ゼンマイ
@Ichor
***
どうにも埒が明かないので、僕はロボットになることに決めた。
「ねえ、どういうこと?」
彼女の疑問はもっともだ。僕たちは付き合ってまだ二年だけど、まあまあうまくいってる。この話は確か3度目だと思う。でも、彼女は初めて聞いたわって顔をした。僕の彼女
は、ちょっと忘れっぽいのが玉にキズだ。
「別れたいの?」
「そういうことじゃないんだ」
―ちょっと、自分自身でイライラしてることがあって―
「ロボットになんかなったら、おいしいモノも食べられないじゃない」
「うん」
「それに、ロボットじゃ……えっち、できない、でしょ?」
「どう、かな」
「えっ、できるの⁈」
―ちょっとテンネンな彼女は本当に可愛い。めいっぱい人間を謳歌してる。……でも、楽しいだけじゃダメなんだ―
「そんなことより、お寿司食べたい!」
「ゴメン、もう行くよ」
僕は黒い革ジャンをひっつかむと、フルスピードで彼女の部屋を出た。
―これでいい。僕は明日から別世界の住人になる。ずっと夢に見ていた、完全に利他的なユートピアへ―
ゆうべは、期待感と興奮でよく眠れなかった。そのせいで何だかふわふわしてたけど、目の前にそびえ立つガラス細工のような超高層ビルを見上げた途端、そんな眠気はすっかり吹き飛んでしまった。
「本当にあるんだな、こんなの……」
快晴の空を貫いて、ビルの上から一本の白いスジが伸びている。どこまで続いているのか、先端は霞んで見えない。昨年完成した、あれが“宇宙エレベータ”だろう。
入り口のガラスの自動ドアを二つ抜けると、円形のフロアが広がっている。
―無駄に広い―
「えっ……と」
誰もいないし、何も無い。
―もしかして間違えたかな?―
そう思ったとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。見ると、一件のメッセージが入っている。
『赤いラインに沿ってお進みください』
―ライン?―
黒い御影石だと思っていた床に、ぼぅっと赤いラインが浮かび上がった。とにかく、そのラインに沿って歩いて行くと、またメッセージが届いた。
『当社のアプリを起動して、スマートフォンをリーダーの上に置いてください』
ラインの延長上、数メートル先の床が丸く円柱状にせり上がって来るのが見える。円柱
は自分の腰くらいの高さで止まった。ひと抱えほどの太さの円柱だ。上面の中央に、ちょうどスマートフォンが収まる大きさの長方形が白いラインで表示されている。
―これか?―
僕は指示通りにスマートフォンを置いた。
すぐに、クラシックのような何かやさしいメロディが、だだっ広いフロアの空間にフェードインした。
『認証されました。どうぞ、よい旅を』
数秒して、頭上から重さを感じるようなものすごい光が降ってきた。『降って来た』という表現しかできない。光の雨にずぶ濡れになって身体自体が光りだし、さらに明るさが増して行く。
―すごい‼―
僕はすっかり興奮して、キョロキョロと周りを見回した。
全面ガラス貼りの、そのガラスの外の風景の中に……彼女が、いた。ちょっと頬を膨らませ、こちらを、僕を見ていた。
「ポッドを開きます。気をつけて、一歩ずつ確実に足を踏み出してください」
どのぐらい時間が経ったんだろう。あの眩いほどの光は無く、全くの暗闇の中で、僕はその抑揚の無い声を聞いた。
―ポッドって言った?―
軽いモーター音がして、視界が左右に広がっていく。と、……そこに、博物館で見たブリキのロボットみたいな物が、こっちを向いて立っていた。大きさは僕と同じぐらいの大きなロボットだ。
「あの……」
前に出ようとしたとき、カチャッと音がして、僕の身体をポッドに固定していたらしい留め具が外れた。途端、重心が前に移動して、僕は棒のように前方にぶっ倒れた。痛くは、なかった。でも、身体がうまく動かせない。
すぐに、あのダサいロボットが近寄って来て僕を起こしてくれた。
「慌てないで。一歩ずつ確実に足を踏み出してください」
「どうもありがとう。さっきの声、キミだったんですね」
「はい。私はI0008GW05……コードネームは長いのでノウジーと呼んでください。インフォメーション担当です」
僕はひとしきり辺りを見回した。窓一つ無い白い壁の狭い部屋。どこかの病院の一室かと思えた。首や身体を動かすと、何となく関節がカクカクした。
「えっと……ノウジー、さん? ここは、どこですか? 僕は宇宙エレベータに乗ったんだろうか」
「ここはムーンベースC-03です」
ノウジーさんの“口”だと思われる四角い溝の奥で、青い光が点滅した。
―しゃべると光るんだ。って⁉―
「ムーンって、月⁉」
「はい、月です」
―いつの間にか月に着いてたんだ―
「エレベータは?」
「乗られたと思います」
「でも全然覚えてない」
「超スピードですので。詳しい理論は解りませんが、移動中は意識が無いらしいです」
点滅する口の光がやや緑がかった。
「曖昧なお答えですみません。ですが、あなたの意識と記憶は、すべて問題なくAIコアに転送されましたので、ご安心ください」
「どこ?」
「AIコアです」
「それって……」
「はい、あなたは既に私たちと同じ身長50センチきっかりの小型高性能ロボットです」
―ちっちゃ!―
「あなたの認識コードは胸の部分にプリントされています」
「あの、ちょっと待って」
―ノウジーさんたちと同じってことは、このブリキの玩具みたいなロボットってこと?―
「そのために来られたのでは?」
「募集サイトのトップには、その、何て言うか、もっとカッコいいスーパーロボットのイラストが……」
―詐欺られたのか?―
「おっしゃる通り、私たちはスーパーロボットです。それではご説明致します」
そう言うと、ノウジーさんはガシャガシャと足踏みをするように後ろ向きになった。ノウジーさんの背中には、
「ゼンマイの巻き鍵が見えますか?」
「ゼンマイ?……ああ、これかな?」
背中の真ん中に、蝶のような形の金属のパーツが突き出している。
「恐れ入りますが、それを時計回りに巻いていただけませんか?」
キリキリと巻き鍵を巻くと、三周ほどで固くなった。
「これでいいですか?」
「ありがとうございます。これが、私たちの大事なエネルギー源です」
ノウジーさんは、そう言いながら、またガシャガシャとこちらに向き直った。
「ちょっと待ってください。最新式の燃料電池とかじゃないんですか? まさか、いちいち自分で巻かなきゃいけないんですか?」
「いえ、自分で巻くことはできません」
「えっ?」
「腕が背中に回らないように設計されています」
たぶんこの身体に血は流れていないけど、一瞬、血の気が失せた気がした。
「ゼンマイが切れる前に、誰かに巻いてもらってください。あなたも積極的に他の皆さんのゼンマイを巻いてあげてください」
―他者が“生き続ける”ためにゼンマイを巻いてあげる。つまり、それが完全に利他的な世界。そういうこと?―
「あの、もしゼンマイを巻かないとどうなるんですか?」
「その方は、動くことも話すこともできなくなります」
―ごもっとも―
「で、毎日ゼンマイを巻いたり巻かれたり、それだけですか? 他にすること…いや、出来ることは?」
「ムーンベース内であれば趣味でも娯楽でも何でもできます。地球へ戻ることだって可能です」
ノウジーさんの口の光がオレンジがかって見える。自信のないことを言ったり、嘘をついていると赤みを帯びて来るのかも知れないと思った。
でも、割と自由はあるようだ。
「ですが、私たちはロボットですので、生きるための飲食も睡眠も、空気すら必要はありません。定期的にメンテナンスを受けていれば、健康のために運動をする必要もありませんよ。このボディは半永久的に……」
僕は両手を前に突き出して、ノウジーさんの言葉を遮って、「よく、わかりました」と言った。僕の口は何色に光ってるだろうと思った。
「それはよかったです。それではこれから一番大切なご説明を……」
こうして、僕の月での新生活が始まった。
僕の担当は、簡単に言えば“砂運び”だ。掘削現場で掘り出された月の砂を、専用のケースに入れて運搬船のドックまで運ぶ。ノウジーさんが一番大切だと言った“仕事”だけど、何時間働いてもお金はもらえない。
そもそも、お金は必要ない。メンテナンスもレクリエーションも、すべてタダだ。ゼンマイ仕掛けだから燃料費もかからない。
―じゃあ、何の為に働くのか―
半年もすると、そんな疑問が湧いて来た。確かに部署によっては、他者のために働いている、とも言える。でも、この砂運びは?
砂を満載したケースを持ったまま、僕は黒い空を見上げた。月は、自転と公転が常に地球に同じ側を向けるように釣り合っているから、空にはいつも大きな地球が見える。僕にとっては懐かしくもあり、そして恐ろしくもある、ただただ群青の惑星だ。
宇宙空間には“色”が無い。そこだけ鮮やかな“色”を放つその星は、だがしかし、全銀河を滅ぼしてしまいかねないほどの強い欲望が濃く、濃く凝縮された球体でもある。
―だから僕はここへ来た。あの星は、僕には合わない―
「ここの方がいいに決まってる」
そのとき、身体の中でチャイムが鳴った。AIコアから、三日三晩働きづめだから休憩したらどうか、という提案があった。ゼンマイはまだ大丈夫だったし、ロボットの身体に疲労感は全くない。休憩というものを、ついつい忘れがちになる。
「休憩は労働者の権利だよね」
僕は運搬中のケースをドックに届け、そのままレストドームに向かった。
窓際の四角い椅子に座って……いつもなら、ただ時間が過ぎるのを待つだけだったけど、そのときは何となく、地球に残してきた彼女の顔を思い浮かべていた。
―もうとっくに、新しい彼氏を見つけたんだろうな。申し訳ないと思ってる。でも、これでいいんだ。だって“そこ”じゃ、僕は君を守ってあげられない。僕みたいなお人好しは、どうあがいたって絶滅危惧種なんだし―
「ここ、いいですか?」
「えっ?」
丸いテーブルを挟んだ向かい側に、ノウジーさんが立っていた。
―全然気がつかなかった―
「ノウジーさん、お久しぶりです。ここに来たとき以来ですね……あっ、どうぞ座ってください」
「どうも」
あのときとは違って、ずいぶんフランクな感じだ。言葉にも、わずかだけど人間ぽい抑揚が感じられる。
でもそれきり、一言も無いまま何分かが過ぎた。
何か飲むわけでもなく、座ってただじっと向かい合っているだけというのは、どうも間が持てない。
「ノウジーさんって……」
思い切って話しかけた。
「はい?」
「あ、いや」
「何でしょう?」
ノウジーさんは、元は女性だったんですよね、と聞こうとしたがやめた。人間だったころの性別なんて、ここでは全く無意味だ。ロボットの声が女性っぽいんだから、そういうことでいい。
「ノウジーさんは映画とか見ますか?」
代わりにそんな質問をした。
「ええ、大好きです」
ぎこちないお見合いゴッコみたいだ。
―じゃあ次は、ちょっとしたジョークでも―
「映画だと、このムーンベースみたいな施設って、実は裏でとんでもないことが行われてたりしますよね。地下で、人類を滅ぼす兵器を作ってたりとか」
ノウジーさんが、素早く右手の指を一本立てた。
数秒の間があった。
「どうぞ続けて」
ノウジーさんは顔を90度回して窓の方を向くと、そう言った。
「いや別に……それだけです」
―何だったんだ?―
「……私はモニターされてます。音声はオフにしたけど、映像は録画されてます。だからそっちを向けない」
ノウジーさんが青い光で言った。
「誰に?」
「それだけは言えないの。でも、数分ならある程度のことを話せると思う」
「まさか、本当に兵器を」
「兵器なんて作ってない」
「それじゃいったい……、でも、君は何でそんなこと知ってるんだ?」
ノウジーさんの横顔が得意気に微笑んだように見えた。
「だって、ノウジーだもん」
―そういうこと? 詮索好きって意味のノウジーってことか。でもそれ、自分で名乗っちゃうんだ―
「地球へ帰りたい?」
ノウジーさんは言った。とてもやさしい声だった。
「えっ? いや別に、ここ結構気に入ってるし」
言いながら俯くと、テープルの天板に僕の口の真っ赤な色が反映して、僕は咄嗟に顔を横に回した。
―自分は……本当は帰りたいって思ってたのか?……わからない―
「いつも地球を見上げてたでしょ?」
「隠れて見てた? ノウジーだから?」
「そう。あなたは最初からちょっと変わってたし。何となく気になったから」
ノウジーさんの横顔が、今度は一瞬“真顔”になったように感じられた。
自分も含め、ムーンベースのロボットに表情は無い。そんな者たちと長く過ごすうちに、表情以外の“何か”で相手の気持ちを感じることが出来るようになったのかも知れない。
「地球に帰った方がいいと思う。誰か一人でも信じられる人がいるなら」
「さっきも言ったけど、僕は……ちぇっ! 何で赤く光るんだ⁉」
「好きな人のことを想ったから」
「えっ? 嘘をついてるからじゃ」
「違う。知らなかった?」
ノウジーさんの口が真っ赤に光った。
「じゃ、ノウジーさんも今誰かを?」
「……」
―理想とは少し違ってたけど、ここでは誰もが自分の損得じゃなく、純粋に他人の利益のために行動し合ってる。不当な特権も無いし、抜け駆けや裏工作も無い―
「見ようとしない人には見えないの。でも私は色々知ってしまったから、それで私自身が迷ってるのかも知れない」
「何のこと?」
「あなたが毎日運んでいるモノ、あれが何か知ってる?」
「月の砂、でしょ?」
ノウジーさんは横を向いたまま小さく頷いた。
「必要なのは、砂に含まれてるヘリウム3という物質。夢のエネルギーと言われている核融合発電に必要な素材」
「それじゃあ、僕たちは人類のために働いてるってこと?」
「あなたは本当に良い人。物事には必ず裏と表があって、真実は大抵裏の方。国家プロジェクトなら尚更のこと。裏を見ようとしない人にはわからない。必ず“本当の”思惑が隠れているわ」
「でも……」
「いい⁉ ヘリウム3の独占は世界の支配を意味する……あっ、ちょっと待って!」
突然、ノウジーさんは話を打ち切り、立ち上がってこちらに背を向けた。
「どうしたの⁉」
「モニター機能が復帰しちゃうから、今日はオシマイ。もし気が変わったら、私の所へ来て」
そう言うと、ガシャガシャと足早にレストドームを出て行った。
―あんなことを話して、ノウジーさんは大丈夫だろうか―
むしろ僕には、そのことの方が気掛かりだった。
一ヶ月が過ぎた。
あれからノウジーさんには会ってない。そんなこと、一ヶ月ぐらいなら普通にあり得ることだけど、今回は気になってしかたがない。
―行ってみよう―
地球へ帰るかどうかは、まだ決めかねていた。でも、とにかくノウジーさんの様子だけでも。
白い扉の前で個体認証を受けて、僕はインフォメーション・センターに入った。
廊下を真っすぐに進むと、徐々に、受付テーブルの向こうに座っているロボットが見えて来た。でも、頭部だけでは誰なのかわからない。
僕がテーブルのすぐ傍まで行くと、向こう側のロボットが立ち上がった。
―胸のコードネームは……⁉ よかった。無事だったんだ―
「ノウジーさん」
「どのようなご用件でしょうか?」
「えっ?」
―ノウジーさんの声じゃない‼―
「ノウジーさんは……あの、以前ここにいた担当の方はどこへ行ったんですか?」
「大変申し訳ありませんが、それに関する情報はございません」
部屋はあのときのままだ。この、右の扉の奥にポッドがあるはずだ。でも、ノウジーさんはいない。
「他に何か、お知りになりたいことはありますか?」
―僕のためにノウジーさんは消された? ここは、本当はそういう所だったってことなのか?―
「どうされましたか?」
「あの……地球に、地球に帰れるって聞いたんですが」
「はい。いつでも」
「それじゃ……お願いします」
次の日、僕は地球へ帰還した。
AIコアに人間の意識を転送する技術は、不可逆的なテクノロジーで、僕の“生身”は既に処分されてしまっていた。
「わっ、何だコレ⁉」
「なんか、カワイイ」
道を歩いていると、人間たちは僕を見下ろしてそんなことを言った。こんな自分が、いくら国家の陰謀を叫んでも、誰も本気にはしないだろう。
―だから簡単に帰してくれたのか……それはともかく、そろそろゼンマイが切れそうだ―
唯一残されていた、人間だった頃の私物。黒い革ジャン。それを頭から被って、夕暮れの都会をひたすら歩いた。革ジャンのポケットに、いくらかお金が残っていたけど、この姿じゃ、たぶんタクシーも止まってくれないだろう。
少し前方に懐かしい色の光を見つけた。
「あ、そうだ!」
―買い物ぐらいなら何とかなるだろう―
僕は意を決して、コンビニの自動ドアの前に立った。少しして、ドアが開いた。
―この身体でも開いた―
と、思った瞬間、後ろから誰かに蹴飛ばされて店内に転げ込んでいた。
「ヤバッ、何か蹴った! あのちょっと、店員さーん⁉」
僕を蹴ったらしい若い男が店員を呼んだ。
「どうしました?」
すぐに女性店員がやって来た。
「これ、お店のマスコットか何か? 全然気がつかなくて、思いっきり蹴っちゃったみたい」
「えっ?……いいえ、お店のものじゃないです。お客さんの忘れ物かなあ?」
店員は僕を立たせながら言った。
「ワタシハ……」
「何かしゃべった⁉」
店員と若い男は顔を見合わせた。
「ワタシハ、オカイモノロボット、デス」
咄嗟に芝居を打ったが、泣きたい気分だった。
コンビニを出てから、ゼンマイが切れないことを祈りつつ、さらに歩き続けた。
そうしてみると、道はどこへでも続いているのだと解る。歩くのか、車に乗るのか。その違いは時間と体力だ。人は常に、早く楽な方を選ぶ。楽のためにお金を払う。お金を払うためにお金を稼ぐ、より多くの楽を得るために、より多くお金を得ようとする。
それ自体は悪いことだとは思わない。
そして人の世は、その方向に進み続ける。その結果どうなるのか、考えながら生きている人間は本当に少ない。
気がつくと、僕は彼女の部屋の前にいた。疲れは無いはずなのに、ひどく身体が重く感じられた。いよいよゼンマイがピンチなんだろう。
―どうしようか―
ドアの前でためらっていると、誰かが階段を昇って来る足音が聞こえた。
「まずいな」
インターフォンには届きそうもない。僕は慌てて、ドアの下の方をコンコンと叩いた。
「……」
もう一度、ゴンゴンゴンと叩いた。
「はい?」
スピーカーから彼女の声が応答した。
“心”がすごくズキズキした。
―ちぇっ、変に性能のいいロボットだ!―
でも涙は出なかった。
「ただいま‼」
「……えっ誰⁉ やだ、まさか」
けたたましい足音が聞こえた後、ドアがゆっくりと開いた。
最初、遠くを見ていた彼女が、足下の僕に気づいて下を見た。
「……何コレ」
「本当にゴメン」
僕はその場に膝を付いて謝った。
「その声って……でも、どこにいるの? どうせこれ、リモコンか何かでしょ」
「違うよ、僕だ。ロボットになるって、言っただろ?」
彼女はしゃがんでまじまじと観察していたが、僕が抱えている黒い塊に気づいて、跳び上がるように立ち上がった。
「その革ジャン‼」
「だから僕だって……あっそうだ、コレ、お土産。マイバッグ持ってなかったから、これに包んできた」
僕は黒い革ジャンを開いて、四角い透明なパックを掲げて見せた。
「何?」
「お寿司。……食べたいって言ってたよな」
彼女の目と鼻が、見る見る赤くなっていった。
―そうか、人間も誰かのことを思うと、赤くなるんだっけ。ノウジーさん、本当のこと言ってたんだな―
「僕の口、真っ赤だろ?」
「きれいな青」
「……」
―やっぱり嘘か―
「あのさ、そろそろ部屋に入ってもいい?」
「うん」
付いていた両膝を上げて立ち上がろうとしたとき、急に関節が動かなくなり、僕は横倒しに倒れた。
「キャッ、どうしたの⁉」
「ゼンマイ、が、きれ、そうだ」
「ゼンマイ? ゼンマイって何?」
ゼンマイの説明に少し手間取ったけど、どうにか落ち着いた。今は小さなソファに座らされて、彼女が旨そうに寿司を頬張るのを見ている。
「ゴメンね、一人で食べて」
「気にしないでいいよ」
―どうして僕は戻って来たんだろう―
ホッとしたら、そんな考えが頭の中をぐるぐると回り始めた。
利他的でなくてもいい。マイノリティが安心して、幸せに暮らせる場所を見つけたい。多数決が支配する社会で、そんなことを望んでも無理なのかもしれないけど。
月にも、そんな場所は無かった。
『地球に帰った方がいい』
そう言ってくれたノウジーさんの犠牲には報いなければと思う。
―でも、どうすればいいんだろう―
「今までどこに行ってたの?」
お茶をずるずると飲みながら、彼女は言った。
「……月だよ」
「そうなんだ。面白かった?」
「まあまあかな」
このやり取りは3回目だ。以前はちょっと鬱陶しかったけど、今夜は楽しい。
「なんか、うれしそう」
「わかるんか、この顔で?」
「わかるよ、付き合い長いもん。私はどうだと思う?」
「うれしそうだ」
「でしょ⁉ ちゃんとわかるでしょ」
―だって思いっきり笑ってるし―
「こんなロボットでも、ここに置いてくれる?」
彼女は食卓を片付けながら少しの間考えていたが、くるっとこちらを向くと、腰に手を当てて胸を張った。
「口がいろんな色に光るから、クリスマスツリーみたいできれい。だから、もう一回彼氏にしてあげる」
彼女は、自分が言ったことの将来的な意味なんて考えてないかも知れない。この娘も、僕と同じ絶滅危惧種なんだ。それでも今は、二人でお互いのゼンマイを巻き合って生きていくしかない。
「今度は私も連れてってね。月」
「月はダメ。いつかもし、もっといい所を見つけたら、一緒に行こ」
「絶対、約束だよ」
「うん。それまで、ゼンマイ巻くの忘れないでくれよ」
「ゼンマイ……って、何だっけ」
―はあ―
「……僕の背中を見て」
<終>
ゼンマイ @Ichor
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