第47話 普通の小学生


「圭ってさぁ、母ちゃんいないの?」

「うちは父ちゃんいないけど、母ちゃんがいないのって珍しくね? 普通、母ちゃんがいて、父ちゃんがいないだろ」

「ちげーよ! 普通は両方いるんだよ!」


 平成十八年。

 圭は小学五年生で新しいクラスになった。

 別に、全員が新しい顔ぶれというわけでもない。

 この学校は二年ごとにクラス替えがあるため、一、二年生の時に同じクラスだった友達も、去年まで同じクラスだった友達もいる。


 ただ、二年生の時は佐藤だった龍平りゅうへいが、いつの間にか田中になっていたため、そういう話になった。

 佐藤改め、田中龍平は、四年生の時に両親が離婚して母親の旧姓に変わったらしい。

 圭は別に気にしてはいなかったが、そういう理由で苗字が変わったとか、小学校を卒業したら変えるとか何人かいるようだった。

 龍平の場合は、父親が若い女と不倫していたというのが離婚の理由だったようで、今は祖父母と一緒に暮らしているのだとか。


「圭の家は、なんで父ちゃんなの?」

「なんでって、別に離婚したわけじゃないぞ? 俺が生まれたばっかりの頃に、病気で死んだんだって」


(そう、父ちゃんもばあちゃんも言っていたし……)


「だよな? 普通、離婚したらよっぽどの理由がない限り母親が育てるのが当たり前だって、うちの母ちゃんも言ってたし……」

「なんだ、病気か。じゃぁ、仕方がないよな」

「でも、会いたいとか思ったことないのか?」

「別に、ないな。それが普通だったし……」


 母親がいなかったから、何か不便だと思ったことはない。

 弁護士の父は毎日忙しそうだが、家には優しい祖母がいるし、祖父も最近定年退職して家にいる。

 祖母のご飯は美味しいし、祖父は大手家電メーカーで開発者をしていたこともあり、手先が器用な人で、話好きの人だった。

 圭の知らない話をたくさんしてくれる、自慢のじいちゃんだ。


「俺は父ちゃんに会いたいよ。不倫してたのは最低だし、悪いことだけどさ……でも、やっぱり俺の父ちゃんだし。最後に家族で行った北海道旅行、すごく楽しかったんだ……また一緒に行こうって、帰る時約束したのにさ……」

「そういうもんか?」


 母親と過ごした記憶がない圭は、龍平の言っていることはいまいちわからなかった。

 今の家庭環境になんの不満もない。

 欲しいものはそれなりに手に入るし、勉強さえ頑張れば他はなんでも好きなようにしていいと言われている。

 しかし、龍平の寂しそうな表情を見て、思った。


(俺も、母ちゃんとの思い出があったらそんな風に思うのかな?)


虎太郎こたろうは? お前、もし親が離婚するって言い出したら、どっちについていく?」

「え? 俺? 考えたこともねーけど……やっぱ、母ちゃんかなぁ。母ちゃんのハンバーグが世界一うまいんだよ。あれが食べられなくなるのはいやだし」

「なんだよ、結局食い物かよ! お前は本当に、よく食うな!」

「いいだろ別に!」


 圭は、三年生から同じクラスで食いしん坊の飯田いいだ虎太郎、二年生まで同じクラスだった龍平と小学五年の時はよくつるんでいた。

 虎太郎と龍平は幼稚園が同じだったこともあり、三人が仲良くなるのにそう時間はかからなかった。

 どこにでもいる、ごく普通の小学生。

 よく遊んで、よく学んで、共に成長していたそのどこにでもありそうな、けれどかけがえのない日常。

 ところが、翌年、それは静かに崩れ始める。


 六年生に学年が上がったその日、転校生がやってきた。


冷上れいがみ慧留えるくんです」


 慧留は父親が外国人で、パッチリとした二重、瞳の色も緑色。

 髪も真っ黒ではなく茶色をしていて、女子たちが色めき立つほどの美少年だった。

 つい数日前にハリー・ポッターの映画がテレビで放送されていたということもあり、女子たちの興味は完全に彼に集中する。

 休み時間にはあっという間に彼の机の周りには女子たちが取り囲み、質問責めにあっていた。


「なんだよ、やっぱり女子は顔か!? 顔なのか!?」

「好きだよなぁ、女子ってああいうの。姉ちゃんもさ、なんだっけ? 姉ちゃんも母ちゃんもなんとかって外国の俳優がカッコいいって毎日言ってるよ」


 圭は別になんとも思わなかったが、龍平と虎太郎が妬ましく思っているのになんとなく話を合わせる。

 龍平は二つ上に姉が、虎太郎は三つ上に双子の姉がいるため、女子はああいう顔が好きだということを知るには十分なデータがあったのだが、姉のいない圭は、あまりピンときていなかった。

 家族の中で唯一女性である祖母が最近よく見ているのは韓国ドラマで、顔の系統がまるで違う。


 それに実は慧留が越してきたのは圭の隣の家。

 今日、こうして転校生として紹介される以前にすでに二人は顔を合わせていて、慧留の母親から仲良くしてやって欲しいと言われていた。

 圭もそのつもりでいたし、慧留を仲間に入れるつもりでいたのだが、女子たちに囲まれてしまって、そのタイミングを失ってしまう。


(明日でいいか……なんか、話せる空気じゃねーし)


 しかし、帰宅後に高熱を出して圭は三日ほど学校を休むことになる。

 その後すっかり体調も良くなって、いつも通り少し早目に学校へ行くと、龍平と虎太郎が慧留に対して暴力を振るっていた。


「お、圭! 風邪治ったのか?」


 たった三日、圭が風邪で学校を休んだ間に、龍平と虎太郎はいじめっ子になっていて、圭をそのいじめっ子仲間にしようとしてきたのだ。


「何ぼうっとしてんだよ、圭。お前も殴れよ……」

「そうそう! こいつ、生意気だからさ!」


 いつも授業が始まる前に集まって、チャイムギリギリまで三人で勝手に使っていた空き教室。

 放課後も、ここを勝手に秘密基地にして遊んでいた。

 三人にとって大事な、思い出の詰まったその場所で、殴られ、蹴られて、倒れていた慧留を指差して、笑っている龍平と虎太郎は、まるで別人に見えて————


「ふざけんな!! お前らなんて、俺は知らん!!」


 そう言って圭は慧留ではなく、龍平と虎太郎を殴り飛ばして、慧留の手を掴んだ。




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