第4話

 真夜中の定食屋に、出汁の利いたうどんつゆの匂いがほわりと漂う。


 花奈が小さな手で、箸を使いうどんを食べだす。

 その様子に安心した木乃香は、先に出された香の物をそそくさと食べると、空いた小皿に花奈に断りうどんを一本載せ、つま楊枝も置いた。

 すると、それを待っていたかのように、テーブルの下から十センチほどの小さな男の子が、すいっと上がってきた。

 男の子は、人の姿をしたあやかしである。

「あなたもお腹がすいていたんでしょう? だから、わたしのスカートにぶら下がってここまで来たのよね」

 木乃香の問いかけにあやかしは答えず、つま楊枝でうどんを差しぐいぐいと食べると、さっと消えた。

 

 木乃香の前には、時折、こうした小さなあやかしが姿を現した。

 さっきのように人の姿のときもあれば、虫や鳥の姿をしているあやかしもいた。

 木乃香は爬虫類が苦手だったので、へびやトカゲの姿のあやかしが現れると大騒ぎをしてしまい、そのたびにおばばさまに苦笑いされた。


 また、木乃香は、あやかしを見つけるのも得意だった。

 なんとなくここら辺にいそうだなと思い、草をかき分けたり、戸棚を開けたりすると、果たしてそこにいるのだ。

 見つけるにしても、やっぱり小さなあやかし専門だったが。


 木乃香は人である。

 一方、花奈は狸のあやかしだ。

 そして、花奈の祖母であるおばばさまも、狸のあやかしだ。

 二人と木乃香は遠縁だが、血の繋がりはない。

 両親を亡くした木乃香を、おばばさまが引き取り、養女として育ててくれたのだ。

 おばばさまには、育ててもらった恩がある。

 だから、今度は木乃香がおばばさまの孫である花奈をしっかり育てなくちゃいけないといった使命を感じているのだ。

 ただ、どう転んでも木乃香は人で花奈はあやかしだ。

 箸遣いを教えることはできても、あやかしとしてのあれこれを教えるのは無理なのだ。


「だったら、東京に行け。東京の恵比寿に、花奈の教育係にぴったりの黒狐がいる」

 そう言ったのは、おばばさまの葬儀で初めて会った、おばばさまの兄を名乗る伯父の堂島錠之助だ。


「東京、ですか? 住むところもないのに無理です。それに、花奈は狸のあやかしです。いくら優れた教育者だとしても、狸ではなく狐のあやかしでは……。伯父さんが時々この山里に来て、おばばさまがしてきたように、花奈を人の世でも暮らせるあやかしになれるように助けていただけませんか?」

 この伯父がどんな人物かわからなかったけれど、知り合いもいない東京へ行き、会ったこともないあやかしに花奈を委ねるよりはずっといいと思えた。

「老い先短いじじいにそんな頼みをするな。まぁ、聞け、お嬢。その黒狐はだな、不良で、乱暴者で、凶悪で素行不要で、どうしようもない荒くれ者だったけれど、今では立派な一人前のあやかしとして人の世で暮らしている。お嬢は、花奈を人の世で暮らせるあやかしにしたいんだな? だったらなおさら、黒狐は俺より適任だ」

「不良で、乱暴者……。そんなあやかしに、花奈を任せるなんてできません」

「おやおや、お嬢が敬愛するおばばさまだって、娘時代は相当な暴れ者だったぞ」

「……」

「苦労知らずで育った奴が悪いとは言わない。ただ、俺に孫がいてその孫を任せるとしたら、躓いたときに起き上がる方法を知っている奴にする」


 はっとした木乃香の顔を見て伯父はにやりと笑うと、古ぼけた鍵を渡してきた。

 伯父所有の恵比寿にあるマンションの部屋の鍵だそうだ。


「でも、どうやってその黒狐師匠を探せばいいでしょうか」

「ん? んん? 師匠……? いや、探すもなにも……」

「わたしは、虫などの小さなあやかしを探すのは得意ですが、狐のあやかしとなるとなかなかに厳しく」

「いや、だから、そんな難しく考えなくても」

「そうですね。もっと、単純に自分にできる方法で……。わたし、小さなあやかしに黒狐師匠について尋ねてみます」

「……お嬢、おまえ、なんかいいな。たしかに、そう簡単に名乗らんかもしれんし。よし、ガンバレ。お嬢が黒狐師匠を探し出すのを応援するよ」

 伯父は「軍資金だ」と言い、懐から分厚い封筒を出した。


(まさか、あやかし探しの特技が役立つ日が来るなんて)

 伯父のおかげで、住まいだけでなく当面のお金の心配もなくなった。

 木乃香は明日からでも、黒狐師匠探しの聞き込みを始めるつもりでいる。





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