第七話 残骸(その四)

 巡回を始める時間が早かったので、ぐるぐると何度も町中を周回した。

 時折彼女は何か言いたげに振り返るのだが、あたしが何も声を掛けないので何も言わずそのまま前へと向き直り、そのままとぼとぼと暗い夜道を歩き続けるのである。

 その間にあたしは交差点の数を数え、見える風景を暗記し、歩幅で距離を計りながら町全体の把握に努めた。今夜は雲が多くて星が見えず、目視での方位確認は出来ないが問題はない。目を瞑っていても南北方位は容易く掴め取れる。もっとも昨今はGPSとマップアプリのお陰で、あたしの特技もオマケ程度にしかならないが。

 全く以て、スマホ様々だね。

 今の子たちは生まれた時からネットだのスマホだのがある。あって当たり前の日常ツールなのだから使えない方がマイノリティだ。あたしがこの子らの頃はGPSやアプリどころか携帯すら無かったというのに。連中の適応速度にはホント舌を巻く。

 アレは今や衣服を着てシャツのボタンをはめ、靴を履いて鍵を掛けて外出し公共交通機関を利用する。学生に紛れ社会のルールすら模倣してヒトの社会に溶け込んでいる。上手く擬態できないモノは片端から狩られ、そして上手く潜んで隠れることが出来たモノはまたヒトを狩り、子孫を残すことが出来る。

 模倣に秀でたモノでないと生き残れないという訳だ。アレに文明の利器を活用出来ないと考える方が余程に危険だろう。そしてあたしら駆除する者たちは、ソレを見破って狩らなければならない。そして更に物まねと潜伏に秀でたモノが生き残り、巧妙になった擬態を、以前以上に知恵を絞って狩り出さねばならないという訳だ。ただただ、エスカレートするばかりの堂々巡りなのである。

 殺虫剤と害虫の関係にも似ていた。

 害虫を駆除する為に殺虫剤を使い、大半を殺したとしても全滅させることは出来ない。必ず耐性のあるものが居るからだ。そして次は耐性のある害虫が繁殖するから、更に強力な殺虫剤を作り出す。それを使用してもやはり全滅させることは叶わず、更に強力な耐性を会得した害虫が繁殖する、という訳だ。コレでは際限が無い。

 なのでエスカレートを避けるために、年ごとに強い殺虫剤と弱い殺虫剤とを交互に使用して、耐性の弱いモノを残す。そうすれば、耐性の強すぎる害虫の繁殖を抑えることが出来る。敢えて弱いモノを見逃すコトで、総数をコントロールすることが出来るからだ。毒への耐性が強いからといって、同種同士での繁殖競争に秀でているとは限らないからだ。

 勿論、被害をゼロにすることは出来ないから、許容損害というものを設定することになるのだけれども。

 数でも力でも生命力でもあたしらヒトは連中に敵わない。辛うじて勝っているのは繁殖力と社会性だけだ。

 人間は知恵があるからこそ地球上での頂点捕食者、などと自称しているが、「事実」を知っている者からすれば苦笑を禁じ得ない。自分達の作り出した社会は強力だ、ヒトの社会を覆す事が出来るのはヒトだけだと、己を鼓舞発憤しなければ維持できない脆弱な生き物なのである。

 社会性を失ったヒトなど烏合の衆、生き餌の寄せ集めでしかない。多少の犠牲や出血を黙認してでも群れは維持する必要があった。

 そして思うのだ。上の方じゃあたしらを殺虫剤に見立て、色々と怪しい調整をやっているのではなかろうか、と。

 穿ったものの見方かも知れないが、てんで的外れという訳でもなかろう。予算と人員の不足を言い訳にして、地方都市の駆除担当者は地方行政の管轄であると、完全に丸投げされているからだ。

 あたしには充分な情報と物資や医療の支援、そして司法による援護と優先的な警察の協力が約束されている。一方でこの子には地区長とささやかな自治組織が在るだけ。担当区長には特別権限が与えられているとはいえ、正規の駆除担当者との差はあからさまに過ぎる。不信に染まるのも無理はあるまい。

 ましてや、自分の家族が「目をつぶれる範囲の損失」などと類別されたら尚更だ。

「あなたのご両親は残念だったわね」

「その質問は仕事に必要なコト?」

 振り返りもせずに彼女は答え、そして続けた。

「わたしのプロフィールには目を通しているんでしょう」

「お兄さんの他にご両親と弟さんが居たのよね」

「過去形にしないで。父と母は兎も角、弟は行方不明なダケよ」

「そうね。見つかった衣服の切れ端は血まみれだったけれどもね」

「いちいち勘に触るひとだわ。わたしを怒らせてそんなに楽しいの?」

「まさか。ちょっと確かめたいことがあっただけ」

「いったい何を。興味本位でひとの家庭を詮索しないで欲しいわ」

 どうやら、あたしがからかっているとでも思ったらしい。

「そもそもあんたは」

 感情に任せ、食って掛かろうとするのだがそこまでだった。彼女は不意に表情を強ばらせると、そのまま黙り込んでしまった。視線を落として口を固く結んでいる。果たして、何を言おうとして止めたのやら。

「あっ」

 風の向きが変わって、あたしは流れて来た臭いに気が付いた。「居る」と言うと犬塚伊佐美も、はっとした表情で顔を上げた。

「どっち」

「あなた本当に判らないの?巡回よりも、相棒を先に捜した方が良さそうね。でないとなかなかに致命的だわ」

 あたしを先頭にして、彼女も一緒に駆け出していた。

 だが、あたしらが居ると思しき場所に辿り着く前にヤツはその場から姿を消して、足取りもかき消え、結局その日は空振りのまま終わることになった。


 部屋に戻って獲物をクローゼットの中に片付け、スカートの中からパッケージ型の使い捨て注射器を取り出すと、テーブルの上に放り出した。

 昨日届いた特別支給品だ。コンビニ弁当に付属しているビニールのソース入れみたいな形だが、先端のキャップをもぎ取ると画鋲みたいな針があって、首筋や手首に直接刺すタイプのヤツだ。

 二次大戦の頃、アメリカ軍が戦場の兵士に支給したモルヒネパッケージと似たような形をしていた。最近はモルヒネよりも効果が高くて習慣性の無い、経口式のフェンタニル辺りが使われているらしいけど。

 医療用というよりも非常時の痛み止め、パニック防止の気休めである。もっともこの注射器に入っている薬品は痛み止めなんかじゃない。上司曰く「万が一の為の保険」らしい。

 お前のような手練れが、現場デビュー前のひよっこに遅れをとるとは思えないが念の為。暴走する子供を止める手段はあった方が良かろう、云々。似合わぬおべんちゃらを使ってやたらとあたしを持ち上げていた。思い出す度にうなじの産毛が逆立って寒気がする。

 このあたしにドーピングを勧めるとは。

 確かに全力状態の強化対応者は一度見たことがある。レベル3であったがコレだけ動ければレベル4は不要だろうと、そう思える動きに刮目したものだ。確かに駒であるあたしに壊れてもらうのは不都合があるのだろう。その建前は判る。だがパッケージの表面に僅かに付着している薬品の臭いから、中身が何かは察しが付いた。

 全く以てあの上司は。ブレないというか何というか。

「相変わらずの腐れっぷりだね」

 腹立たしくて、ふんと鼻息を吐き出すと着ているものを全部脱いでバスルームに向った。大して汗もかかなかったが、流石にシャワーも浴びずにビールを飲む気分じゃなかったからだ。


「あ、お兄ちゃん、わたしよ。意識が戻ったんだね、良かった。突然電話してゴメン。金川さんから連絡があって居ても立っても居られなかったから・・・・思ったよりも元気そうな声で安心した。そう、うん、わたしは大丈夫。上手くやれてる。エラそうな目付きの悪い教導役に引っ張り回されて辟易しているけれど、何とかやっているよ。え、いや、そんなつもりは無いよ。キチンと真面目にやっているって。ヤな相手だからって自分の役目を疎かにするコトはない。ソコまで子供じゃないよ。

 あ、え、そ、そうなんだ。そんな遠くの大学病院に。此処からじゃ何本も電車を乗り継いで行かないと・・・・そうか、じゃあもうちょくちょく会えないね。あ、わたしのことは気にしないで。お兄ちゃんの身体の方が大事。うん、うん。

 あ、修も元気よ。大丈夫、全部面倒みてるから。身体がよくなったら兄妹三人で食事にでも行こうね。・・・・ふふ、わたしは焼き肉がいいかな。修はラーメンとか言いそう。

 わたしたちのコトは心配しなくていいからね。お兄ちゃんは身体を治すコトだけを考えて。目が覚めたばっかりで無理させる訳にもいかないし、もう切るね。

 じゃあ、またね」

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