第037話 鍵

「どうするのだ…八雲殿…」


 隣で大体の事情を聞いていた幸ちゃんが、少し眉を顰めて僕の決断を問いかけるように尋ねてくる。


 祖父の使っていた遺品の書斎机を傷つけるような事はしたくはない。しかし、恐らく中にあるだろう家と土地の権利書を手に入れないと、祖父の残した物を正式に引き継ぐ事も出来ない。


 そんな状況で僕は決断を下さなければならないのだ。


「八雲殿…」


 幸ちゃんは再び気遣うように声を掛けてくる。


「…やるよ…」


 僕は呟くように答える。


「僕は自分の手で…引き出しをこじ開けるよ…」


「そうか…八雲殿」


 幸ちゃんは僕の決断を尊重するような表情で答える。


「書類を見付ける事は必ずしなければならないし、相続の手続きもそうだ… それに…引き出しを壊したとしても、また直せばよいだろ?」


「そうだな、また直せばよいな…八雲殿」


 幸ちゃんは微笑を浮かべて答える。


「じゃあ、決意が揺らがないうちに早速こじ開けるか…」


 僕は少し大股歩きで部屋を出て一階へと向かう。


「どうしたの? 八雲… そんな怖い顔をして…」


 一階にいたステラが眉を顰めて僕を見る。


「ちょっと覚悟を決めなければいけない事があってね…」


 そう一言だけ返すと、僕は家の外にある草刈り機があった物置きへと向かう。


「確かあそこに草刈り機以外に工具があったはず…」


 僕は外の物置きの中をごそごそと物色し始める。すると、釣り竿や釣り道具、竹ぼうきなどの掃除道具の他に、工具箱を見付ける。


 その工具箱を開けて中を確かめると、釘抜つきのカナヅチとノコギリ、恐らく灌木を切り倒す為の手斧が見つかる。


「カナヅチにノコギリ…そして手斧か…一応、全部持っていくか…」


 僕は両手にそれらの工具を握り締めると家の中に戻る。するとステラが両手に工具を握り締める僕の姿を見て、不安に満ちた顔で僕に話掛けてくる。


「八雲…そんな物騒な物を持ってきて…何をするつもりなの?」


「ちょっとね… 壊してこじ開けて中を確かめないといけない所があるんだよ…」


 そう伝えると、ステラは表情だけでなく、脅えた小動物の様にピクリと身体を震わせる。


「ちょっと、壊してでもこじ開けるって…何をどうするの!?」


 覚悟を決めて、階段を上る僕をステラがパタパタを足音を鳴らしてついてくる。


「…祖父の書斎机をね… 壊しても開けて中を確かめなくちゃならないんだ…」


 僕はステラに振り返りもせず、ただひたすらに祖父の部屋に向いて答える。


「ダメェェェェッ!!!!」


 ステラは突然、大声を上げたかと思うと、僕を追い抜いて駆け出し、先回りして祖父の部屋へと飛び込む!


「どうしたのだ!? ステラ!!」


 部屋の中から残っていた幸ちゃんの声が響く。僕もステラの後を追って祖父の部屋へと駆け込む。すると中ではステラが身体を大の字に広げて書斎机の前に立ちはだかっていた。


「突然、どうしたんだよっ! ステラ!」


「ダメッ! ジョージの机を壊しちゃダメっ!!」


 ステラが今までにない眉を顰めた表情で声を上げる。


「ステラ… 壊しても後でちゃんと直すから…」


「それでもダメダメッ!」


 ステラは激しく首を横に振る。


「八雲…どうしてジョージの机を壊そうとするの… 今まで、この家も…家の中にある物も…私以上に大切に扱ってくれていたじゃない…」


 悲壮な表情でステラは僕に訴えかけてくる。


「それは…この家と土地…祖父の残した物を正式に引き継ぐために必要な書類が、その机の中にあるからだよ… でも、鍵が掛かっていて…引き出しが開けられないんだよ…」


 僕はステラを諭す様に穏やかな口調で説明する。


「鍵が…掛かってる?」


 ステラは僕の言葉に反応して、書斎机に振り返り、引き出しに鍵穴がある事を確認する。そして、不安と覚悟の入り混じった表情を僕に向ける。


「八雲…」


「なんだい…ステラ…」


 確認するようなステラの呼びかけに、僕は応じるように答える。


「八雲は…ジョージみたいに… 外に出たまま帰ってこないみたいな事はしない…?」


「一体、何の事なんだ? そんな事より…」


「ちゃんと答えてっ!!!」


 ステラの問いかけの意味が分からず、僕は困惑して答え、本題に話を戻そうとするが、ステラに遮られ、僕の瞳を直視してくる。


「…分かったよ…ステラ、ちゃんと答える…」


 ステラの真剣な眼差しに、僕も真剣に答えようと覚悟する。


「僕はね…祖父の残してくれたこの家と土地を引き継いで、この場所に暮らそうと考えている… それはステラの為でもあるが… 僕が今まで祖父と関わって来れずに、祖父に寂しい思いをさせた罪滅ぼしをしようと考えたからなんだよ…」


「…私の為?…ジョージの為?」


 ステラは僕の表情を覗くように見る。


「そう… だから、僕はこの家や土地を手放そうとは思わないし、これからずっとここで暮らすつもりなんだ… その為には正式のこの家と土地を引き継がねばならない… その為の書類がその机の引き出しの中に入っているんだよ… 分かってくれるかい? ステラ…」


 僕の言葉にステラは一度視線を落として考え込んだ後、すっと目線を上げて、僕の伺うように上目遣いで見てくる。


「八雲…信じていいの?」


 なんだか告白した時のような仕草なので僕は少しドキッとするが、心はもう決めているので笑顔で答える。


「あぁ、信じてくれていいよ…ステラ…」


 僕がそう答えるとステラは何かを飲み込むように顔を上げて目を閉じた後、自分の首元をごそごそとまさぐった後、首からかけていた物をそっと僕に差し出す。


「八雲…これ…」


「これって!?」


 ステラが差し出してきたのは、首からぶら下げる紐がついた真鍮製の鍵であった。


「これ、ジョージが家を出る前に、私に託してくれたの… もし、自分が帰らない時は、信頼できる人が来るまで私に預かって欲しいって…」


「祖父が…これを…ステラに?」


 僕はステラが差し出した鍵に手を伸ばす。


「うん…私も渡された時は何の鍵か分からなかったけど…ここの鍵だったんだね… でも、八雲なら信頼できると思ったから…」


 そう言ってステラは鍵を僕の掌に置いて、自分の手を離す。


 僕はステラから受け取った鍵を目線に上げて確認する。年期を経てやや角が丸まった真鍮製の鍵であるが、まるで黄金の様にキラキラと輝いて見える。


「八雲… その鍵でジョージの残した物を引き継いで…」


 そう言って、ステラは書斎机の前から退き、僕の目の前には祖父の書斎机だけが目に見えた。





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