ピエロと老人
渡貫とゐち
ピエロと老人
「おい、若いピエロが座席に座ってるんじゃない……目の前に年寄りがいるだろう、席を譲ったらどうなんだ」
「勇敢なご老人ですねえ、よくもまあ、車内で浮きに浮きまくっているこのピエロに話しかけられたものです……しかも席を譲れと言う――『あなたより年上』です、と言うつもりはありませんが、それでも言い方ってものがあるのではないですか?」
「フン、ピエロに使う敬語はないわ」
「おや、それはピエロ差別ですか?」
「違う。そんなことはどうでもいい……いいから席を譲れ。そこはお前が座るところじゃない」
「確かに、ご老人が目の前にいて、平気な顔をして座っていることは、ピエロでなくともできませんね……ここは譲るべきでしょう――しかし。『そこをどけ』と言われて素直に立ち上がるのは、ご老人の口の悪さを許容し、助長させることになります。ここはもう少し粘った方がよろしいですね――」
「……なんだと? 若者が、席を譲らないつもりか?」
「いいえ、譲りますとも。あなたはお元気なようですが、もしも杖をつき、今にも倒れそうなご老人がいれば、当然、席を譲ります。手を貸してお手伝いをすることもやぶさかではありません――高齢者は全国民で介護するべきですからね――……ですが」
「介護されることを当然と思っている一部の老人は、見て見ぬ振り、もしくは見捨てられることを自覚しておいた方がいいかと思いますねえ。助けてもらったら『感謝』を、初対面の相手には『敬語』を……頭を垂れる必要はありませんが、丁寧な言葉遣いが『普通』です。それができて当たり前、なのですが……ピエロでも分かりますよ?」
「なぜ若者に敬語を使わなければならん。こっちは年上だぞ?」
「年上でも初対面ですよね? あれ、友達でしたか? ピエロとあなたは旧知であったと?」
ピエロは、わざとらしく考えるフリをした。
結果、肩をすくめる。
「違いますよね? ならば、敬語でなくとも丁寧な口調で声をかけるべきでしょう? 間違っても『どけ』なんて言うとは――喧嘩を売っているとしか思えません……このピエロに」
「……ちっ、分かったよ……すまなかった。だからその席を譲ってくれないか……これでいいんだろ?」
「それでいいんです。ただやり直しですね……今度は態度がなっていない。思っていなくともそれっぽく振る舞うことはできると思いますが――。あなたもピエロのように化粧をしますか? 自分を殺してしまえば、演技など嫌でもできることでしょうね。若者に敬語を使うのが嫌であれば、『若者に敬語を使うキャラクター』になってしまえば話は早い。演じることで嫌悪感を突破できてしまうものですから――ピエロも現在、演技中です」
ピエロは演じる。
本音を押し殺して。
「『お年寄りに詰められても手が出ないキャラクター設定』ですので……もしも赤い鼻もなく白塗りの化粧でなければ、あなたは怪我をして床を這っていたと思いますが……設定によって生かされていたということを理解してくださいね、ご老人――」
「…………」
「では、ピエロは次の駅で降りますので、どうぞ席をお譲りしますよ」
「あ、ああ……」
「不合格です」
立ち上がったピエロは、吊革よりも高い身長だった。
見下ろされた老人は、半歩後ろにさがる。
「分かりますか? 感謝の言葉がありません。ありがとうございます、と言わなくてもいいのですよ――『悪いね』、『助かったよ』、『どうもね』……それくらいでいいんですよ――最初からこちらも、老人に感謝の言葉が言えるとは期待していませんから。ですので、『できること』をしましょう。できないことを無理にしろとは言いませんので」
「……助かったよ」
「どういたしまして、ご老人」
ホームに降り立ったピエロは、注目の的だった。
ざわざわとするものの、声をかけてくる勇敢な人はいない。
すると、向かい側の電車がタイミング良く停車するようだ。
ホームに長居する必要はない……、ピエロは安堵の息を吐く。
だけど、仕事が終わったわけではない……まあ、給料なんて出ないけれど。
配信もしていない。
これはただの――趣味であり、社会矯正だ。
「さて、次は反対側の電車に乗ってパトロールだ――席を譲られることが当然だと信じ切って強気に出てくる年寄りに、ちょいと若者の危険性を説かなければね――」
…了
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