第17話 祖母の病
「おばあ様の病気は――」
私は確信を持って呟いた。
「
知らない単語なのか、ルイスは言葉を繰り返した。
「かっけ?」
「ええ」
ルイスが知らないのも無理はない。これはパン食がメインであるこの国ではあまりない症例だろう。
日本でも昔は原因不明の不治の病だと思われていた病で、文化が日本より遅れているこの世界ではまだ解明されていない病気の可能性もある。
もしかしたら私が介入してしまうことで、何かこの世界の流れを壊してしまうかもしれない。だけど、知っているのに知らないフリはできない。
「前に栄養について軽く話したわよね? 人間の体はすべての栄養を上手く取り入れることで活動しているの。どれかが偏れば病気になるし、食べないと栄養失調で不調になるわ」
お菓子ばかりの偏った食事だと糖尿病になりやすいし、塩分の多い食事は高血圧になりやすい。栄養はどれかだけとればいいのではなく、満遍なくとることが必要なのだ。
「でも祖母は毎食きちんと欠かさず自分で食べていたぞ?」
「でもあるときを境に、白米がメインになってしまったわよね?」
「あ、ああ……」
「食べ物が食べにくいということは、歯が悪くなったか、顎の筋肉が落ちたか……原因は置いておいて、そうなると、おかずは食べずに、柔らかいお米ばかりになってしまったのでは?」
「確かにその通りだ」
やっぱり……
「お米……白米だけでは人の身体は維持できないの。特におばあ様は、ある栄養が不足してしまった」
人間には取らなければいけない栄養がある。取りすぎても取らなすぎてもいけない。
そして脚気という病気はある栄養が不足して発症する。
「おばあ様にはビタミンB1が不足している」
「びたみんびーわん……?」
私は頷いた。
「これが不足すると脚気になる。脚気になると怒りやすくなったり、倦怠感、食欲の低下が見られるようになる。そのうち神経に異常が生じて、手足に痺れや痛みが出る……そしてさらに進行すると手足の浮腫や胸水が溜まったり、心臓機能も低下して――最悪心不全で死ぬ」
「死ぬ!?」
ルイスが私に詰め寄った。
「祖母は死ぬのか!?」
「まだそこまで進行してなさそうだから落ち着いて!」
ルイスがホッとしたように息を吐いた。
「でも、そんな恐ろしい病……どうしたら……」
死なないとは言われたが、不安が襲ってきたようだ。
「安心して。治るわよ」
「ほ、本当か!?」
「ええ」
私はにこりと笑った。
「食べ物を変えるだけよ」
「え……?」
私はルイスにもわかりやすいように説明する。
「言ったでしょ? この病気はビタミンB1が不足しているからなるって。おばあ様が脚気になったのは、白米が原因よ」
「なんだって?」
私は間違いがないように訂正する。
「白米自体は問題ないの。いろんな食材に合わせやすいし栄養もあるし、とてもいい食材よ。でもこれを単体で食べ続けることには問題があるの」
そう、かつて白米を食べ続けた日本では、その習慣が原因で国民病として恐れられた。
「白米はビタミンB1がとても少ない食材なの」
昔の日本人は玄米を食べていたから問題なかった。しかし、精米技術が発達して国民全員が白米を食べるように文化が変わると、脚気が原因不明の病として問題になったのだ。
またパンは白米よりビタミンB1が含まれているので、パンやパスタが主食だった欧米諸国ではまったくないわけではなかったが、日本ほど問題にならなかった。まさに白米主義だった日本だからこそ国民病となったのだ。
現代日本の治療法なら、ビタミン剤を注射すると聞いたことがあるが、この国にそういったものはないだろう。病気がわからなくて匙を投げたぐらいだ。だから食べ物でなんとかしないと。
「白米を1度やめて、発芽米や玄米……は手に入らないわよね……」
「探せばあるかもしれないが、時間がかかると思う。白米も簡単に手に入れられた訳ではないからな……」
簡単に手に入らないものを、祖母のために用意したのだ。そこに、ルイスの祖母への思いが感じられた。
「ならパン粥にしましょう。固いものは食べられなそうだから、その粥の中にペーストにしたほうれん草や大豆などのナッツ類を入れて。豚肉や、赤みのお肉もいいわよ」
「わかった」
「回復するまで少しかかるかもしれないけど……まだ会話もできていたし、そこまで危ない状況ではないと思うから、必ず治るはずよ」
治る、という言葉に、ルイスが安心したように肩の力を抜いた。
「そうか……そうか、治ってくれるのか……そうか……」
心の底からの安堵の言葉。
ルイスにとって、祖母の存在は大きいのだ。
幼い頃に母を亡くし、父は家に寄り付かない。頼れるのは祖母だけ。
自分に愛情をかけてくれた最愛のたった一人の祖母が弱っていくのを見るのは、辛かったに違いない。
「よかったわね、ルイス」
「ああ……」
医者も匙を投げた不治の病。いつ祖母の様態が悪化するかときっと気が気でなかったはずだ。
これでルイスの憂いも消えただろう。
そう思ったが、私はルイスの手が微かに震えていることに気付いた。
「ルイス?」
「俺が……」
ルイスの声が震えている。
「俺が白米など用意したから……」
ルイスは自分を責めていた。
そうだ。白米が原因だとわかったけれど、それを手配したのはルイスなんだ。
最愛の祖母の病気の原因が自分の行動だとわかって傷つかないはずはない。
「違うわ、ルイス」
私は自分を責めるルイスの肩に手を置いた。
「白米は何も悪いものじゃない。心配して少しでも食べられるようにと白米を用意したあなたのおばあ様への気持ちも悪くない」
「だが」
「でも」
私はルイスの言葉に被せて言った。
「もしおばあ様を長生きさせたいなら、もっと栄養を考えていかないとね。だって栄養を知らなかったからこそ起こったことだもの。大丈夫、私が教えてあげるわ」
ルイスが俯けていた顔を上げた。
「長生きさせて、曾孫まで見せてあげましょうよ」
落ち込んだ表情だったルイスが、徐々に頬を緩めて。
「――そうだな」
幼い頃、初めて会ったときのように微笑んだ。
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