第10話




 今日は街が騒然としている。裏路地のあちこちで王太子殿下直属の警備隊と野盗が争っているのだ。

 民家の上から騒々しい一軒のボロ宿を眺める。


「裏切り者のアリスじゃねぇか。今更何しに来たんだ?」


 ひょいと登ってきたのは、一時期世話になった野盗のカシラ。

 予想通り、この人は追手を撒いてあのボロ宿から逃げ出した。


 彼は斧を片手にこちらへ駆けて来て、横へ大きく振る。


「商人にお前の身体を売ったのがそんなに嫌だったのか?」


 後ろへ飛び避け回転して着地し、翻るスカートを軽くいなして、私は銃口を向けた。


 今回の討伐で逃げ出した残党の処理を任されている。目の前の相手は殺して良い人物だ。


「いえ、嫌になったとかはないですね。ただ、ご主人様の方が条件が良かっただけですよ」


 夜には王宮でも仕事をしなければならない。さっさと終わらせてしまわないと。


 目を細めて眉間へと引き金を引くが、カシラは横へ顔を振って避け、間合いを詰めてくる。

 私は半身でかわしナイフで首を狙うが、薄皮一枚しか切り裂けない。


 ピッと鮮血が舞う。


 カシラの背後に回り足を払うと、体勢を崩した男に馬乗りになる。


「あなたには世話になりましたが、ご主人様からの命令なので…さようなら」


 目を見開いたカシラが暴れる前に、頭に風穴を開けた。

 特に、何も感じなかった。


 あとは──



 高台から街を見下ろし、警備隊に奇襲を受けた隠れ家から逃げ出す野盗たちを片っ端から処理して、騒ぎが落ち着いた頃にようやっとバイパー男爵邸に帰ることができた。


 ご主人様も同じように駆り出されていたから、お疲れだろう。

 先に帰っていらっしゃるかしら。


 ご主人様の部屋をノックするとすぐに入れと声がして、扉を開ける。


「警備隊は捕えることが仕事で、殺せないとはいえ、取り逃がしすぎだろ。こちらの仕事が予想以上に多かった」


「野盗たちにも手強いのがいますから、多少は仕方ないことかと」


 2人掛けのソファに寝転がるご主人様は、大袈裟なため息を吐いた。


「1日ひとつの野盗制圧なら私とアリスで完璧にこなせるというのに」


 それをすると警戒した他の野盗たちは逃げてしまう。一斉に摘発しなければいけないというのは理解しているはずだが…そんなに疲れているのだろうか。


「…王宮に行くまでに時間もありますし、お風呂入りますか?」




 ご主人様をサッパリさせ、私もある程度埃や血を落として王宮へ行くと、王太子殿下のいる応接間へと案内された。


 快復した様子のウェズリ伯爵が殿下の斜め右のソファへ座っていて、その正面にご主人様が座る。

 使用人である私はご主人様の後ろに立つ。


 ガイルは部屋の扉近くで警備している。


「ここへジェルダム侯爵とシールズ侯爵を呼び出している。もうすぐ来るだろう。捕らえた野盗たちから言質も証拠もとっているし──私を殺そうとするか、弁解をするか…楽しみだな」


 殿下のいつもの上品な笑みの中に闇が見え隠れして、ゾワっと鳥肌が立つ。

 美人の静かな怒りは末恐ろしい。


「今回は他の悪どい貴族も一掃でき、ミハエルもラウドも良い仕事をしてくれた。感謝する」


「ほんと、人使いが荒過ぎですよ。今回は色々と骨が折れました。ウェズリ伯爵は一歩間違えたら殺されてましたよ」


 ご主人様が呆れたように言うと、殿下はフフッと肩を揺らして笑う。

 当のウェズリ伯爵は気まずそうに視線を横へそらした。


「…うまく立ち回れず申し訳ありませんでした」


「そんなことはない。初めてでこんな大仕事だ。十分な動きだった」


 殿下からの信頼をある程度得ることができただけで、十分すぎる成果だ。

 殿下は新たな手駒ができて嬉しそうで良かった。


 しばらくすると、侯爵の2人が侍従に連れられてきた。

 2人ともあまり顔色がよろしくない。


 大体のことは予想がついているようだ。


 ご主人様とウェズリ伯爵は立ち上がり軽く礼をし、席を譲る。


 その時にもう1人、ルウがいることに気がついた。

 彼はジェルダム侯爵の後ろへ立つ。


 全員の動きが止まったのを確認して、両肘を机につき手を組んで、殿下は口を開いた。

 笑みを貼り付けて。


「急な呼び出しに応じてくれて感謝する、侯爵。状況は理解できているかな?」


「な、何のことでしょう。私にはサッパリ」


 シールズ侯爵がしきりに汗を拭いながら震えた声で言うと、殿下は大袈裟にため息をつきながら肩を落とした。

 今更シラを通すとは、呆れる。


 次の瞬間、ルウが殿下の背後に回りその首筋へナイフの刃先をそわせた。


 他は誰も動かない。


「どういうつもりだ、ジェルダム侯爵」


 殿下に声をかけられたジェルダム侯爵は鼻で笑い、真っ直ぐに殿下を見る。


「王太子殿下…あなたは貴族を敵に回しすぎですよ。野盗だって使い道があるのに、何故掃討などを行ったのですか」


「お前たちの私腹を肥やす為だけの利用価値だろう。犯罪行為の数々が国のためになるとは思えん」


 白い首筋にわずかに赤い線が浮かび、血が垂れる。


 私はそっと隠しナイフへと手をかぶせると、殿下から待てという視線が送られた。

 後ろからガイルの殺気がまとわりつくが、彼も殿下からの指示を待っているようだ。


「まったく…殿下は頭が固い」


 ルウがナイフを引こうとすると同時に、私とガイルは床を蹴る。

 次の瞬間には私がルウを組み敷き、ガイルは殿下を庇うように背にしていた。


 静かな部屋に殿下のため息が響く。


「この部屋を血で汚したくはなかったんだが…処刑を頼む」


「ライバン王太子殿下の仰せのままに」


 ご主人様も立ち上がり、待ってましたと言わんばかりに、にっこりと笑う。

 逃げようとしていたのだろう、すでにシールズ侯爵を後ろ手にして捕まえていた。


 ご主人様と共闘するのは初めてかもしれない。胸が高鳴る。


 ルウが横へ身体を回転させ私の脇腹を蹴り上げようとするのを、後ろへ下がり避ける。

 ナイフを突き出してくる隙に体勢を低くして間合いに入り、回し蹴りでそのナイフを吹っ飛ばしてやる。


「姉さん、なんで。なんでそんな男爵なんかと…! 僕が、僕だけが守ってあげられると思ってたのに!!」


 掴みかかろうとしてくるルウをかわし、背後から腕で首を絞める。


「あの家で私はあんたに守られた記憶なんてない」


 その腕を掴まれて前へ投げ飛ばされ、私は床に着く前に前転をし腰に下げた銃を構えた。

 ハイライトの消えた黒く澱んだ瞳は、きっと私と同じもの。


「僕が大人になれば、守ってあげられるって…思ってたのに…何で待っててくれなかったの」


 前髪をかきあげ、握りながら低く唸るようにルウは言う。


「あんたは何もかもが遅すぎたのかもね」


 銃弾は狙った眉間を的確に撃ち抜いた。


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