第19話

 翌朝、何者かが侵入した形跡と、床の血痕をだいいちに発見したグレリッヒは、啞然となった。本日はトリッシュによる定期健診が実施されるため、子どもたちは朝ごはんを食べず(血糖値などの上昇を抑えるため)、検査が終了した順番ごとに、軽食を配る予定となっている。グレリッヒの本業は庭師だが、療養施設エレメンタリーハーツでは料理人でもあり、いつものように台所へ足を運んだ結果、惨事の後始末を要された。


「なんだこれは。いったい、なにが起きた……?」


 割れた窓ガラスと血痕に目をとめ、ひとまず台所の出入口に鍵をかけ(子どもたちに気づかれないよう)、調合室へ向かった。扉を軽くたたいても返事はなく、胸騒ぎがしたグレリッヒは「入るぞ」といって、扉を開けた。傷口を自ら手当てしたユリネルは、壁ぎわに坐りこんでいた。グレリッヒは、汚れた白衣や、使いかけの包帯、止血剤の小瓶などを横目に、ユリネルの顔をのぞきこんだ。


「ユリネル、無事か。だれにやられた」


「グレさん、おはようございます……。もう朝ですか。シェリィのようすを見てこなければ……」


「おれが見てきてやる。それより、なにがあったのか、手短てみじかに話せ」


 無理やり笑顔を見せるユリネルに、グレリッヒは眉をひそめた。消毒液のにおいが鼻をかすめ、ユリネルのシャツには血がにじんでいる。怪我のていどをたしかめるため、シャツに手をかけようとしたが、ユリネルに制された。


「わたしなら、だいじょうぶです。軽症につき、心配にはおよびません。ですから、この件は他言無用でお願いします」

「……医者にもか」

「はい。どうか、ないしょにしてください」

「食堂の窓ガラスが侵入経路のようだが、つまり、犯行は外部の人間だな?」

「ええ、おそらく……。暗くて顔は見ていませんが、なにも盗られていませんので、通報はしません」

「防犯対策を見直すべきかもな。通報しないとは同意しかねるが、それなりに考えがあってのことだろうな?」

「……はい」

「ならば、黙っておく。ただし、二度目はないぞ」

「ありがとうございます」


 ユリネルの呼吸は安定しており、出血量のわりに傷口は浅いと判断したグレリッヒは、内心ホッとした。急いでシェリィのおむつを替えて食堂へもどり、床を掃除して、割れた窓ガラスを取り外した。備品室に在庫があるため、新しくつけかえた直後、別棟からトリッシュがやってくる。すぐさま水道で野菜を洗う動作でごまかすグレリッヒは、「おはよう」と先にあいさつした。


 トリッシュは一瞬変な顔になるが、きょうは朝から忙しいため、グレリッヒが淹れた珈琲コーヒーを飲むと、診察室へ向かった。これから、ひとりずつ子どもがやってくる。まず最初は、6歳のブランカである。まもなく、コンコンと、扉がたたかれた。トリッシュは「どうぞ」とこたえ、身体測定からはじめた。つづいて、どのていど生活習慣が身についているか聞きだすため、いくつか質問をする。ブランカはしっかりとした調子で答え、情緒に異常はみられず、診察台での発達診査もスムーズに終わった。


「お疲れさん。ブランカ、らくにしていいぞ」


「はーい」


 子どもの成長の進み具合には個人差があって当然であり、からだの大きさや、ことばの発育は環境的要因の影響を受けやすい。〈エレメンタリーハーツ〉では、個人に特化した療法を用いて発育を促進するため、トリッシュは見落としがないよう、ひとりひとり時間をかけて診察した。ふたり目のスフィーダと、手こずるかと思われたデューイまで順調に健診を終えたが、フューシャにかぎって呼んでも姿を見せず、2階の角部屋に閉じこもっていた。



✓つづく 

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