせた。


「こ、これは……!」

「フィオナ様お手製、握力増強器具です」


 そこには前世でよく見た、ハンドグリップがあった。


「これで握力を!?」


 しかし、この世界には存在しない。

 前世の知識で作ったのだ。

 難しいものは無理だが、ハンドグリップは仕組みがシンプルだったから作れたのだ。

 私はハンドグリップを手に取った。


「こうして握るの。……私は握力なさすぎて動かないけどあなたなら――」

「うわーーー!! なんか指の筋肉使っていることがわかるぞーーー!!」


 全部を言い切る前にニックに奪われた。

 彼用にちょっと固く作ってあるハンドグリップは、彼の手にぴったりだったようだ。


「うおーーーー!! これは素晴らしい!!」

「帰って家でやってね」


 暑苦しいから、という言葉は飲み込んだ。


「わかった! ありがとうフィオナ嬢!」


 ニックはさっきの落ち込みはなんだったのかと言いたくなるほど爽やかに去っていった。たぶんだけど、さっき叱られたことはもう忘れてる。


「フィオナ、大丈夫か?」


 ルイスが私を気にかけてくれた。


「今日は長い時間出かけていたし、心労も溜まっただろう? 最後は筋肉ダルマに説教したし」


 確かに疲れた。でも最近歩く時間も増えたからか、初めの頃よりは辛くない。

 早くこの病弱な身体が並の人間のようにならないかなぁ。


「ありがとう、ルイス。今日は早めに休むわね」


 にこりと笑うと、ルイスが顔を少し赤らめた。


「ああ。ちゃんと休んで、無理はしないようにするんだ」

「うん」


 初めの頃は私に対して失礼な態度だったのに、今はこうして気遣ってくれるようになった。それがちょっと嬉しい。


「あ、そうだ。ちょっと調べ物を……」


 教材作りをしなければいけないから、色々調べなければ。

 そう思って移動しようとした私を、手を引いてルイスが引き止めた。


「ルイス?」


 ルイスは眉間に皺を寄せて私を見ている。何か怒らせるようなことしたかな?

 そう思ったとき、私の身体がふわりと浮いた。

 私はルイスに抱き上げられていた。


「ル、ルイス!?」


 驚きと、抱き上げられた恥ずかしさで顔を真っ赤にする。


「お、下ろして」


 私の言葉を無視してルイスはスタスタと歩く。そしてベッドまで行くと、私を優しく下ろした。

 ルイスはそのままコツン、と私の額に自分の額を当てた。


「ほら、熱が出てるぞ」

「え……気付かなかった」


 確かに今日はちょっと頑張りすぎた。疲れによって気付かぬうちに熱が出たのだろう。


「でも微熱はいつものことだし」

「ダメだ。今日はもう休むこと」

「でも仕事……」

「仕事は無理してするものじゃない」


 ルイスに言われてハッとする。そうだ、仕事は身体を酷使してまでやるものじゃない。

 前世の社畜根性が染み付いてしまっていたみたいだ。


「そうね。休むことにする」

「ああ。俺も今日はもう帰るから、ゆっくり寝るんだぞ」


 ルイスに髪をくしゃりと撫でられる。温かな体温が感じられて少しうっとりしてしまった。

 ルイスはすっと手を離すと、そのまま部屋を出ていこうとした。


「あ、ルイス」


 ルイスが部屋を出ていく直前に声をかけた。ルイスが振り返る。


「どうした?」

「その……」


 ちょっと恥ずかしくなって布団で口の下を隠しながら私は言った。


「ありがとう」


 ルイスはにこりと微笑んだ。


「どういたしまして」


 そして部屋を出ていった。


「……」


 ルイスのいなくなった部屋で私は赤くなった顔を覆ってジタバタした。

 しかし、すぐに疲れて止めて、その疲れから眠気がやってきてウトウトする。

 やることはいっぱいあるけど、無理しないようにしてやろう。


「ルイス、優しかったな……」


 先ほどのことを思い出しながら、私は眠りについた。





「で、僕たちはいつ動いていいわけ?」

「しっ! お嬢様が爆睡するまでです」

 空気に擬態したエリックとアンネがそんな話をしているとは知らずに。


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