第9話




 扉をノックする音で我に返る。

 すぐにご主人様が私の部屋へと入って来た。


「アリス、今日の報告を聞きたいんだが。今、平気か?」


「はい。ちょうど私もご報告をしようと思っていたところですので」


 シールズ侯爵が隠していた野盗との契約書らしき紙切れをご主人様へ渡すと、彼はニヒルに笑った。


 人を殺す時と同じ顔をしている。


「アリスを一時とはいえ他の人間の侍女にしたんだ。これくらいの情報がなくてはな。よくやった」


 頭を軽く撫でられ、唇に軽いキスが落とされる。


 ご主人様に褒めてもらえた…。


 もし私に尻尾があるなら、全力で左右に振っていたと思う。


 私がシールズ侯爵家から持ち帰った情報はすぐに王太子殿下に伝えられ、あとはウェズリ伯爵からのジェルダム侯爵家についての情報を待つことになったのだが。


 ウェズリ伯爵と連絡が取れなくなった。


 彼の屋敷の人たちも、主人の姿が数日見られないことから、騒然としているようだ。


「私たちもジェルダム侯爵家の様子を見にいくべきでしょうか」


 ご主人様は口元に手を当てて、考え込むように眉根を寄せた。


「…そうだな。アリスに任せよう。君がその日帰ってこなかったら、すぐに私も動く」


 殿下からも承諾を得てすぐの夜、私はジェルダム侯爵家へと忍び込んだ。


 ウェズリ伯爵はジェルダム侯爵に会うと言って出て行ってから帰っていない。

 探っていることに気付かれて、捕らわれたか殺されたか…。


 とりあえず、地下牢に行ってみようかしら。


 交代で屋敷内を警備している使用人の目を掻い潜り、陰に溶け込みながら目的地を目指す。


 ウェズリ伯爵はすぐに見つかった。


 地下牢、鉄格子の向こうで手錠によって壁に吊り下げられている。


 見える範囲での傷はなさそうだけど。


 声をかけようとする同時に後ろから人の気配を感じ、横に飛び退くと、私がいた所に木の棒が叩きつけられていた。


「誰か、いる…のか」


 少し憔悴しているが、伯爵の意識が戻ったみたいだ。


 殴りかかってきた人影から目を離さないまま、私はウェズリ伯爵へ声をかける。


「ウェズリ伯爵様、ご無事で何よりです。お迎えにあがりました」


 壁にかけられた蝋燭が人影の顔を照らし出し、再び木の棒が私の横腹へ目掛けて振られ、後ろへ回転しながら飛び退る。

 男はクッと喉で笑った。


「久しぶり、アリス姉さん。バイパー男爵と組んでるウェズリ伯爵を人質にすればここに来てくれるって思ったんだよね」


 私の知る顔よりも大人びた、叔父夫婦の息子。


「まさかあなたがジェルダム伯爵家で保護されていたとは思わなかったわ、ルウ」


「父上とジェルダム伯爵は仲が良かったし、息子と僕は学園の同級生で親友だ。すごく良くしてくれているよ」


 ゆっくりと近づいて来て頭上から振りかぶるルウに、私は姿勢を低くして足払いをかけるが、覆い被さられ、組み敷くように体重をかけられる。


「昔みたいに笑いかけてくれないの? いつからだっけ、表情が消えていったのは──ああ、もう少し待ってくれれば僕が守ってあげたのに、どうして我慢できなかったの?」


 ルウは眉をはの字にして、目元を赤らめている。


「私があなたの家を壊したこと、恨んでるの?」


 掴まれた手首にじわじわと力が込められ、骨が軋む痛みに奥歯を噛み締める。

 呆れたようなため息が、私の頬を撫でた。


「そんなことどうでもいい。僕は姉さんが僕を置いていったことが許せないだけ。ディルスの家だって、あの腐った両親だって、何もかもどうでもいい。姉さんがいればそれで良かったのに」


 どこから知ったのかはわからないけど、ルウは全てを把握しているみたいだ。


 首に手がまとわりつき、ゆっくりと締めてくる。


「…っ、く」


 意識が薄れる前にルウの鳩尾を蹴ると、彼は後ろへ尻餅をついた。

 一気に肺へ空気が入り込んで咳き込む。


 立ちあがろうとするルウの眉間に銃口を当てるが、うっとりと見つめられ、背筋に悪寒が走った。


 なんなの、この子。


 銃を持つ手を掴まれかけ振り払い、太腿に縛っていたナイフの持ち手を顳顬に振りかざすが、その手を掴まれる。


 ルウの身体にそうように回転し背後に回り、束縛から逃れ、再びナイフの持ち手を首の後ろへと目掛けるが、横へと逃げられた。


 ちょこまかと、鬱陶しい。

 しかも、複数の足音がこちらへ降りてくる。


 深い息をひとつ吐き、ルウに向き直る。

 彼の後ろにずらっと男たちが並んだ。


 今回は少し、手こずるかもしれない。


「無駄な殺しはしないようとご主人様から言われているのだけど…殺してしまったらごめんなさい」


 ピッとナイフを横に振り反対の手の銃を握り込み、両足でしっかりと床を踏み締める。

 真っ直ぐにこちらを見るルウの瞳が澱んみ、歪んだ。


「ご主人様…ね」


 ルウの呟きと同時に、野盗らしき男たちが剣をこちらに向ける。


 見切りやすい単調な動きの男たちをひとりひとりかわしていき、できるだけ殺さないように銃弾は足へと放つ。

 ナイフは急所を外して──


 ちっ、数が多い。

 それに、私がいた殺し屋集団のメンバーがちらほらいる。


「この裏切り者が」


 小ぶりな斧が私の脳天へ向けられそれをはたき落とすが、男は空になった手で拳を作り、顔へ向けて振りかざしてきた。


 私の背後には鈍器を振る男。


「…っ」


 2人をギリギリでかわしたが、拳が私の額をさいた。 


 痛い。


 ポタリと血の雫が落ちる度、頭の中が黒に染まっていく──




 さすがに全部をかわすのは無理だったわね。


 顳顬に垂れてくる血を乱雑に拭って、足元でうずくまるルウの背を、痛みからくる苛立ちを込めながらグリグリと踏みつけると、呻き声が上がった。


 地下牢には男たちが折り重なり倒れている。


 汗で張り付く髪を払い、ルウの腰についていた鍵束を手に取った。


「…っ、姉、さんが、なんで…男爵なんかに、っ」


「あの人は私を痛みなく簡単に殺してくれる。それだけで十分、ご主人様たり得るわ」


 今のすぐには殺してくれそうにはないけど…私を痛めつけず殺せるのはきっとあの方だけだもの。




 意識が曖昧なウェズリ伯爵を抱えながら、なんとかバイパー男爵家へと戻ることができたが、私の姿を見たご主人様は間抜けな叫び声を上げて取り乱した。


 ウェズリ伯爵を床に放って、私の全身を撫で回しながら抱きしめてくる。


「これは返り血じゃないだろう! 何があったんだ!?」


「少し額を切っただけです。すみません、少し手こずってしまって。…侯爵邸には私が働いていた殺し屋集団のメンバーがいたので、確実にクロですね。ひとまず今日は遅いですし、ウェズリ伯爵には泊まっていただきましょう。お部屋の準備を──」


「それは私がする。アリスは先に身を清めて着替えろ」


「いえ、使用人としてそのようなことをご主人様に任せるわけには」


 ご主人様の目が細くなり冷たい瞳が私を射抜く。


 怒らせてしまったかしら…。


「これは命令だ」


 そう言われてしまうと何も言えなくなる。

 わかりましたと頭を下げ、伯爵をご主人様に預けた。



 自らの寝る支度を終え、ウェズリ伯爵が眠るベッドのサイドテーブルに水差しだけでも置いておこうと客室へ入ると、ご主人様もいた。


 私の姿を見て、椅子から立ち上がる。


「痛みは?」


 ご主人様は私の前髪をかき上げ、絆創膏の貼られた部分を指でなぞる。

 くすぐったい。


「今は平気です」


 そうかと、私から水差しを奪いサイドテーブルへと置くと、私の腰を抱いて部屋を後にした。



 ご主人様のベッドの上でぎゅうぎゅうと抱きしめられる。


 そんなに、心配をかけてしまったんだろうか。


 身体にわずかに隙間を作ってくれたかと思ったら、再び額の傷に触れられる。


「誰に油断した? それとも、予想外の人物に動揺したか…」


 私はパチリと瞬く。


 私が、油断? 動揺…?


「そうじゃなきゃ、アリスが私以外に傷をつけられるなんて有り得ない」


「人数が多かっただけです。…久しぶりに顔を合わせる知り合いがいたことは確かですけど」


 首筋にご主人様の歯が柔く食い込む。痛みはないが、ピクッと身体が跳ねた。


「誰だ」


 いつもより低い声。

 怒気のようでいて何か違うものも入り混じっている声色に戸惑う。


「…親戚、のようなものです」


「ジェルダム侯爵家にいるアリスの身内──死んだディルス伯爵の息子か」


 囁かれた言葉に私は飛び起きる。


「知っていたのですか」


「調べればわかると、初めて会った時に言っただろう。…ジェルダム侯爵邸で何があったか、詳細に教えろ」


 私の過去は全て把握しているのか…。

 特に隠そうとは思っていなかったが、話したことも聞かれたこともなかったから驚いた。


 ルウに言われたことも含め、地下牢での出来事を詳細に伝えると、ご主人様は何故かルウの言葉に物凄く不快感を露わにしていた。



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