第53話 理解できない


「こっち」

「お、おう……!!」


 圭は慧留に言われるまま、電車に乗って糸の先がある方へ進む。

 二人だけの大冒険。

 圭にとっては初めての地だったが、実は慧留にとっては転校前に住んでいた町だった。

 本当は、知ってる。

 圭の母親が、どこにいるか。

 糸なんてたどらなくても……


 慧留は転校してくる前、近所に住んでいた女が、誰かに生き霊を飛ばしているのを見たのだ。

 本人にその自覚はないのだろうが、女の体から黒い長い糸が、どこか遠くの街へ伸びていて、それで気がついた。

 しかも、その女と同じ顔をした生き霊が、今隣に住んでいる同い年の圭に憑いていたのだから。


 まさかの偶然に驚いたが、あの女が圭の母親だというのなら……それじゃぁ、その女と一緒に暮らしていた男は誰だったのか。

 手を繋いで歩いていた、あの女の子は誰だったのか。

 その好奇心を満たすためと、自分が再びこの町を訪れるのに都合が良かった。


「ねぇ、もし、お母さんに新しい家族がいたらどうする?」

「新しい家族……?」


 自分の知らない間に、妹ができていたら、どう思うんだろうか。


「僕ね、転校したのはお父さんが浮気したからで、お父さんは僕たちを捨てて、離婚したんだ……————それに向こうにはもう、新しい家族がいるんだ。まだ一度も会ったことのない、腹違いの弟が」


 自分と同じように、ショックを受けるのだろうか。

 自分を捨てて、笑っている母親をどう思うのだろうか。

 自分と同じように、殺したいと思うだろうか。


「僕は殺したいと思ったよ」

「……殺したい?」

「だって、気持ち悪いじゃない。僕とお母さんを捨てて、裏切って、その先で生まれた弟なんて」


 数日前、慧留は弟に会いに来ないかと、父親から連絡がきた時は、何を言っているのかわからなかった。

 母親をあんなに悲しませて、捨てたくせに、息子の慧留には弟に会いに来いと言ったその無神経さが、信じられなかった。

 あんな男が自分の父親だなんて、許せなくて……

 圭を誘うために言った冒険なんてただの口実で、本当は殺しにきた。

 自分の父親と、その新しい家族を。

 一人でこの町に来たことを母親が知ってしまったら、悲しむと思ったから……

「ちょっと友達と冒険してくる」なんて、子供じみた嘘をついて、ここまで来た。

 圭なら、自分のこの気持ちを理解してくれるだろうと、そう思っていた。

 きっと、この複雑な気持ちを肯定してくれると思っていた。


 ところが……


「……あのさぁ、慧留。俺、やっぱりお前が何言ってるか全然わかんねーや」

「え?」


 圭は慧留の気持ちが理解できない。


「母ちゃんに新しい男ができて、俺の知らない家族ができてたらそりゃぁ驚きはするだろうけどさ、関係ないじゃん」

「なにが……?」

「その子供なにも悪くないだろ? 悪いのは浮気したお前の父ちゃんとその相手の女じゃん」

「え……?」

「それが、なんで殺したいになるんだよ? 俺にはわからん」

「だって、お父さんが僕たちを裏切って、それで……————」

「だから、わかんないんだって。そんな話より、さっさと教えてくれよ、糸はどっちに伸びてんだ?」

「…………」


 慧留は、いきなり圭の背中を思い切り叩く。


「痛い!! 何すんだよ!?」

「……あの中、糸はあの中」

「は?」


 そして、警察署の方を指差した。


「警察……? え、俺の母ちゃん、警察官なのか?」

「そこまでは知らない。でも、あの中に糸は続いてる。中に入って探してみるといいよ」

「探してみるといいよって……え? お前は行かねーの?」

「僕はいい。お母さんの顔ならわかってるでしょう? 似顔絵のままだから……ここでお別れだ。僕はあっちのお寺に行ってくるよ」

「お寺?」

「うん、僕が前に住んでた家が、あのお寺のそばにいあるんだ。僕はそこにいるから帰る時ケータイに電話して。迎えにくるから」

「え? わかった」



 *



 圭はとりあえず言われた通りに警察署の中に入って行った。

 けれど、警察署内は広くて、働いている人も多い。

 母親がどこにいるかわからない。

 その内、署内にいた若い女性警察官にどうしたのかと声をかけられる。

「母親を探している」と言ったが、名前も所属している部署もわからなかった。

 その時、対応してくれた女性警官が、署内にいる母親ぐらいの年齢の警官や事務員などの顔を確認させてくれたのだが、いくら探しても、似顔絵と同じ顔の女は見つからなかった。


「うーん、今日出勤している人はこれで全員なんだけど……本当に、お母さんここで働いているの?」

「そうだって、聞いた。おかしいな……なんでだろう?」

「————ふざけるな!」


 困って首を傾げていると、急に大きな声が聞こて、驚いてそちらを見る。

 顔の怖い刑事たちが、声を荒げて怒っていた。


「異能者だからなんだっていうんだ!! 子供が殺されてんだぞ!? 誘拐されて、何日も監禁されて……あんな姿にされて……————」

「仕方がないっすよ、先輩。落ち着いてください。相手は異能者で……」

「副署長のお嬢さんだって、被害にあったんだぞ!? 黙っていられるか!! 上は何を考えてんだ!!」

「俺だってムカついてますよ!! でも、多分、教団からきたあの弁護士が何かしたんすよ!!」

「クソ……!! 異能者がなんだって言うんだ! あんなのは、ただの犯罪者だ!!」


(こわい……)


 話の内容はさっぱりわからなかったが、とにかく怖かったことだけは覚えている。

 その後も、少し署内を探して歩いたが、やっぱり母親は見つからなくて、結局、兜森家に連絡が行き、迎えに来た敬に連れられて、圭は家に帰った。

 そして、一緒に来た慧留に、帰ることを伝えなければと電話したのだが、なぜか通じない。


 何があったのかわからなかったが、帰りの車の中で寺の前を通った時、パトカーが何台も停まっていたことを覚えている。


「父ちゃん、何かあったのかな? あそこ多分、慧留が前に住んでた家だと思うんだけど……」

「……ああ、お前は何も気にしなくていいよ。大丈夫。さっさと帰ろう。もう、勝手に子供だけでこんな遠くまで来たらダメだからな」


 敬は何も言わなかった。

 圭が警察署の中を歩き回っている間に起きた殺傷事件のことも、その日以来、突然いなくなった慧留のことも、何一つ話さなかった。

 新学期が始まる前には、慧留の家が引っ越して誰もいなくなってしまった理由も、なにも話さなかった。


 ただ、「あの子のことは忘れなさい」と、それしか言わない。

 恒子もいつも見ているお昼のワイドショーやニュース番組を夏休みの間決して圭には見せなかった。

 理由はわからないままだった。



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