右目のともだち

智bet

右目のともだち


朝。小指に洗濯バサミのような診断器具を取り付けながら、自走式のロボットがメディカルチェックを開始する。


普段外に出ることもないからいつも通り健康もいいとこだ。


異常なしの結果が出たところで、ロボットは自動掃除モードに変更し、無機質な音を立てながら床のホコリを吸い込み始める。


「あ。今日、久しぶりに来るんだ。今回は台湾からだったっけ?」


ふと、思い出して話しかけると喋ることのない物静かな同居人ははいともいいえとも、どっちとも取れない微妙な目でこちらを見る。


「まぁ、君に言ったってしょうがないよな。」


特に何をするわけでもなく宙を見つめる彼とはもう5年の付き合いになるけど、未だに意思疎通ができた試しがないけど、他に話す相手もいないのでこうして言葉を投げかけるだけの生活を続けている。


1人で暮らすには無駄に広いマンションの無駄に広い寝室で、ぼんやりと。


あれからどれくらい経っただろうか?暖房と加湿器が程よく効いていたからついつい二度寝してしまったらしい。


時計はいつの間にか17時を指している。


定時に来る食事の配達を昼の分食べないまま夜の分を迎えてしまった。


古い方はどうやら捨てるしかなさそうだ。


ベッドから身を起こすと体は寝すぎのがちがちで、思い切り伸びをすると筋膜がばりばりと音を立てる。


起こしてくれたっていいじゃないか。恨みがましく視線を向けても、物言わぬ彼はやることもなさそうに宙を見つめるだけで、素知らぬ風だ。


寝室からリビングに向かうと、テーブルいっぱいに中華の出前で届いたプラスチックの容器を並べ、箸を方方に伸ばすシワの寄ったシャツを着た男が1人座っていた。


男はこちらを見るともごもごと口を動かしながら


「んおー!ひふぃ、あっふぉおひあふ …」


「いいよ、食べ終わってからで。」


秩序なく口に放り込んだ食べ物を口の中で混ぜ合わせながらペットボトルの烏龍茶で流し、ぶはぁ、と生き返ったような声を上げる。


「やっと起きたか、ヒスイ。また二度寝してただろうから受け取り損ねてた飯全部貰ってるぞ、どうせ捨てるんだろうし。」


「聞く前から食べ過ぎだよ、この大食漢。」


「いやー、バーミヤンはやっぱうめえな。中華は好きだけど向こうのはとにかく八角がキツくてよぉ」


「それで?辛抱たまらず僕の家に挨拶もなしに上がり込んで冷蔵庫を漁り、烏龍茶と一緒に楽しんでいたの?」


「悪く言えばな。」


「言い換えても別に良くならないから。」


「いーんだよ、どうせ外にも出ないから出前ばっか食ってんだろーが。生姜焼き作ってやっから座っとけ。あったかい食卓ってのを教えてやるよ。」


そう言ってその食卓も片さぬまま冷蔵庫から勝手に入れたであろう豚肉を取りだしてキッチンをいじり始める。


彼の名前はトナミ。ハイイロオオカミの25歳。


彼は、普段僕の金で海外を飛び回っている。





食事を終え、そのまま僕とトナミは寝室へと向かう。


「久々のお手製生姜焼きはどうよ?あんな美味すぎる食い物恋しくて仕方なかっただろ。」


「生姜焼きを不味く作れる奴がいるなら見てみたいよ。」


「素直に美味しいって言えっての。」


どすどすと遠慮のない歩き方をするトナミの歩き方は少しだけ家が賑やかになっているような気がして、悪くない。


寝室に入るとトナミはベッドに腰かけて、


「さ、夜も更けてきたとこで始めようぜ。」


そう言って僕の手を引き、目を閉じた。


ロボットが音を立てて床を動き回るだけの静かな部屋で、トナミの顔に触れる。


彼はとても慣れた感じで、頬や目の周りを触られても静かに落ち着いた呼吸をしたまま微動だにしない。


そして僕は彼の、


トナミの体の内側が持つ生暖かさと、人差し指と親指で掴んだ硬い感触。


それらをダイレクトに感じながら、ゆっくりと引き抜いていく。


筋肉の締めつけがふっ、と無くなった時。


僕の手にはトナミの右目があった。


「ふぅ…落とすなよォ?」


眼球のなくなったトナミは中身のなくなった瞼をぺこぺこと指で潰しながら飄々とつぶやく。


僕はそれを洗浄液に1度浸した後、机に持っていき右目裏にあるカバーを開いてPCから伸びたコネクターに繋げる。


デスクトップ内のアプリを立ち上げてデータを同期。


すると、繋げられたプロジェクターから映像が流れる。


それは、夜の街を歩くトナミの目線そのままが映し出されたもの。


がやがやとした人混み。雑然と立ち並ぶ屋台。ビィビィと鳴くひよこに、よく分からない食べ物。


よく分からない言語を話す服装の薄い女ジカや恰幅のいいブタの男がカタコトの日本語でトナミに声をかけ、誘っている。


「今回は台湾。これはナイトマーケットで、ぼったくり街娼の客引きや衛星の悪い食い物がたっぷりだな。そんでこれが今回の土産。」


僕の隣でトナミは、薄暗い部屋の中でく見えないけど包み紙をビリビリと破いて棒付きの何かを僕の口に突っ込んできた。


飴だろうか?甘くない。サラサラとしていて、…弾力…食べ物じゃない!


「べっ。なにこれ。」


「ジョリーポップとかいう棒付きキャンディ見てえなかわいいコンドーム。セーフセックス推奨のために娼婦の姉ちゃんが配ってた。」


「変なもん口に入れないでよ。」


「わぁるかったよ。ほら、次はな___」



トナミが僕の肩を抱いて映し出されたパイナップルや、スーパーに並んだ変わった食べ物や、建物から地面まで白い寺院、映画みたいな眺めの山の中にある街。


トナミの右目は、カメラ付きの義眼になっている。


______


中学生の頃、母親が死んだ。


綺麗な、明るい毛の色をしたダックスフント。


物心ついた時から母子家庭だったけど、母は夜働きに出たから1人で寝るのが寂しかったけど、小学校のクラスメイトは親から僕と遊ぶな、なんて言われてたから寄り道もせず帰った僕と一緒にお風呂に入ってくれて、


「お父さんはね、すごい人なんよ。」


と髪をトリートメントしてくれたのが嬉しかったし、そんな母が好きだった。


そんな母はいつも通り夜働きに出ていって、急性アルコール中毒で亡くなった。


葬式とか、連絡とか、親戚とか何も分からず泣くこともできず、どうすればいいのか分からないところに弁護士を名乗る男が現れて、トントン拍子に納骨まで終わった。


父親の弁護士らしい。


ただ、その父親が姿を見せることはなかった。


住む家は高層マンションの1部屋になった。


渡された通帳には毎月使い切れない額のお金が振り込まれてて、1人で寝てても寒くなくて、あたたかい食べ物が電話ひとつで届いて、頼んだものは勝手に届いた。


付き合いが変わった。


僕がお金を持っていると知った人間は、笑顔を向けて近付いてきた。


嫌だった。けど、もう家に帰っても1人になってしまった僕は関係をお金で繋ぎ止めた。


友情も、誕生日パーティも、恋愛も、セックスも、全部勝手に振り込まれるお金で手に入れて、1人取り残された部屋の祭りのあとはダスキンにお金でやってもらった。


ある日、ほんの少し試してみたくなって僕に金以外何も無いと悪態をついたアライグマを、つるんでたカンガルーに殴らせてみた。


3万円でアライグマはひどく殴られた。


僕は殴ったやつにも、殴られたやつにも3万円の値段をつけた。


あのアライグマの僕を見る目と、名前も知らないカンガルーの殴る時の目は忘れられない。


何もかも怖くなって、自分も嫌になって引きこもった。


通知のやまない携帯電話は投げ捨てた。


インターホンは電源を落とした。


1人だったけど、静かさが心地よかった。


家庭教師を雇って、勉強に励んで、少し遠くて頭のいい大学に合格した。


誰もいない学校は心地よくて、人付き合いが怖い僕は1人だったけど、それでもゆっくり友達を作ればいいと思っていた。


そんな時にトナミと出会った。


トナミは頭はいいのにバイトばかりしていたからたまに大学に来たかと思えばいつも1人だった。


安い学食ばかり食べていたから少しだけ唐揚げを分けてあげると、キリッとした顔立ちをかわいい小型犬のようにほころばせて喜び、仲良くなるのにそう時間はかからなかった。


ある日、トナミは生まれた時から施設で育てられていて金はなかったし不便だけど色んな姉兄や弟妹がいて、出会いと、暮らし、別れの日常は別に悪くはなかった。今は、世界中を旅して回って施設の子に色んな世界を見せてあげたいと笑いながら話していた。





僕は、その話を聞いてどうにもならないくらいトナミのことが羨ましくて、一瞬だけ、とても憎く思った。


そしてそれは疑いに変わる。


トナミが良い奴なのは貧乏でも家族がいたから。家族は大切なのは僕にも分かるから。


じゃあ、トナミは家族では無い僕のために動いてくれるだろうか?



それから1年後、僕はトナミと付き合い続けた裏で嘘の気持ちで塗り固めた計画を話した。


僕は株のトレーディングをしていて、お金に一生困ることはないこと。


だけど、僕には生まれつき体に疾患があって海外への渡航が不可能なこと。


そして、医者を尋ねる内に見つけた、義眼にデバイスを埋め込み視覚の回復とカメラ撮影できるようにした技術者がいること。


僕の夢も実は世界を飛びまわること。


君の見た世界そのままを僕に見せてくれるなら


君の夢に僕の夢を乗せてくれるなら



僕は一生君の夢を支え続ける。


お願いだ。



本当に良い奴だったなら、

僕に右目をくれるだろう。



半年後、トナミの灰色だった右目は緑色の光彩を放つ魔法の瞳に変わっていて、訓練を終えたトナミに


「これでいつも一緒だな。」


そう言われた時僕はくずおれて泣き出してしまった。


トナミは僕を抱き寄せて


「お前が旅に行けるのは俺。俺が旅に出れるのはお前のおかげだからいいんだよ、右目くらい。」


そう優しく慰めてくれたけど、そうじゃない。


僕は結局トナミを信じられなくて、金で買ったんだ。






「おい、ヒスイ起きろ。」


朝、昨日はいつの間にか寝ていたらしい。


ほのかに鰹の香りがするトナミが起こしてくれた。


トナミはやや厚着をし、身支度を済ませている。


「もう出るの。」


「おお、施設の子達にも色々見せにな。その後すぐ飛行機に乗る。カジキのトローリングが今シーズンらしいから、ちょっと太平洋に出てくるわ。角持ってすぐ帰って来てやっから待っとけ。」


「海か、いいね。」


「山もいいし、氷原もいいな。お前はどこ見たい?」


「僕は…」


「おっと、やべぇ時間だ。あと自分でよそって食えよ。次帰ってきた時は1週間くらいはいるようにすっから、じゃあな。」


「あのさ!今回も…ありがとう、台湾。」


トナミは少しだけ不思議そうに僕の顔を見て、いつもの笑顔を浮かべる。


「いいんだよ、友達じゃねぇか。」


『パーティの飲食費、全部ヒスイ君持ちでーす♡友情にカンパーイ♡』


『またコイてる奴いたら頼んでくれよな。友達なんだから安くしといてやるよ。ヒスイ君。』


「………友達。」


ひとりごちた時、トナミはもう部屋にいなかった。


部屋には、自動掃除ロボットが無機質な音で動き回る音だけが響く。


「全部正直に話した時、まだ僕のことをトナミは友達だと言ってくれるのかな。」


「言わなきゃって思うのに、言おうって思うのに、弱い僕はずっと、何年も言えないままだね。」


「ねぇ、今の僕とトナミは友達なのかな?」


「君だけでも、答えてくれよ…」


ベッドの傍らには、保存液に満たされた瓶の中にういたトナミの右目が、ひたすらに宙を眺めていた。

























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右目のともだち 智bet @Festy

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