雨の間(かむがたり)

大和成生

第1話 麗しき美人《おとめ》

神阿多都比売かむあたつひめとともに迩々芸能命ににぎのみことのもとへ行け」

 岩長比売いわながひめは父神、大山津見おおやまつみの言葉を思い返していた。もとより父の決めたことであるなら従わぬという選択肢はない。されど……と岩長比売は隣で微笑む妹を見つめた。

 

 満開の桜花のように美しく輝いている妹、神阿多津比売、またの名を木花之咲久夜このはなのさくや

 妹は笠沙の御前で天下った天孫、天つ神の御子、迩々芸能命に見初められた。御子はすぐさま咲久夜の父神である大山津見に咲久夜との目合いを乞うた。御子より咲久夜を娶りたいと乞われた大山津見神は、大いに喜び、数えきれぬほどの宝物と咲久夜の姉である岩長比売を添えて、木花之咲久夜比売を天孫の元へと奉り出したのだった。


「御子はまだ来られぬのでしょうか」

 花がこぼれるようなため息を付いて咲久夜が呟く。

「そんなに待ち遠しいの?」

 岩長の言葉に咲久夜の頬が桜色に染まる。美しい。花の様な妹の姿に岩長は見惚れる。

「姉上は待ち遠しくはないのですか?」

 どうだろう……岩長は思う。

 笠沙の御前で天つ神の御子に出逢い親しく話をした妹とは違い、岩長は御子の顔を見たこともなければ話したこともない。けれど妹がこれほど慕わしく思っている様子からして、さぞかしお美しい御子なのだろうと察しはついた。


「待ち遠しいというよりも、気懸かりでなりません」

 乞われたのは妹だけなのに、父の命とは云え、こうして添え物のように付いてきた岩長を迩々芸能命はどう思うのだろう。そしてこうして己れをも御子の元へと遣わせた、父神の真意こそが岩長をより思い煩わせていた。

「私は姉上がこうしてともに居て下さるので心強うございます」

 微笑む咲久夜の顔に嘘偽りはない。心までが花のように純真なこの妹が岩長は愛おしかった。

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